熊野古道_紀伊路4

- GPS
- 05:08
- 距離
- 18.6km
- 登り
- 71m
- 下り
- 45m
コースタイム
- 山行
- 5:08
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 5:08
過去天気図(気象庁) | 2022年12月の天気図 |
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アクセス |
写真
感想
熊野古道紀伊路、大阪部分を歩く4日目。
ずっと連泊している北浜エリアの宿から前日終了の駅まで戻ってくるのに要する時間が、私達の歩みが南下するに従いどんどん長時間になってくる。この日も、東貝塚駅まで1時間程度かかった。
ようやく到着して意気揚々と歩き出した直後、大きなため池の東側の道をそのまま直進してしまった。GPSに道外れを通知されて初めて気づく、正しい道は池の西側だ。これだけ大きなため池がほぼ完全に涸れている。全国的に水不足と聞いても、徳島のそれも降雨量が多い地域にいるとなかなか実感がわかなったが、どうやら本当のようだ。
今日も道は住宅街の中をずっと続いていく。
ただ、大阪もここまで下がってくるともう都会っぽさは消え、道の両脇に立ち並ぶ家も、門構えが立派で歴史の有りそうな大きな家が多く残っている。
紀伊路は大部分が舗装道路になってしまっているため、熊野古道の中でも人気度はどっと落ちるが、途上には古い道標や一里塚がけっこう残っている。ルート上にある歴史的遺構などにはきれいな情報板が立っていて、地域の人達がこの古い街道を大事にしていることが伺われた。
今日歩いているには泉佐野市と泉南市で、周囲に畑や稲刈り後の田んぼも多くなってきた。和泉山脈の連なりも、視界にどんどん大きくなっていく。あの山の向こうは和歌山だ。
大阪という土地柄か、道端に残る古い立派な墓はいずれも大阪夏の陣での武勇伝の残る武将のものだった。
泉南市に入ると、熊野古道(熊野街道)への力の入りっぷりが更に増量。ルートを示す立て札や道標が増え、熊野古道と文字が入った大きな白い提灯を門の軒先に吊るしている家も数件ある。
かつてこの地域で最も栄えた宿場だったという信達宿の通りは、当時を忍ばせる古い家がが並び、紀伊路ここまでの3日間から一転、いっきに街道・古道の雰囲気になった。
かつての信達一之瀬王子だったという、裸の木が一本だけそびえている小さな空き地を過ぎて、両脇を林に挟まれた低い丘の上を走る道路を上り切ると、向こう側は大きく開けた農村地域で、その背後には和泉山脈がとても大きく見える。
熊野街道は、64号線から離れて古い家々の間を抜ける車一台分の幅の道になり、そのまま夕暮れの静かな道をしばらく進む。
大きな鳥居の立つ角を曲がれば、そこは今日の終了地点の和泉鳥取駅だった。
当初の予定ではこの後も数日は紀伊路を進もうかと考えていたのだが、やはり大阪のキタを拠点に行ったり来たりするのに1時間以上ずつかかってしまうと、歩く時間も少なくなり面倒くさい。今回はキリのよいここ和泉鳥取駅までの4日間で紀伊路歩きは一旦終了とすることに決めた。
今夜はこの後、長居植物園で去る7月から常設展示されているチームラボ★ボタニカルガーデンを見に行くことにした。
長居駅に着いた後、完全に暗くなるまでファミレスで夕食をとりつつ休憩。
6時を過ぎたところで長居公園の正面入口から園内に入り、植物園を目指した。案内板を見るまでもなく、カップルや家族連れの人々がみな同じ方向に歩いていくので、それに続く。
チームラボの作品はこれまで徳島や高知の野外でイベントを何箇所か見たことがある。高知城でのプロジェクションマッピングは良かったが、徳島での数カ所はやや物足りなかったので、今回もあまり期待しすぎないようにしていた。
ありがたいことに、期待は良い方に裏切られ、広い園内でそれぞれ違ったスタイルの展示が数多くあり、見ごたえは十分だった。
紀伊路のルート詳細は地図は以下のサイトからダウンロードできます。
大阪部分:「歴史街道ウォーキングマップ」内の「熊野街道」
https://www.pref.osaka.lg.jp/doroseibi/kakusyusesaku/rekishikaidou.html
和歌山部分:「和歌山県公式観光情報」内の「街道マップ:熊野古道紀伊路」
https://www.wakayama-kanko.or.jp/plan-your-trip/model-courses/route-map/kiiji/
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