記録ID: 5869200
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ハイキング
京都・北摂
後鳥羽上皇の水無瀬離宮跡を訪ねて櫻井・山崎の西国街道を歩く
2023年08月26日(土) [日帰り]



体力度
1
日帰りが可能
- GPS
- 04:02
- 距離
- 5.4km
- 登り
- 37m
- 下り
- 21m
コースタイム
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2023年08月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
自動車道(現代の西国街道)や交差点は横断に注意 JRの線路を横断するので踏切に注意 |
その他周辺情報 | 駅周辺に色々ある 途中にコンビニなどある |
写真
島本町歴史資料館で
町内の遺跡
この図で真中の青緑と赤が水無瀬荘(園)、青緑中の濃桃色赤が水無瀬離宮跡(と考えられている 全て発掘されているわけではなく建設のために中断されてしまった、淀川水無瀬の砂洲)
町内の遺跡
この図で真中の青緑と赤が水無瀬荘(園)、青緑中の濃桃色赤が水無瀬離宮跡(と考えられている 全て発掘されているわけではなく建設のために中断されてしまった、淀川水無瀬の砂洲)
資料館で展示の平安時代の将棋盤と駒
駒数が多い 「水無瀬駒」駒数92枚
「盲虎」、「反車」、「龍馬」とか、、
沢山ありすぎてどういうやり方だったのか、、
AIの時代だから350枚とかもやれるのかも
駒数が多い 「水無瀬駒」駒数92枚
「盲虎」、「反車」、「龍馬」とか、、
沢山ありすぎてどういうやり方だったのか、、
AIの時代だから350枚とかもやれるのかも
この場所の端に生い茂っていた
幹回り4、1mの楠の枯木の幹部分
1897年枯死
大きさから、この下で楠公父子が駒を止めて別れたと考えられる
駒を停めたというのはここが駅であったからだろう
幹回り4、1mの楠の枯木の幹部分
1897年枯死
大きさから、この下で楠公父子が駒を止めて別れたと考えられる
駒を停めたというのはここが駅であったからだろう
装備
個人装備 |
雨具
日よけ帽子
昼ご飯
非常食
飲料
地図(地形図)
筆記用具
常備薬
携帯
サングラス
タオル
カメラ
|
---|
感想
西宮市の「白鷹録水苑」の歴史ウオークに参加した
最近は講師先生により西国街道を歩いている
今回は高槻市の手前の水無瀬川沿にあったと思われる遺跡の発掘調査跡
を歩いた
私は毎年登る京都の山「桟敷岳」の惟喬親王伝説の関係で
この水無瀬離宮跡を歩くのはとても興味がありました
後鳥羽天皇、在原業平、惟喬親王、藤原定家、、
ここは後に東大寺荘園となり現在は水無瀬神宮の地となっている
また西国街道の島本駅前には「桜井駅跡」に公園があり
南北朝時代の櫻井での楠木正成・楠木正行父子の別れがあまりにも悲しい
南北朝の戦績は近畿一円の有名な山々に広がっている
今回、面白く感じたものは、水無瀬将棋、駒数が多くて、、
また後鳥羽上皇もめでたであろう「水無瀬滝」(平安時代の人の歌がある、万葉集にもあるそうだ)も。
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