記録ID: 65376
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トレイルラン
奥武蔵
ハセツネ山岳耐久マラソン
2008年10月12日(日) 〜
2008年10月13日(月)
天候 | 晴れ |
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過去天気図(気象庁) | 2008年10月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車
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コース状況/ 危険箇所等 |
第16回・日本山岳耐久レース(24時間) 全長:72km 高低差:約5,000m、制限時間24時間「長谷川恒男CUP」 2008-10-12、13 奥多摩主要峰を縦走する国内最大のトレイルランニングレースです。 ☆◆今年の春先にトレイルランを始めて、弾みでハセツネにエントリィしてしまった。何を着て走ろうか。雨と防寒対策はどうする。準備に余念はないが晴天を祈るだけと思いつつ、雨天だとリタイアの恥さらしを回避できるかもと思いを巡らす。 ☆◆ハセツネカップ当日の晴天の朝を迎えた。敗退の言い訳も無くなった。受付で渡されたゼッケンはNo6038(年齢60歳代で生年月日順の38番目)である。定員2,000名と聞いていたが、ハガキでのエントリィを加えたので約2,500名になった。大会挨拶を聞いている位置はスタート位置でもあった。そこは12時間記録申告者の位置であったが、もう身動きできない。周りの者は背中のザックが小さく、精悍なエネギシュなランナー達ばかりである。またして場違い陣取りだった。 ☆◆13:00スタート。ゲートを出ると大勢のギャラリィに送り出された。お囃子の地元声援もあった。路肩から“必ず帰ってこいよ!”“あまり無理するな!死ぬ気で頑張れよ!”の複雑な声援もあった。ランナーは一斉に駆けて行くが、1名しか通過できない登山道でランナーの波を飲み込めずに渋滞が発生した。ランニングと渋滞の繰り返しが10km手前まで続いた。トップ集団を除いて全員がロスタイムを喰った。 無理して駆けたのに予備関門の15km醍醐丸は予定時間の1時間遅れで通過した。ここで周辺は暗くなり、それぞれのランナーはヘッデンを装着し、照らされた周囲は華やいだ雰囲気になった。実力以上の中間位置に陣取ったので、途中からは後方ランナー団にことごとく追い抜かれた。一方で若さに任せて疾走した若者の幾人がバテ果ててコースアウトしている。時折、暗闇の登山道尾根から裾野に暮らす方々の明かりが見えて一瞬だが里恋しい気分になる。暫くすると人の波も解消され、気付けば後方部隊に属していた。 ☆◆最初の第一関門23km地点の浅間峠ではお祭り騒ぎで迎えられたが、残念ながら到着時間は試走より遅く6時間半を超えた。人波の流れに任せた前半のオーバーペースと渋滞による時間ロスも悔やまれるが、大きく出遅れてしまった。すごく焦ったが、ポジション調整なんていえる体力は無くなっていた。このペースでは後半の重なる疲れを基に通過時間を逆算すると完走が危うい。ましては、23km以上の試走経験がない未知の世界である。 ☆◆既に大半のランナーは通過した後であり、浅間峠を越えると人もまばらになった。試走では浅間峠と三頭山を3時間余りで走破したが、いまや走る力は消滅し、平坦と下りは早歩き程度、上りでは他のランナーに道を譲るパターンになった。繰り返しの小起伏のボディブローが効いてきた。予測したペースから大きく乖離している。ここで無謀にペースアップすれば全体力が消耗してしまう。走行23km以上の未知の世界は甘くなかった。 ☆◆31km西原峠から三頭山の高度400mは急登である。登山道は、疲れ果ててヘッデンを照らしたまま伏し込んで休憩する者と必死に登り詰めている者とが入り混じっていた。逆想のチャンス、追い抜く最大の山場と判断した。難儀な上りではあるが挽回するならここしかない。1人でも追い付けばその分、時間を短縮できる。時間内に第2関門を通過できる。遙か前方に見えるヘッデンを目指して1人に追い付いた。その繰り返しだ。大勢が休んでいる三頭山避難小屋を尻目に山頂を目指した。相当に疲れた。辿り着いた36km三頭山山頂で関係者の激を戴いて多少元気を取り戻した。ここはまだレースの中間点である。休憩できる身分ではないので直ぐに駆け降りた。下りきった富士見晴台のあずま屋まで来ると大勢が身体を休めていた。誘惑に負けて今日2回目の休憩をとった。