春の妖精たちと春呼び鍋 城下町柏原散策と丹波金山
- GPS
- 06:06
- 距離
- 10.6km
- 登り
- 332m
- 下り
- 463m
コースタイム
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2010年03月の天気図 |
アクセス | |
コース状況/ 危険箇所等 |
◆スプリング・エフェメラル スプリング・エフェメラル(Spring ephemeral)は、春先に花をつけ、夏まで葉をつけると、あとは地下で過ごす一連の草花の総称。 ◆金山城 天正3年(1575)頃より丹波侵攻をはじめた明智光秀は、連合した丹波勢の抵抗にてこずる。八上城主波多野秀治と黒井城主赤井直正との連携を分断するため、天正7年(1779)両城の中間点である金山山頂に城を築く。金山城は本曲輪(本丸)・腰曲輪・二の曲輪・出曲輪・馬場・帯曲輪を構えた堅固な城郭で、光秀の丹波攻略最大の拠点であった。 |
写真
感想
昨年に続き。今年も丹波金山にスプリング・エフェメラル春の妖精に会いに行ってきた。今年はJR柏原駅に集合し丹波柏原の城下町を散策してからバスで追入まで移動して金山に登り柏原に下山するルートである。
柏原までバイクを走らせた。八幡神社下の観光者用駐車場にバイクを停め集合場所のJR柏原駅へと向かった。柏原は織田家の城下町として栄えた街である。駅から太鼓やぐら、推定樹齢千年のケヤキの大木の根が川をまたいで橋の様になっている木の根橋、織田神社、八幡神社、柏原藩陣屋跡、歴史民族資料館(田ステ女記念館)と柏原の城下町を散策。
散策後、柏原駅前からバスで金山登山口まで移動。登山口にザックをデポし春の妖精たちに会いに行く。雪ワリイチゲやアズマイチゲなど、沢山の妖精たちが出迎えてくれた。
登山口まで戻り、金山の山頂を目指す。山頂はかつて明智光秀によって築かれた比高約300mの金山城本丸跡である。織田信長の命によって明智光秀の丹波攻略が開始され、八上城主波多野秀治と黒井城主赤井直正との連携を分断するために、両城の中間点に楔を打ち込む為に築城されたといわれている。
登山口から30分ほどで園林寺跡の広場に出る。形の良い石垣が残っているが、石垣の上には、瓦や廃材、食器のかけらなどが散乱している。何とも哀れな光景だ。石垣からしばらく登ると馬場跡にでる。馬場跡なのでしばらく平坦な道が続く。馬場跡の先で直接山頂へ登る道と鬼のかけ橋経由で登るルートの分岐である。我々は鬼のかけ橋経由の道を進む。
鬼のかけ橋は大江山の鬼がかけたといわれる大きな岩の架け橋である。架け橋の上や横の巨岩に登って眺望を楽しんだり、写真を撮ったりと、みんな思い思いに楽しんだ後、バンダナショットを撮って山頂へ。
山頂で少し遅めの昼食。これも今回のメインのひつつ春呼鍋。みんなが持ち寄った食材での寄せ鍋である。誰が何を持ってくるとかの分担はなく、皆が思い思いの食材を持ち寄るのだが、野菜ばっかりとか豆腐ばっかりとかうどんばっかりとかにならず、バランスよく色々な食材が揃うから不思議だ。
青空の下、美味しいお鍋と春の食材での天ぷらを満喫。みんなから食材が集まった時は、こんなに沢山食べれるのかと言っていたのだがほぼ完食。満足の昼食であった。
下山は鬼のかけ橋方面から鐘ケ坂公園へ下りそこから柏原へと歩いた。鐘ケ坂公園から鬼のかけ橋を見上げることができる。橋の隙間もしっかり確認できる。上からのぞいた場所を下から眺めるってのもおつなものである。
大阪方面への列車出発時間間際に柏原駅に到着。JR組は切符を買うのより先に我先にとKIOSKでビールを買い込んでいる。車・バイク組4人でみんなを見送ったあと帰路についた。
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