伊勢崎市太田町の五郎神社。祭神は鎌倉権五郎景政。先週、長尾景春関連で訪ねた権五郎神社と偶然繋がりました。
u)私の町の氏神様から、ご案内のスタートです。なぜかこの地に矢が流れついたのですよ。
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12/2 8:12
伊勢崎市太田町の五郎神社。祭神は鎌倉権五郎景政。先週、長尾景春関連で訪ねた権五郎神社と偶然繋がりました。
u)私の町の氏神様から、ご案内のスタートです。なぜかこの地に矢が流れついたのですよ。
ちなみに『太田』は道灌に由来するということなので、この辺りも景春vs道灌の小競り合いがあったのかな?
u)公民館であった郷土のお話しの資料に、「郡史によると太田道灌の名に因む」とあります。どんな背景かは??
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12/2 8:17
ちなみに『太田』は道灌に由来するということなので、この辺りも景春vs道灌の小競り合いがあったのかな?
u)公民館であった郷土のお話しの資料に、「郡史によると太田道灌の名に因む」とあります。どんな背景かは??
境内の石祠:右「宝暦十一年辛己正月吉日(1761)」願主は「太田村」の方。左「文政五壬午年十二月吉日(1822)」
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12/2 8:20
境内の石祠:右「宝暦十一年辛己正月吉日(1761)」願主は「太田村」の方。左「文政五壬午年十二月吉日(1822)」
華蔵寺公園のカブトムシvsクワガタのモニュメント。どっちが景春で、どっちが道灌かな(笑)
u)写ってるドーハンくんを探すと、カブトムシのデカさかげんがわかります。
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12/2 8:41
華蔵寺公園のカブトムシvsクワガタのモニュメント。どっちが景春で、どっちが道灌かな(笑)
u)写ってるドーハンくんを探すと、カブトムシのデカさかげんがわかります。
後ろから見たらカブトムシの幼虫かと思いましたが、繭玉とお蚕さんでした。伊勢崎もシルクで栄えたようですね。
u)「銘仙織出す伊勢崎市(上毛かるた)」であります。市内にある機織りと養蚕の神様「倭文神社」もご案内出来るとよかったです。
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12/2 8:42
後ろから見たらカブトムシの幼虫かと思いましたが、繭玉とお蚕さんでした。伊勢崎もシルクで栄えたようですね。
u)「銘仙織出す伊勢崎市(上毛かるた)」であります。市内にある機織りと養蚕の神様「倭文神社」もご案内出来るとよかったです。
元々は華蔵寺の境内で、古墳や神社もあったみたいです。こちらの駐車場をお借りして、御嶽山古墳へ。
u)今更ですが、球場のほうまで含めて華蔵寺公園だったとは。
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12/2 8:43
元々は華蔵寺の境内で、古墳や神社もあったみたいです。こちらの駐車場をお借りして、御嶽山古墳へ。
u)今更ですが、球場のほうまで含めて華蔵寺公園だったとは。
社務所前に「御嶽山」の石燈籠があります。台石には大きな講紋。
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12/2 8:48
社務所前に「御嶽山」の石燈籠があります。台石には大きな講紋。
鳥居には「熊野宮」
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12/2 8:49
鳥居には「熊野宮」
霊神碑
u)丸勢講なのかな、伊勢崎講なのかな。
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12/2 8:49
霊神碑
u)丸勢講なのかな、伊勢崎講なのかな。
【覚明大行者 元治元年三月之吉 設楽□□書(1864)】
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12/2 8:50
【覚明大行者 元治元年三月之吉 設楽□□書(1864)】
水神宮の石祠の隣にはセットのように、
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12/2 8:51
水神宮の石祠の隣にはセットのように、
【清瀧神社 同郡赤堀村 願主 六十七 高山伊之】
【八大龍王 文久四年甲子三月吉日 村中(1864)】
