記録ID: 5648465
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ハイキング
近畿
尼崎三角点巡り⑫久々知南公園
2023年06月25日(日) [日帰り]
- GPS
- 00:08
- 距離
- 55m
- 登り
- ---m
- 下り
- ---m
コースタイム
日帰り
- 山行
- 0:08
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 0:08
12:22
8分
スタート地点
12:30
ゴール地点
過去天気図(気象庁) | 2023年06月の天気図 |
---|---|
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
JR福知山線事故現場近くの三角点。 1 現尼崎市域の久々知(くくち)という地名は、杣山(そまやま)の管理にあたった古代氏族・久々智氏の居住地であったことに由来するという説があります。尼崎のほか有馬郡に久々地の地名が残っていて、猪名川または武庫川の舟運により上流で切り出された木材が運ばれ、この地域で集積・加工された可能性があると考えられています。また、後代のことになりますが、猪名川上流に居住した多田院御家人の一部が久々知周辺に定住したとの伝承があります。なお、久々知を含む市域北東部には、椎堂(しどう)・瓦宮(かわらのみや)・穴太(あのう)・額田(ぬかた)・坂部(さかべ、上坂部・下坂部)といった、古代氏族名に由来する可能性が考えられる地名が散見されます。 2 久々知の史料上の初見は建久2年(1191)の「観福寺大般若経奥書」で、久々智村とあります。このほか、久々知が登場する14〜16世紀(南北朝〜戦国期)の史料として、荘園関係史料や『太平記』『細川両家記』といった戦記物があります。これらの史料は『尼崎市史』第4巻中世史料編に翻刻しており、同書掲載の地名索引により検索することができます。 なお、昭和48年(1973)刊行の『尼崎市史』第4巻に掲載されていない古代・中世史料の補遺として、尼崎市立地域研究史料館紀要『地域史研究』第114号(平成26年10月)以降の号に「尼崎市史古代・中世史料補遺」を連載しています。 3 久々知の旧集落地(現久々知1丁目付近)にはかつて「城ノ内」という小字があり、環濠集落であった村を臨時的に陣営として利用したものを「久々知城」と称したものと考えられます。戦国時代の尼崎地域において、本城としての形態が整った城は尼崎城・富松城・塚口城に限られており、記録に登場する市域の地名を冠したその他の諸城は、集落や寺院を利用した陣営としての城であったものと考えられます。 尼崎歴史博物館アーカイブス |
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