南部アルプス縦走(三重県四日市市)
- GPS
- 00:55
- 距離
- 5.6km
- 登り
- 131m
- 下り
- 123m
過去天気図(気象庁) | 2024年05月の天気図 |
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アクセス |
写真
感想
三重県四日市市にある南部丘陵公園を中心に四日市あすなろう鉄道内部線終点駅である内部駅から同八王子線終点西日野駅までをトレイルでつなぐ南部アルプス縦走路を走ってきました。
ちなみにマッチ箱みたいな(マッチ箱を知っている年代は何歳まで?)かわいらしいナローゲージに「あすなろう」は掛けてあるのでしょうか?
内部駅をスタートします。旧国道1号線を北に渡って坂道を登っていきます。
南西角に二宮金次郎の石像が置かれた税理士事務所のある十字路を左(西)に曲がって西進すると内部川沿いに出ますが、その前に車道を左に分けて丘陵地帯に入って高度を稼いでいきます。尾根の上にあがるまでに送電線の鉄塔が二本現れます。その辺りから東側に開けたところがあって少し眺望を楽しめます。
尾根に上がったあたりで急に左側が開けますが、そこは工事中の北勢バイパスの法面上部になります。数十m?下に工事中のバイパスが見えますが、転げ落ちたらひとたまりもありません。簡易柵があるのでそんなことはないと思いますが、気をつけてください。
法面上部をすぎて再び山道になります。イノシシが掘り返した跡がいくつかあります。途中分岐があって左手に進むと波木南台の東側あたりの北勢バイパス工事現場に降りられそうな階段がありますが、どこに続いているのかは確認はしていません。
縦走路に戻って進むと泊山霊園方面と書かれた分岐がありますが、それを右に分けて尾根を下ると南部丘陵公園南ゾーン南端のビオトープに出ます。ここから舗装路です。そのあとはコブハクチョウがいる池やウサギや鹿、クジャクなどが飼われている小動物園の中を通って南部ゾーンを北に抜けてミルクロードを北に渡って北ゾーンへの急登を上がります。
北ゾーンを上がりきったあたりにある展望台に少し寄り道して北ゾーンを北側に抜けて車道に出ます。
車道に出たらいったん南下して登城山トレイル区間となります。登城山南端から山腹にとりついて尾根に上がります。少し登ったところですぐに尾根上に上がりきります。上がったところで分岐しており、右手に進むと先ほどの登り口の少し南側の登り口に出ます。
尾根上の分岐を左にとって高度を稼ぎます。途中右手に住宅地が広がる切り立った地形になっている上部に沿って進みます。見晴らしがききます。
アップダウンを繰り返して進むと途中右に折れる分岐があり、そちらに進むとすぐに梅ヶ丘団地の車道に出ます。
縦走路に戻って北東方向に進みます。小さい祠か何かのミニチュアのような小屋があります。標高64.3mの登城山頂上はすぐそこです。頂上へは右に分岐しており東方面への展望がききます。
縦走路に戻って尾根道を北上します。途中分岐がありますが、縦走路は左をとります。尾根から山腹を下る階段状になっている区間は、縦走路と鉄塔点検路が重複しています。
階段を下りきると畑の脇を通って車道に出ます。ここからは終点西日野駅までは車道区間となります。
そのまま北進していくと四日市南高校と笹川中学校の間を抜けて笹川通りに出合います。信号を北に渡って天白川に突き当たり少し右にある歩行者専用の細い橋を渡って、天白川左岸沿いの県道の信号を北に渡ってすぐ右手がゴールの西日野駅です。
おつかれさまでした。
【登城山説明板】
登城山(旗振山)
天白川右岸の泊丘陵東端部に位置する標高64.3mの尾根幅の短い丘陵。
大昔、今の東海道ができるまでは登城山の麓から東は海であった。その頃、日永村の人々は登城山の中腹に住んでおり、大宮神明社・大聖院・興正寺・日永神社・実蓮寺・観音寺もその辺りに建っていた。
また鎌倉時代には日永城があり、日永(長田)楯三郎が城主として城を守っていたが、1204年(元久元年)4月、「三日平氏の乱」により落城した。
太平洋戦争までには山には沢山のみかん畑や梅の木があり、梅見客でにぎわった。頂上も現在より広く梅の時期には紅白の幔幕を張った桟敷が設けられ、梅見客はここで宴を開いた。その頃日永の町から登城山を見ると、梅の花で山に霞がかかったように見えたという。
また、登城山は日永小学校からも近く、戦前には児童は必ず遠足で登った。現在もこの頂上からは四日市市街や四日市港が一望でき、素晴らしい眺めである。
2019年(平成31年)3月
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