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12/2 8:51
【清瀧神社 同郡赤堀村 願主 六十七 高山伊之】
【八大龍王 文久四年甲子三月吉日 村中(1864)】
これは嬉しい石祠がありました。「天保三壬辰四月吉日(1832)」
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12/2 8:56
これは嬉しい石祠がありました。「天保三壬辰四月吉日(1832)」
摩多利神。疫病退散の神。妻沼聖天宮の摩多利社からの勧請と思われます。
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12/2 8:57
摩多利神。疫病退散の神。妻沼聖天宮の摩多利社からの勧請と思われます。
【普観行者 文久二年壬戌十二月吉日 伊勢崎講中(1862)】
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12/2 8:58
【普観行者 文久二年壬戌十二月吉日 伊勢崎講中(1862)】
【一心大行者 仁風逸史渙敬書 万延元庚申 秋十月吉日 中村 岡村佐源次 安堀 坂庭曽平(1860)】
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12/2 8:59
【一心大行者 仁風逸史渙敬書 万延元庚申 秋十月吉日 中村 岡村佐源次 安堀 坂庭曽平(1860)】
【制咜迦童子(線刻)、不動明王、不動明王、矜羯羅童子(線刻)】三尊像の脇に「蔓延元庚申年十月吉日(1860)」願主銘の標石があります。
u)矜羯羅童子は欠けてしまっています。頭がないか辺りを探してみるも、見つからず。
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12/2 9:01
【制咜迦童子(線刻)、不動明王、不動明王、矜羯羅童子(線刻)】三尊像の脇に「蔓延元庚申年十月吉日(1860)」願主銘の標石があります。
u)矜羯羅童子は欠けてしまっています。頭がないか辺りを探してみるも、見つからず。
【不動明王】何かかわいい不動様。
u)小さいながらも、向かってくる感じです。
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12/2 9:01
【不動明王】何かかわいい不動様。
u)小さいながらも、向かってくる感じです。
墳頂部の石塔、石祠群。
u)拝見しているところに、月一でお詣りに来ているという方がいらっしゃいました。お嫁に来たのでわからないそうですが、大事にされている方に会えて嬉しかったです。
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12/2 9:02
墳頂部の石塔、石祠群。
u)拝見しているところに、月一でお詣りに来ているという方がいらっしゃいました。お嫁に来たのでわからないそうですが、大事にされている方に会えて嬉しかったです。
【巌戸大権現 菜風 源豊拝書 万延元庚申十一月之吉 伊勢崎町(1860)+願主名】
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12/2 9:03
【巌戸大権現 菜風 源豊拝書 万延元庚申十一月之吉 伊勢崎町(1860)+願主名】
【阿留摩耶天狗 文久ニ壬戌年 二月吉祥日+願主(1862)】
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12/2 9:04
【阿留摩耶天狗 文久ニ壬戌年 二月吉祥日+願主(1862)】
こちらが熊野宮のようです。
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12/2 9:07
こちらが熊野宮のようです。
【日野大権現 安政七年 庚申三月 吉日樹之 施主 伊勢崎本町笹屋幸五郎(1860)】
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12/2 9:07
【日野大権現 安政七年 庚申三月 吉日樹之 施主 伊勢崎本町笹屋幸五郎(1860)】
【嘉永四亥年 十二月十八日 〈アーンク〉八海山提頭羅親王 御嶽山蔵王大権現 三笠山刀利天 菊池八十八(1851)】
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12/2 9:09
【嘉永四亥年 十二月十八日 〈アーンク〉八海山提頭羅親王 御嶽山蔵王大権現 三笠山刀利天 菊池八十八(1851)】
【八海山提頭羅親王 御嶽山蔵王大権現 三笠山刀天 安政六巳年 未九月吉日 当山□ 三十九世 祐義 (1859)】
