12月6日(水)八尾市の資料館巡り
- GPS
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- 距離
- 11.5km
- 登り
- 22m
- 下り
- 20m
コースタイム
過去天気図(気象庁) | 2023年12月の天気図 |
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アクセス |
利用交通機関:
電車
自転車
|
写真
感想
八尾市の遺跡展示を見学するため、何時ものように新横浜6時発のひかりで新大阪にでて、環状線で鶴橋駅乗り換え近鉄八尾に出る。予約したチャリを西出口に取りに行き、八尾市歴史民俗資料館に向かう。四キロ弱の通い慣れた道。電動なので坂は気にならない。八尾でもっとも古いムラと言われる恩智遺跡は、大正6年、京大の梅原末治氏らにより八尾市最初の考古学的発掘調査となったらしい。学史上も重要な遺跡のようだ。同年八月には鳥居龍蔵らによる調査も行われ、このときの土器などが残されているようだ。その後何回か発掘調査が行われ、特に弥生時代から古墳時代にかけての遺構遺物が多いという。撮影が禁止されているのは残念だ。東京国立博物館を始め、多くの博物館で極力撮影を自由に認める方向になっているのに、時代に逆行している。八尾市の条例に撮影禁止となっていてそれを変える動きがないのだそうだ。
歴史民俗資料館での展示見学が長くなればその後ランチの予定だったが、以外と早く終わり、先に八尾市埋蔵文化財センターに向かうことにした来た道を途中まで引き返し、埋文センターに向かう。高安古墳群のある高台に近い歴史民俗資料館から低地にある埋蔵文化財センターまで、五キロ弱の下り基調で、チャリをすすめると20分足らずで到着。こちらも八尾市の条例で撮影禁止ー埋蔵文化財センターとしては珍しい。八尾市域は古墳古代、大陸や九州から瀬戸内海を通じて、やって来た人々が大和川水系を辿ってヤマトに向かう場合、最初に通過する交通の要衝で、久宝寺遺跡をはじめ、多くの遺跡があり、渡来系の遺物、出土品も多い。今回の展示では八尾市内で出土した南九州から関東地方まで、広い範囲の土器などが持ち込まれたことから、邪馬台国時代における八尾の役割を考える企画となっているようだ。
当時河内平野には河湖が存在し、北は淀川水系、南はヤマト水系の河川が流れ込んでいた。北は上町台地北端で瀬戸内海に注ぎ、南岸は東大阪市中南部に及んでいた。これらの河川流域に弥生時代以降の多くの遺跡が見つかっている。
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