鳥見山霊畤−初期ヤマト王権の霊場を歩く
- GPS
- --:--
- 距離
- 13.7km
- 登り
- 184m
- 下り
- 168m
コースタイム
天候 | 曇り時々雨時々晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2024年01月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車
自転車
|
写真
感想
西大寺駅までチャリで戻り、近鉄で桜井駅に出る。近鉄のレンタサイクルはなくなったが、新たにゲストハウス和櫻にあるレンタル施設、トリシクル輪にレンタルサービスが発足したことを、桜井市主催の東京イベントで知り、さっそく予約してチャリウィ受け取りに行く。桜井駅から5分もかからない。このゲストハウスはヤマト王権発祥の地と考えられる桜井市の現状を憂いて新たな街づくりの拠点として構想された場所らしい。オーナーらしき人が出てきて、手続きをして、少しスマホの充電もさせていただき、出発。通いなれた道を桜井市埋蔵文化財センターまでチャリを走らせる。今回はさほど規模の大きい展示ではないのだが、鳥見山山麓からかつて発見された遺物などに興味があり出かけてみた。「桜井に縁の-がある宝物―思いがけない大発見」というテーマで、近年、市民や市立図書館などから寄贈されたものの中から、思いがけない発見のあったものを展示している。桜井茶臼山古墳など初期ヤマト王権と関係のある遺跡の多い鳥見山周辺には、まだ知られていない多数の古墳があるらしい。今回展示された鳥見山南西麓で50年前の土砂崩れの際に発見されたという須恵器や土師器、耳環などは7世紀、古墳時代終末期のもので、この時期h−、鳥見山全体が墓域のようになっていたらしい。これまですでに多数の終末期古墳が検出sだれているようだ。そのほか、桜井茶臼山古墳から明治・大正時代に採取された朱塗りの石材や須恵器、阿部丘陵の工事で発見された須恵器の土器棺墓、飛鳥学院に保管されていた道路工事の再発見された瓦窯関連の出土瓦、ミロク谷の大型石仏の拓本、桜井市に居住した幕末の画家、岡本桃里の作品と写真など、なかなか貴重なものが展示されていた。
桜井市埋蔵文化財センターで鳥見山山麓出土品などを見て、常設展示ぼ纏向遺跡出土品なども見てから、纏向遺跡の大型建物の出土遺跡を訪ねてみた。ある考古サークルで今年は纏向遺跡に関連した本を読むことになったので、今年はその関連遺跡や遺物を極力見ることになる。今回は時間がないので大型建物が検出された纏向駅付近の広い空き地を見るが特に解説板もなかった。辻地区の一角と思われるが、辻地区の中心部に向かおうとしたが、時間が迫っていることに気づき、今回はここで終了し、鳥見山の麓にある等彌神社に向かう。12時過ぎに等彌神社に到着し、ここから鳥見山霊畤に登る。「鳥見山霊畤(れいじ)」とは初期ヤマト王権の霊場、祭祀場で伝承では神武天皇の祭祀場で新嘗祭の起源地ともいわれているようだ。桜井市埋文で見た出土品はこの鳥見山霊畤に向かう尾根とは異なる南側の尾根付近にあるようだが、どうやってアクセスするかはわからなかった。時間があれば麓から探すのだが、今回は断念、神社奥から霊畤に向かう尾根を20分ほど進むと庭殿と呼ばれる歌碑のあるマツリの宴会の場所に出て、ここで昼食コンビニ200円弁当を食べる。早朝4時前に朝食を食べたきりなのでかなりの空腹だった。腹を満たし、さらに15分ほど登り続けると霊畤という石碑があり、少し上の平坦な場所に出る。そこが霊畤らしいが、具体的な遺構・遺物が出ているわけではなく、また鳥見山霊畤に関しては、桜井市のここと宇陀市の霊畤など諸説あるようだ。記紀の神武天皇の霊畤に関する記述が史実かはともかく、初期ヤマト王権にとっての霊場という意味では、十分このエリアはその資格があるだろう。すでに1時前なので急いで下り、古墳の尾根を確認する時間も無くなり、図書館に直行、午後の講演会会場に向かった。
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