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12/2 9:10
【八海山提頭羅親王 御嶽山蔵王大権現 三笠山刀天 安政六巳年 未九月吉日 当山□ 三十九世 祐義 (1859)】
江戸物の立派な三座神の石塔です。
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12/2 9:10
江戸物の立派な三座神の石塔です。
台石には講紋あり。別当は華蔵寺かなぁ。妄想ですが元は華蔵寺境内に祀られたものが神仏分離でこちらに移されたのかも。
u)華蔵寺はキーみたいですね。華蔵寺についてなら、調べれば何か残っていそうな感じがします。
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12/2 9:11
台石には講紋あり。別当は華蔵寺かなぁ。妄想ですが元は華蔵寺境内に祀られたものが神仏分離でこちらに移されたのかも。
u)華蔵寺はキーみたいですね。華蔵寺についてなら、調べれば何か残っていそうな感じがします。
【八海山提頭羅神 御嶽山蔵王大権現 三笠山刀天 嘉永六丑九月吉日 高橋類治(1853)】
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12/2 9:13
【八海山提頭羅神 御嶽山蔵王大権現 三笠山刀天 嘉永六丑九月吉日 高橋類治(1853)】
【宜波羅山大権現 文久四年庚甲子三月吉日 一菴美孝書 大願主 下植木村 根岸九良左ヱ門(1864)】
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12/2 9:14
【宜波羅山大権現 文久四年庚甲子三月吉日 一菴美孝書 大願主 下植木村 根岸九良左ヱ門(1864)】
【摩利支天 安政七庚申年三月吉辰 施主 伊勢崎本町 藤谷庄八(1860)】
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12/2 9:15
【摩利支天 安政七庚申年三月吉辰 施主 伊勢崎本町 藤谷庄八(1860)】
【大江大権現 明治廿ニ丑年七月日 当所願主 菊池平次郎(1889)】
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12/2 9:16
【大江大権現 明治廿ニ丑年七月日 当所願主 菊池平次郎(1889)】
【長崎大明神 元治元年歳次甲子十月吉日 武州榛沢郡□塚村 河田郡司 世話人 細野□右衛門(1864)】
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12/2 9:16
【長崎大明神 元治元年歳次甲子十月吉日 武州榛沢郡□塚村 河田郡司 世話人 細野□右衛門(1864)】
【庚申塔:大田[埋没] 元治[埋没](1864~1865)】
u)他にも庚申塔は沢山あります。
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12/2 9:18
【庚申塔:大田[埋没] 元治[埋没](1864~1865)】
u)他にも庚申塔は沢山あります。
u)御嶽山古墳を後にし、華蔵寺公園に戻ってきました。この一角には、六十六の観音霊場の碑が林立します。
【西国三十三所観音霊像:大正五年三月建設 尊像敬画謹刻雲鳳】
【坂東三十三所観世音(文字塔):昭和五年十二月十七日 中村雲鳳刻】
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12/2 9:25
u)御嶽山古墳を後にし、華蔵寺公園に戻ってきました。この一角には、六十六の観音霊場の碑が林立します。
【西国三十三所観音霊像:大正五年三月建設 尊像敬画謹刻雲鳳】
【坂東三十三所観世音(文字塔):昭和五年十二月十七日 中村雲鳳刻】
【鳥州金井先生碑】旧境町の出身で江戸で詩文。絵画を学び谷文晁の教えも受ける。関西では頼山陽とも交流する。碑文の選・書は何と齢九十の渋沢栄一。先生は志士の支援もしたそうなので、その時の関係かなぁ?
u)渋沢栄一の選・書だったのですか!とてもきれいな字です。これだけの文章をつくり、文字を書く。その集中力と体力だけでも半端ない💦それを九十でこなすとは(゚д゚lll)
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12/2 9:28
【鳥州金井先生碑】旧境町の出身で江戸で詩文。絵画を学び谷文晁の教えも受ける。関西では頼山陽とも交流する。碑文の選・書は何と齢九十の渋沢栄一。先生は志士の支援もしたそうなので、その時の関係かなぁ?