泥まみれの床に大の字になって10分程の休憩をとった。夜中の12時を回っている。睡魔との闘いが始まっていた。すぐに立ち上がったが、冷気で冷えた体を元のペースを取り戻すに時間を要した。体の節々が痛んだ。繰り返しの小起伏のボディブローに耐えながら、当面目標の月夜見山パーキング近くまに迫った。スタートから42km先のポイントである。この後の戦いに挑んで最終関所の御岳山に向けて御前山を目指すか、レースを放棄するかを決断しなければならない。疲れた身体で小起伏の繰り返しで彷徨いながら真剣に考えた。これまでの人生でも、こんなに切羽詰った選択の記憶はあまりない。決意新たに御前山に突入することを選択した。着いた第2関門の月夜見山パーキングでは、先に到着した多くのランナーたちが疲れ果てた身体をブルーシートに身を伏せていた。全力を使い果たしたのだろう。異様な光景が闘争心を駆り立てた。タイムは試算時間より1時間半の遅れであるが(制限時間の30分前)、順位は不思議と1,900番位に繰り上がっていた。ペースはダウンしているが、僅かな休憩で走行している成果だった。 ☆◆派手な照明で設置された給水所で1.0Lのポカリと500gの水を受けた。関門を越えるときの係員の声は、「頑張ってください!」ではなく「気を付けて行ってください!」だった。昨年は御前山手前の惣岳山のヤセ尾根で滑落死亡事件が発生している。足元がふら付いての事故だろう。ここからは、前にも後にも人はまばらでランナーの姿は途切れ、遠くで暗闇に照らすヘッデンの光だけが確認できる光景になった。暫くは暗闇での孤独の戦いになる。時折、遠方で物悲しく鳴く鹿の声が聞こえる。時々、すれ違うランナーに競争心はなく先を譲り合う場面すらみられる。昼間のピークハント山行とは違って、疲れ果てた身体での御前山の登りは憎たらしく長くて辛い。登山道には重力がなく地面から突き放される感覚だ。足元が空回りして、ちっとも前進しない。ここは御前山と根競べ。途中の尾根でお握りを食べたが、ポカリと味合わせが悪く吐き気を催したが無理して飲み込んだ。胃の中も戦乱状態だった。やっと着いた御前山山頂では数名が休んでいたが、休まず通過した。 ☆◆御前山から約2kmの大ダウまでは急傾斜で足場も悪い下りのためにバランスを崩す。暗闇での下りは本当に怖い。膝は大丈夫か、捻挫しないか。ランナーは膝と大腿四頭筋の激痛に耐えながら早足で駆け降りる。制限時間内に帰るためにはガマンしるしかない。もう少しの辛抱だ。もう暫くすると夜も明ける。明るくなると元気が出るとネットに書いてあった。大ダウからダラダラとしたアップダウンを繰り返しながら大岳山を目指す。通常山行では快適なルートであるが、疲れた身体にはアップダウンが堪える。もの凄く大岳山が遠く感じた。 ☆◆朝の8時頃、完走見込みの最後の読みができる大岳山頂に着いた。3回目の僅かの休憩を取りながら残りのコース読みをした。先が読めた。確信した!最終第3関門の御岳山を制限時間に通過できる。途端に身体の奥底に潜んで出番を待っていた力が湧いてきた。急ぎ足が小走りなって数人を抜き去った。脳波が自分でも信じがたい体力を生み出してくれた。多分、ハセツネハイだろう。 ☆◆制限時間1時間前に第3関門の御岳山に着いた。第2関門から16kmの間で制限時間を30分短縮できた。ゴールまでの14kmは多少の起伏もあるが、基本的には下りだ。残っている体力を使い切って前進すればいい。ランナー同志のコミュニケーションをとった。ゼッケン3000番代のランナー曰く「今回3回目のトライで初めて第3関門を通過しました!」。何でもいいじゃないか。ともかく第3関門を通過して完走しなければハセツネカップフィニシャーになれないのだ。互いにゴールを確認しあった。気持ち的にも脚が弾んできた。金毘羅尾根に仲間が応援に来てくれていた。ゴール1km手前で残した水を飲み干して、手足になってくれたストックをしまい込んだ。もう、ここには苦痛の顔はない。笑顔でゴールインしよう。ゴールに誘導する係員と地元の方の歓迎を受けながら最後の走りになる。長時間の苦闘の72kmから開放されるゴールが見えた。秋空の陽に照らされたゴールゲートが眩しく映った。晴れて制限時間をクリアし、セツネカップフィニシャーとしてゴールした。乾杯のビールの刺激で一機に吹き出してきた汗と感動で顔はぐちゃぐちゃになった。昼夜問わずの耐久レース、ハセツネは終わった。 (記録:23時間1分31秒) (1,531位/完走者1,766人/出走者2,475人) |
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