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ハイキング
九州・沖縄
トホレコ☆リターンズ 0・ねず、ヤマトに帰る。
2008年03月31日(月) [日帰り]

過去天気図(気象庁) | 2008年03月の天気図 |
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コース状況/ 危険箇所等 |
鹿児島へと向かう船の中、僕は昏々と眠り続けた。夢さえ訪れぬ不思議と深い眠りだった。出港時間が早朝ということもあり、宿の居間で夜通し飲み明かして、そのまま眠らずに船に乗り込んだ。だから多少眠いのは当然である。しかしいくら何でもこれは眠すぎる。尋常ではない眠さだ。目に見えない眠り猿に、鈍器のやうなもので後頭部を痛打されたのかもしれない。 前日、大きな低気圧が通過したばかりだったので、船はかなり揺れた。しかしそれすら関係ないくらいに眠りは深かった。時折、ふとした拍子に目が覚めた。曇った船窓を透いて小さな島影がぼんやり見えたりした。あれら奄美諸島の島々に上陸して寄り道して歩いたのも、はや一年以上昔のこととなった。願わくばデッキに出て往時を懐かしんでみたいという気持ちはあったが、それすら叶わぬほど睡魔は激しかった。とにかく目を開けていることが出来ない。目覚める度に島影は遠く水平線上にあったり、あるいはまたその小さな港に、船は今まさに入港せんとするところだったりした。いくつもの島を通り過ぎて来たやうだった。しかしそれらの島々が一体どの島に当たるのか?思いを巡らすことすら出来なかった。それどころか今何時なのかさえ判然としなかった。僕はどれだけの時間眠り続けて、船はどの辺りまで来たのだらう・・・。焦点の合わない寝ぼけ眼では、時計を確認することすらままならなかったのだ。 札幌から鹿児島へと至る徒歩旅行の往路・前半戦が終了してから、早いもので一年三ヶ月あまりの時が過ぎ去っていた。当初の予定では沖縄滞在は三ヶ月程度のはずであった。かねてから話を進めていた北大東島でのジャガイモ掘りのアルバイトを終えたら、その報酬を路銀に復路の旅を再開するつもりだったのだ。しかし芋掘りの収入だけでは心許なかったこともあり、那覇でもう一稼ぎということになった。考えれば、往路も札幌を出発したのは6月のことである。慌てるまでもあるまい。丁度いい具合に港での荷卸やリゾートホテルでのプールの監視員など、臨時のアルバイトの話がすぐに転がり込んで来た。ここは一つゆっくり腰を据えてもう一稼ぎしておくのもいいだらう。 そんなこんなで那覇に滞在すること三ヶ月。その間僕は「ゲストハウス」と呼ばれる安宿で自炊生活をしていた。日本では珍しいドミトリ式の宿である。一泊1500円程度の安宿が那覇には至る所にある。宿には同じように働きながら長期滞在している若者が多くいた。ホストやら路上ミュージシャンやら、はては「インドで聖人やってました」などという怪しい人物に至るまで、様々な人たちが日本各地から吹き溜まって来て、それぞれの人生を楽しんでいた。沖縄というところは、旅人がその日暮らしをして生きていくのにうってつけの場所なのである。 そうして同宿の若者と話などしているうちに、いつの間にか八重山に対する憧れが募っていた。沖縄まで来て八重山の海を見ずに帰るのは嘘だろう?六月も半ばに差し掛かる頃、たうたう僕は八重山へ向かう船上の人となった。宮古島を皮切りに先島諸島の島々を渡り歩いた。梅雨明けとともに、絵に描いたやうな青空の日々が続いた。日差しの強烈さは痛いほどである。僕は来る日も来る日も、飽きもせず海に向かった。一年などという年月は、崩してしまった一万円札のやうにあっという間に陽光の下に熔けて、何処へともなく消え去っていった。年が明けてから、満を持して与那国島に渡った。言わずと知れた日本最西端の島である。彼の地にはサトウキビの収穫という類稀なる重労働が待ち構えていた。僕は島一番のモーレツオヤジの元に送り込まれて、雨の日も風の日も、モーレツにキビを倒しまくった。長きにわたった沖縄滞在のクライマックスである。 さて、そんな風にして沖縄での二度目の春を向かえた訳であるが、懐具合の方は一年前と比べて取り立てて温まったという印象はなかった。ダイビングなどという柄にもない、金のかかる道楽を試みたせいでもある。与那国島での労働の日々で、最後に何とか帳尻を合わせたような格好である。それでも悪くない一年だった。いいことばかりではなかったが、すべてはあの青い海とともにあった。心配事は何もない。那覇に再び戻って、一週間ほど英気を養ったあと、区切りよく三月末日の船便に乗り込んだ。二年近い前、札幌を出発する時に感じたあのサウダージは不思議と僕を訪れなかった。夕焼けの関門海峡を渡るときや、蜩の鳴く峠道、大晦日の夜の鹿児島港など、至る所で僕を捉えて離さなかった、あの、いわく名状し難い不可解なくゎんかくを僕は便宜上「サウダージ」と呼ぶことにしている。しかし、今、沖縄を出るにあたって、あの無限のサウダージはどこか仄暗い深淵の彼方に身を潜めたまま、とうとう姿を現さなかった。気分の上でもすっかり準備が整ったということなのかもしれない。今は唯ひたすらに眠いだけだった。 真夜中過ぎになってようやく目が覚める。長い船旅のために用意した酒や本が、どうやら無駄になってしまいそうだ。軽く泡盛など舐めながら、日記を付けたり本を読んだりしてみる。そうこうしているうちに、またうとうとと眠くなって、いつの間にか朝である。船は定刻を一時間ほど遅れて鹿児島港に入港。久しぶりのヤマトはすっかり春の装いである。(ちなみに沖縄の人たちは、日本本土のことを「内地」とか「ヤマト」などと呼ぶ。)眼前にはざーとらしいほどにありきたりな日常の風景が横たわっている。これでもかってくらいほんわかとした、ヤマトの春のよそおひである。ヤマトか・・・。懐かしい、何もかも。そんなこんなで、いよいよ徒歩旅行・復路の始まりである。どうやら僕はほんたうに歩いて帰るつもりらしい。 |
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