u)渋沢栄一の選・書だったのですか!とてもきれいな字です。これだけの文章をつくり、文字を書く。その集中力と体力だけでも半端ない💦それを九十でこなすとは(゚д゚lll)
【奉献石灯籠両基 東叡山 文恭院殿(11代家斉) 尊前 天保十二辛丑年閨正月晦日 越後国新発田城主 溝口主膳正道溥(1841)】元は上野寛永寺にあったものですね。
u)秩父にある増上寺の灯籠を思い出します。
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12/2 9:31
【奉献石灯籠両基 東叡山 文恭院殿(11代家斉) 尊前 天保十二辛丑年閨正月晦日 越後国新発田城主 溝口主膳正道溥(1841)】元は上野寛永寺にあったものですね。
u)秩父にある増上寺の灯籠を思い出します。
【中教正深沢心寛霊神 大正六年四月九日立建 藤原朝臣 長島到道謹書 御嶽登山五十度 武尊登山六度 講元深沢春吉 駒形町石工 宮崎弘道(1917)】こちらは、
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12/2 9:52
【中教正深沢心寛霊神 大正六年四月九日立建 藤原朝臣 長島到道謹書 御嶽登山五十度 武尊登山六度 講元深沢春吉 駒形町石工 宮崎弘道(1917)】こちらは、
華蔵寺公園から武尊宮に向かう道の角にある御嶽本教一心講社の御嶽塚。同じ「深沢」姓ですが、心明行者とは直接の関係はないそうです。
u)同じ深沢でも関係ないとは思いませんでした。聞いてみないとわからないものです。
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12/2 9:53
華蔵寺公園から武尊宮に向かう道の角にある御嶽本教一心講社の御嶽塚。同じ「深沢」姓ですが、心明行者とは直接の関係はないそうです。
u)同じ深沢でも関係ないとは思いませんでした。聞いてみないとわからないものです。
【摩利支天 栗原子之八敬書 深沢寛行 勢多郡木瀬村大字下増田 板垣国太郎 明治三十八年一月一日建(1905)】
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12/2 9:54
【摩利支天 栗原子之八敬書 深沢寛行 勢多郡木瀬村大字下増田 板垣国太郎 明治三十八年一月一日建(1905)】
【八海山大神 三笠山大神 清瀧弁財天 清瀧不動尊 武尊山大神 普寛霊神 一心霊神 願主深沢寛行 藤原朝臣致道敬書 明治三拾八年一月九日 立建(1905)】
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12/2 9:55
【八海山大神 三笠山大神 清瀧弁財天 清瀧不動尊 武尊山大神 普寛霊神 一心霊神 願主深沢寛行 藤原朝臣致道敬書 明治三拾八年一月九日 立建(1905)】
【御嶽大神 大講義深沢霊神 本教管長 従四位鴻雪爪時年八十八 千葉掬刀 明治三十五年五月九日(1902)】
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12/2 9:56
【御嶽大神 大講義深沢霊神 本教管長 従四位鴻雪爪時年八十八 千葉掬刀 明治三十五年五月九日(1902)】
石灯籠はシンプルですが、火袋が洒落ていましす。「山に一心」
u)一見「念」のように見えます。いいデザインです。
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12/2 9:58
石灯籠はシンプルですが、火袋が洒落ていましす。「山に一心」
u)一見「念」のように見えます。いいデザインです。
心明行者の御子孫が宮司を務める武尊宮(伊勢崎市波志江町1980武尊山教会所)。ご自宅の玄関を兼ねています。宮司さんにご挨拶するUmiさんに付いていったら、
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12/2 10:01
心明行者の御子孫が宮司を務める武尊宮(伊勢崎市波志江町1980武尊山教会所)。ご自宅の玄関を兼ねています。宮司さんにご挨拶するUmiさんに付いていったら、
『武尊山開山史』の小冊子をいただきました。それによると普寛行者は「是より百年の後伊勢崎在より、武尊山奥院全部を開く者(心明行者)出づ」と予言していたようです。
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『武尊山開山史』の小冊子をいただきました。それによると普寛行者は「是より百年の後伊勢崎在より、武尊山奥院全部を開く者(心明行者)出づ」と予言していたようです。
武尊塚。石灯籠のタイプだ先ほどの一心講社のものと同じタイプです。
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12/2 10:07
武尊塚。石灯籠のタイプだ先ほどの一心講社のものと同じタイプです。
【武尊山大神 開闢心明霊神 御嶽教管長 従四位鴻雪爪敬書 明治丗四年 四月十九日 諸講社中 献石主 横堀弥惣治 上植木村石工 川端友太郎(1901)】
u)先程の御嶽塚にあった御嶽大神の碑と同じ方の字です。
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12/2 10:07
【武尊山大神 開闢心明霊神 御嶽教管長 従四位鴻雪爪敬書 明治丗四年 四月十九日 諸講社中 献石主 横堀弥惣治 上植木村石工 川端友太郎(1901)】
u)先程の御嶽塚にあった御嶽大神の碑と同じ方の字です。
【大日大聖不動明王 願主川村嶽司】
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12/2 10:09
