サンティアゴ巡礼ポルトガルの道 Camino Portugués - Day 3


- GPS
- 06:37
- 距離
- 20.8km
- 登り
- 18m
- 下り
- 14m
コースタイム
- 山行
- 6:37
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 6:37
過去天気図(気象庁) | 2023年04月の天気図 |
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アクセス |
写真
感想
泊まったホステルがバスターミナルと駅の前にあり、通りに面した2階の部屋だったため、とにかく外の騒々しさが一晩中続いたため、あまりよく眠れたとは言えなかった。
今日は20km程度と軽々な距離なので別に出発を急ぐ必要はなかったが、宿では窓も開けられずお湯も作れなかったので、さっさと次の宿に向かうことにした。早めにチェックインして昨夜の分までゆっくり休みたい。
昨夜の宿はドミトリーではなく個室で二人分で40ユーロという安宿なので設備等には文句は言えない。ただポルトガルでこれまで泊まった宿に共通して、どんなに安宿でも他の設備が「ちょっとなぁ。。。」でも、シャワーだけは常に熱々のお湯が湯圧も強くふんだんに出る。この安宿も、シャワーに関してかなりの高得点だった。一日中歩いて疲れ果てたあげくに熱いシャワーでさっぱりできないとなったら、翌日の体調も心持ちも全然違う。
リスボンを離れ、初日2日目と一応「海」「内海」だった目の前の水の流れはこの辺りからはさすがにもう川と呼ぶべきだろう。イベリア半島最長のテージョ川だ。
「ポルトガルの道」ルート、もうしばらくはこの川の流れに沿うように北北東に進んでいく。ただ、これまでのように河岸真横を水面を見ながら歩いていくのではなく、川の西側に広がる広大な平地の真っ只中を進む。
今日の区間も最初からわかっていた。「なにもない」と。
Franca de Xira駅の裏側にあるマリーナ公園を抜け、配送センターのような巨大倉庫を2〜3過ぎた後、道は早々に「何もない」平野の中に突入。畑でも牧草地でもなく、本当に文字通り「何でもない」広大な空き地なのだ。左手には列車の線路。住宅地や幹線道路、店などはほぼ線路とは反対側のもっと川から離れた場所にあるので、当然、巡礼道ハイカー側には飲食物・トイレ等のインフラが全く存在しない状況なのだ。
歩きながら二人で何度「いったいどうしてこんな何もないところにルート設定しているのだろうか?」と疑問に思ったことだろう。2年前みちのく潮風トレイルを歩いた時も、南の最初の数日はこういう荒野の真っ只中を突っ切ることが多く、散々ぶぅぶぅ言っていたののまさにデジャブ。ただ、みちのくのあの荒野は津波の被災地で押し流されたあとの荒野であったし、さすが日本で自販機や公園があったりでここまで酷くなかった。あの時の自分を反省。
今日の周囲はとにかく、1)ただの空き地、2)畑か牧草地らしきもの、3)工場や配送センターが荒野の真ん中にポツポツと建っている、かのどれかだ。もはや「これ、わざと人里から離そうとしてる?」と勘ぐりたくなるぐらいに徹底している。そこがかつての村々をつなぐ道や街道がルートになっている四国遍路との大違いで、水やトイレの確保に関しては、アルプスの山麓を歩いたツール・ド・モンブランよりもはるかに厳しい。アルプスには少なくとも飲み水になりうるせせらぎがあった。ここには、飲むどころか間違っても近寄りたくないと思うほど汚い水路や溜池しかない。
基本は線路沿いに歩いているので、駅が一つの目標地点になる。駅だからトイレや売店もあるのではと期待した。したが、今日は土曜日だった。
ここら辺の駅はどう見ても駅周辺の工場や配送センターに勤務する人達のため「だけ」にあるだろうというような駅で、週末、しかも明日はイースターという特別な土曜日の今日は完全無人。コーヒースタンドはシャッターが閉まり、トイレはサインはあるものの鍵を閉めてしまっているようでどこにあるかさえわからなかった。
次のCarregado駅でなぜかルートは線路を越えて向こう側に行く。向こう側に行くと言っても向こう側にある空き地&農地の真っ只中を歩くだけで、状況が変わるわけではないのだが、ありがたいことに駅周辺に小さな集落がありカフェが数件あるようだった。
期待を込めてたどり着いてみれば、1件目閉まっている。2件目、閉まっている。3件目、閉まっている。。。そうだ、改めて、今日は週末だ。
4件目のレストランもおもいっきり閉まっており、もはや万策尽きたか。。。と絶望しかけた時、巨神兵がレストラン併設のカフェ(真横)の店内が暗いながらももしかしたら、とドアを開けて見た。一応、中には人がいた。そして一応コーヒーやサンドイッチも言えば作ってもらえた。