【大日大聖不動明王 願主川村嶽司】
【一心大行者 書 大願成就 細井いね】
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12/2 10:11
【一心大行者 書 大願成就 細井いね】
【御嶽山開闢 普寛霊神 明治廿七年七月年回記ス 武尊山白鳥講社 世話人 深沢春吉 講社中(1894)】
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12/2 10:16
【御嶽山開闢 普寛霊神 明治廿七年七月年回記ス 武尊山白鳥講社 世話人 深沢春吉 講社中(1894)】
【御嶽山大神】
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12/2 10:17
【御嶽山大神】
【八海山大神 御嶽山大神 三笠山大神 一爪】
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12/2 10:18
【八海山大神 御嶽山大神 三笠山大神 一爪】
【普覚大霊神 御嶽教管長従四位鴻雪爪時年八十九】
【覚明行者 明治廿八年十二月吉辰(1895)】
【摩利支天 明治廿七年九月 武尊山白鳥講社中 二十九日(1894)】
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12/2 10:20
【普覚大霊神 御嶽教管長従四位鴻雪爪時年八十九】
【覚明行者 明治廿八年十二月吉辰(1895)】
【摩利支天 明治廿七年九月 武尊山白鳥講社中 二十九日(1894)】
【覚明行者 明治廿八年十二月吉辰(1895)】
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12/2 10:22
【覚明行者 明治廿八年十二月吉辰(1895)】
額【正一位稲荷大明神 天保十巳亥年十二月吉日(1839)】石鳥居「文政四辛巳年正月吉日(1821)」
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12/2 10:24
額【正一位稲荷大明神 天保十巳亥年十二月吉日(1839)】石鳥居「文政四辛巳年正月吉日(1821)」
稲荷社が鎮座しています。
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12/2 10:25
稲荷社が鎮座しています。
かわいい手水鉢には黄葉の楓
u)ドーハンくん、似合いますね。
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12/2 10:26
かわいい手水鉢には黄葉の楓
u)ドーハンくん、似合いますね。
お狐様(明治廿九年、1896)は手拭いを鉢巻きにしてやる気満々です。
u)なっから働きそうです。
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12/2 10:27
お狐様(明治廿九年、1896)は手拭いを鉢巻きにしてやる気満々です。
u)なっから働きそうです。
一方、地蔵尊は優しい笑顔。
u)木漏れ日が似合いますね。
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12/2 10:28
一方、地蔵尊は優しい笑顔。
u)木漏れ日が似合いますね。
社の裏に石室の一部かな。ここはお樫稲荷古墳と呼ばれているみたい。
u)古墳マニアの方も訪れるそうです。石室の石材の一部か?と書かれてました。
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12/2 10:29
社の裏に石室の一部かな。ここはお樫稲荷古墳と呼ばれているみたい。
u)古墳マニアの方も訪れるそうです。石室の石材の一部か?と書かれてました。
「武尊山大先達 深澤心明霊神 宮司深澤心友謹書」と不動明王。右は「皇徳霊神」碑(明治二十二・丑・四月…?)。奥は戦没者を祀る社で、別の所にあったものをこちらで引き受けたそう。この後、心明行者のお墓の場所も教えていただきお詣りしました。
u)奥のお社がなんのお社か教えていただけ、心明行者のお墓にもお詣りもできてよかったです。また、宮司さんは、氏神様の五郎神社も受け持っていらっしゃいました。知らなかったぁ💦
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12/2 10:31
「武尊山大先達 深澤心明霊神 宮司深澤心友謹書」と不動明王。右は「皇徳霊神」碑(明治二十二・丑・四月…?)。奥は戦没者を祀る社で、別の所にあったものをこちらで引き受けたそう。この後、心明行者のお墓の場所も教えていただきお詣りしました。
u)奥のお社がなんのお社か教えていただけ、心明行者のお墓にもお詣りもできてよかったです。また、宮司さんは、氏神様の五郎神社も受け持っていらっしゃいました。知らなかったぁ💦
所変わって、天台宗金蔵寺(伊勢崎市波志江町3-1525)
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12/2 10:56
所変わって、天台宗金蔵寺(伊勢崎市波志江町3-1525)
【権大僧都法印祐賢 □□□造立也 慶安五壬辰年七月吉日(1652)】
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12/2 10:56
【権大僧都法印祐賢 □□□造立也 慶安五壬辰年七月吉日(1652)】
【地蔵菩薩坐像:天明二年壬寅仲冬日 当院三十五世 本順代 願主 道寿 当村中(1782)】
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12/2 10:58
【地蔵菩薩坐像:天明二年壬寅仲冬日 当院三十五世 本順代 願主 道寿 当村中(1782)】
【天道念仏供養塔 天保三年歳在 壬辰九月吉日 下波志江 中屋舗 大鍋 講中 ・・・
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12/2 10:59
【天道念仏供養塔 天保三年歳在 壬辰九月吉日 下波志江 中屋舗 大鍋 講中 ・・・
高遠境村 中村旧太郎(1832)】
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12/2 11:05
高遠境村 中村旧太郎(1832)】
【如意輪観音:女人講中 宝暦十二壬午之歳十月吉日(1762)】
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12/2 11:07
【如意輪観音:女人講中 宝暦十二壬午之歳十月吉日(1762)】
イチョウの黄葉が綺麗です。
u)ちょうど見頃ですね。
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12/2 11:10
イチョウの黄葉が綺麗です。
u)ちょうど見頃ですね。
【(左右常夜塔)御神灯 奉建立 天明七未歳 正月大吉 寺子 二十二人(1787)】
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12/2 11:11
【(左右常夜塔)御神灯 奉建立 天明七未歳 正月大吉 寺子 二十二人(1787)】
祠は「安永八亥天八月吉日(1779)」
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12/2 11:13
祠は「安永八亥天八月吉日(1779)」
なかなか凝った石祠です。蚕影神社だったらいいな。
u)昔のお雛様の御殿のみたいです。今度、お寺の方にどなたの祠か教えていただかねば。
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12/2 11:13
なかなか凝った石祠です。蚕影神社だったらいいな。
u)昔のお雛様の御殿のみたいです。今度、お寺の方にどなたの祠か教えていただかねば。
【馬鳴菩薩:願主頓入 造立年なし】
u)この近郊唯一の馬鳴菩薩です。四つの手には、それぞれ、糸枠、水瓶、糸、棹秤を持っています。とっても優しいお顔で私の好きな石仏のひとつですが、光の加減か、写真を撮るのがいつも困難です😿
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12/2 11:14
【馬鳴菩薩:願主頓入 造立年なし】
u)この近郊唯一の馬鳴菩薩です。四つの手には、それぞれ、糸枠、水瓶、糸、棹秤を持っています。とっても優しいお顔で私の好きな石仏のひとつですが、光の加減か、写真を撮るのがいつも困難です😿
「ヴァン」大日塔かな。
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12/2 11:14
「ヴァン」大日塔かな。
金蔵寺の石仏。お堂の中は
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12/2 11:16
金蔵寺の石仏。お堂の中は
中世の石仏らしい。
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12/2 11:17
中世の石仏らしい。
【三面馬頭観音立像:寛政七乙卯年七月吉日 施主 大鍋組中 下波志江組中 願主 岩崎常八 坂本常治】
u)ほうれい線のせいか、何処かにいそうなおじさんぽいです。
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12/2 11:17
【三面馬頭観音立像:寛政七乙卯年七月吉日 施主 大鍋組中 下波志江組中 願主 岩崎常八 坂本常治】
u)ほうれい線のせいか、何処かにいそうなおじさんぽいです。
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12/2 11:18
宝篋印塔ですが、正面のは「宝(生)筐塔」、背面「寛保二壬戌天仲冬吉祥日(1742)」、右「施主 天内清兵衛」、左には『回向』の経文。
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宝篋印塔ですが、正面のは「宝(生)筐塔」、背面「寛保二壬戌天仲冬吉祥日(1742)」、右「施主 天内清兵衛」、左には『回向』の経文。
阿弥陀様かな。お昼寝の最中みたい。
u)日向ぼっこの縁側でウトウトって感じですね。
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12/2 11:20
阿弥陀様かな。お昼寝の最中みたい。
u)日向ぼっこの縁側でウトウトって感じですね。
所変わって、「新宿農業集落センター」
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12/2 11:24
所変わって、「新宿農業集落センター」
摩利支天のお社。
【(左右常夜塔)奉造立天神宮御宝前 天明四甲辰九月吉日(1784)】
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12/2 11:25
摩利支天のお社。
【(左右常夜塔)奉造立天神宮御宝前 天明四甲辰九月吉日(1784)】
新宿の変型板碑の説明版。その他多くの石造物が集められているようです。