奥のキッチンでは調理の人達が働き、私たちがカフェ側で遅い朝食を取っている間に横のレストランの準備がどんどん進んでいっていた。平日なら通勤通学用に朝から開いているカフェでも、週末はおそらくお昼から開けるのかもしれない。
とりあえずのエネルギーは供給し、農地の真ん中の道路を歩いていく。初日からここまで、私たち以外に歩いているハイカーは一人しか見なかった代わりに、自転車は頻繁にすれ違う。ただし、大きな荷物を付けた長期旅行系はほとんどいなかった。
舗装農道が終わり、幹線道路を横切るとNova da Rainha 村に到着。
この村を過ぎると再び線路を越えて「何もない」空き地歩きが今日のゴール地点まで続く。ここでちゃんと食事をとり、この先の水の補給もしておく必要がある。折しも時刻はちょうどお昼を過ぎたばかり、予めGoogle マップで目星をつけていたレストランも開店しており、ランチをとった。
お店の女性は英語も話せ、とても気さくだった。巨神兵は牛のステーキ、私は豚肉料理。豚肉はステーキかポルトガル風かどちらが良いかと問われたので、ここは当然ポルトガル風に。ありがたかったのは、「あなたはたくさん食べる方ですか?それとも少なめ?」と聞いてくれたこと。つい先ほどカフェでちょっと小腹は満たしているし、ハイク中はランチはがっつり食べないので「ものすごく少しでいいです」と答えると「では半分の量にしておきますね」と気を利かせてくれたこと。
程なく出てきた「半量」の豚肉料理は、それでも結構な量があり食べきれなかったので、本当に聞いてくれて良かった。ポルトガル風のその豚肉料理は、皮付きの豚バラを小骨もついて細かく切り、オレンジと一緒に煮ているようだった。そこにライスと大量のポテトフライがつく。巨神兵のステーキも巨大だった。「昔からこの近辺で働いていた労働者たちが力とスタミナがつくようにと作られた料理ですよ」と歴史を少し話してくれた。
ポルトガルに来てからソフトドリンクと言えば、缶が主流でガラス瓶が次点、ペットボトルは1リットルサイズ以上のものしかない。今回は普段は持ってこないナルゲンの500mlボトルが意外にも大活躍することとなった。カフェやレストランで缶のアイスティーを買い、その場でボトルに移し替える。これでこの先の行程の水分は大丈夫なはずだ。
村を後にして再び線路まで戻り、駅の階段を利用して向こう側に渡る。ここからは一直線ひたすら線路脇の未舗装農道歩きだ。駅にあった説明板では駅のすぐ裏の広大な空き地は昔々は軍の航空基地だったようだ。今は何もない、畑もない、ところどころで溜池のようなものもあるので、もしかしたらもう少し時期が遅ければまた違った光景なのかもしれない。ただ、今は溜池や湿地ですら涸れかけているものもあるほどで、毎日見事なまでの真っ青な空。つまり、この道ぞいには日陰すらない。毎日朝方は涼しいものの、昼を過ぎてからはぐっと気温が上がり本格的な暑さになる。乾燥しきっているので汗をかいてもすぐ飛んでしまい、服や肌がベトつかないのは良い。
さて、この線路ぞいのカラカラの道では、道沿いの雑草も干からびて茎だけになっている。そこに何やら小さな種のような、日本でのジュズダマ草みたいな乾いた小さな実がびっしりとどれにもこれにもついている。よくよく見てみれば、この小さな実はすべてからっからになったカタツムリなのだった。
手の小指の爪ぐらいか少し小さいカタツムリが、一つの草の茎にびっしり、中には二重にも三重にも連なって張り付いている。アブラムシがびっしりと野菜の茎にくっつく、あれとほぼ同じ状態のカタツムリ版だ。
道沿いのありとあらゆる枯れた草がその状態で、それが何キロも道の両側に続いている。
真っ白な粉のような砂地の道に、陽に枯れた草、干上がったカタツムリ、上空の雲ひとつない青空から降り注ぐ容赦ない太陽光線。
見ると、草の茎だけではなく、線路の脇のフェンスの柱や、なんなら鉄の門にまで張り付いているカタツムリ。草であれば、必死に日差しを避けて葉の陰に隠れようとしたけど、結局その葉も枯れてしまって干からびたのかと思ったが、柱や門では、ここはどう考えても1日のうちのいつの時間でも日陰にはならないというところにもいっぱい張り付いている。
カタツムリは何を目指して上に上に登っていたのだろう。
そして、このカタツムリの森ははたして生きているのか死んでいるのか。ひょっとして雨が来ると生き返って活動し始めるのか?と少し水をかけてみたが、この程度の少量の水ではさすがにフリーズドライ食品のようにぱッと戻りはしなかった。
乾いた大地と白い砂の道、カタツムリの死の森を延々10km近く、今日のゴール地点であるAzambujaの街に到着した。
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