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12/2 11:25
新宿の変型板碑の説明版。その他多くの石造物が集められているようです。
【不動明王:天保四癸巳未春 日光山 養源院生成 弟子 法無坊成徳 下波志江 中ノ面 新宿両組 講中(1833)】
青い空と赤城を背に赤不動が映えます。
u)私のお気に入りのお不動様です✨
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12/2 11:26
【不動明王:天保四癸巳未春 日光山 養源院生成 弟子 法無坊成徳 下波志江 中ノ面 新宿両組 講中(1833)】
青い空と赤城を背に赤不動が映えます。
u)私のお気に入りのお不動様です✨
お若い感じの青年の不動様ですね。
u)✨
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12/2 11:26
お若い感じの青年の不動様ですね。
u)✨
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12/2 11:26
【勢至菩薩:石橋供養 寛政八丙辰年 四月吉日 両組講中(1796)】
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12/2 11:27
【勢至菩薩:石橋供養 寛政八丙辰年 四月吉日 両組講中(1796)】
g)風貌からてっきり大日さんかと思ったら勢至菩薩だったのですね。よく見ると欠けていますが合掌印のようですね。こちらも赤城を背に。
u)伊勢崎の石仏の本では、勢至菩薩と記載されていますが、本文中には、「立派な宝冠、両肩からの左右に長く垂れる天衣、中央の合掌印なから勢至菩薩とみたい」となっていて、断言してもいない感じです。私はいつも、上唇が気になります。
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12/2 11:27
g)風貌からてっきり大日さんかと思ったら勢至菩薩だったのですね。よく見ると欠けていますが合掌印のようですね。こちらも赤城を背に。
u)伊勢崎の石仏の本では、勢至菩薩と記載されていますが、本文中には、「立派な宝冠、両肩からの左右に長く垂れる天衣、中央の合掌印なから勢至菩薩とみたい」となっていて、断言してもいない感じです。私はいつも、上唇が気になります。
こちらがその変型板碑。板石ではないので変型と呼ぶそうです。青石ではなく安山岩だそうです。
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12/2 11:28
こちらがその変型板碑。板石ではないので変型と呼ぶそうです。青石ではなく安山岩だそうです。
「アーンク」(胎蔵界大日如来)+蓮華座「明応二年癸未七月廿八日(1493)」とあるそうです。脇には江戸期の聖観音と勢至菩薩。本来は阿弥陀如来の脇侍なので、主尊を勘違いしたのでしょうか。
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12/2 11:28
「アーンク」(胎蔵界大日如来)+蓮華座「明応二年癸未七月廿八日(1493)」とあるそうです。脇には江戸期の聖観音と勢至菩薩。本来は阿弥陀如来の脇侍なので、主尊を勘違いしたのでしょうか。
【聖観音:念仏供養下拾五人 享保五庚子年二月吉祥日(1720)】
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12/2 11:29
【聖観音:念仏供養下拾五人 享保五庚子年二月吉祥日(1720)】
【勢至菩薩:念仏供養上廿一人 享保五庚子年二月吉日(1720)】同じ所で勢至菩薩石造の立像と坐像が見られるのはレアですね。
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12/2 11:29
【勢至菩薩:念仏供養上廿一人 享保五庚子年二月吉日(1720)】同じ所で勢至菩薩石造の立像と坐像が見られるのはレアですね。
左、中(小さ!)は庚申文字塔、左は青面金剛庚申塔。
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12/2 11:30
左、中(小さ!)は庚申文字塔、左は青面金剛庚申塔。
【青面金剛:□永七稔庚寅 閨八月吉日 右廿四人施主敬白(1710)】
g)□は「宝」ですね。この方も若くてイケメンさんですね。
u)なかなか可愛いのです。
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12/2 11:30
【青面金剛:□永七稔庚寅 閨八月吉日 右廿四人施主敬白(1710)】
g)□は「宝」ですね。この方も若くてイケメンさんですね。
u)なかなか可愛いのです。
所変わって広沢御嶽山(桐生市広沢町4丁目)。配水池に向かう道路のこちらから山道へ入ります。
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12/2 14:28
所変わって広沢御嶽山(桐生市広沢町4丁目)。配水池に向かう道路のこちらから山道へ入ります。
すると、左手に石段の参道があらわれました。社殿に向かって昇っていくと、
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12/2 14:30
すると、左手に石段の参道があらわれました。社殿に向かって昇っていくと、
まずはカワイイ不動三尊がお出迎え。ミニチュアサイズの二童子の間に「成田山」とあります。
u)ちゃんとニ童子がいるんだぁ! にしても、小さっ!
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12/2 14:31
まずはカワイイ不動三尊がお出迎え。ミニチュアサイズの二童子の間に「成田山」とあります。
u)ちゃんとニ童子がいるんだぁ! にしても、小さっ!
そして右手に「真精講」の霊神碑が三基。何れも「明治三十三年四月二十六日(1900)」に建立されたもよう。「三碑石工 戸ノ内岩八」の他、「講元 小俣村 大川繁右衛門」と見覚えのある 銘がありました!
u)!!!、さすが! そういうのが見つかるとワクワクしますね。
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12/2 14:34
そして右手に「真精講」の霊神碑が三基。何れも「明治三十三年四月二十六日(1900)」に建立されたもよう。「三碑石工 戸ノ内岩八」の他、「講元 小俣村 大川繁右衛門」と見覚えのある 銘がありました!
u)!!!、さすが! そういうのが見つかるとワクワクしますね。
左には真精講の講碑。正面に講紋と「両野真精講/講元 大川繁右衛門 先達 中山鉄次郎」等など多数の講員名、そして最下部に「霊神」。背面には「真精教会」と(建碑に関わった)先達、世話人銘多数列刻。
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12/2 14:35
左には真精講の講碑。正面に講紋と「両野真精講/講元 大川繁右衛門 先達 中山鉄次郎」等など多数の講員名、そして最下部に「霊神」。背面には「真精教会」と(建碑に関わった)先達、世話人銘多数列刻。
手水鉢もありました。「明治廿八年乙未八月吉旦(1895)山下允升謹書」
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12/2 14:37
手水鉢もありました。「明治廿八年乙未八月吉旦(1895)山下允升謹書」
御嶽神社。「真精講」は日光の大真名子山に立派な銅製の三座神像を建立しています。また桐生の姥穴山も当講によるものです。
u)「真精講」の名前を大真名子山でも姥穴山でも見てきてたんですね(*゚▽゚*) この額、品があってきれいです。
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12/2 14:37
御嶽神社。「真精講」は日光の大真名子山に立派な銅製の三座神像を建立しています。また桐生の姥穴山も当講によるものです。
u)「真精講」の名前を大真名子山でも姥穴山でも見てきてたんですね(*゚▽゚*) この額、品があってきれいです。
社殿の裏手には「御嶽大神」塔がありました。
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12/2 14:39
社殿の裏手には「御嶽大神」塔がありました。
「昭和三年四月十八日 真精講中」このあと山道を下ると、
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12/2 14:40
「昭和三年四月十八日 真精講中」このあと山道を下ると、
配水池に降りました。
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12/2 14:43
配水池に降りました。
昭和50年代に建てられた新しい御嶽の神社にも立ち寄ってみました。
u)沼(?)の中央にかかった橋を通って神社に入ります。橋の右手には、オナガガモ、ハジビロガモが来てました。左手には、奉納されたスワンボートがありました。
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12/2 15:26
昭和50年代に建てられた新しい御嶽の神社にも立ち寄ってみました。
u)沼(?)の中央にかかった橋を通って神社に入ります。橋の右手には、オナガガモ、ハジビロガモが来てました。左手には、奉納されたスワンボートがありました。
<参考>大真名子山の八海山大頭羅神王像。
u)超立派∑(゚Д゚) で、想像以上💧gさん、参考の追加を、ありがとうございます。真精講の力がよくわかります。
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10/3 9:12
<参考>大真名子山の八海山大頭羅神王像。
u)超立派∑(゚Д゚) で、想像以上💧gさん、参考の追加を、ありがとうございます。真精講の力がよくわかります。
三笠山刀利天宮像
u)すごく凝ってるし∑(゚Д゚)
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10/3 10:12
三笠山刀利天宮像
u)すごく凝ってるし∑(゚Д゚)
「開闢 発願 真精講」
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10/3 10:44
「開闢 発願 真精講」
御嶽山座王大権現像と女峰山。
u)端正。
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10/3 10:55
御嶽山座王大権現像と女峰山。
u)端正。
<参考>姥穴山(御嶽山)参道の普寛霊神碑。
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12/10 12:04
<参考>姥穴山(御嶽山)参道の普寛霊神碑。
山頂の御嶽山座王大権現像。
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12/10 14:15
山頂の御嶽山座王大権現像。
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