上井草駅~ちひろ美術館~練馬区立美術館~向山庭園~白山神社の大ケヤキ~久松湯


- GPS
- 04:00
- 距離
- 9.3km
- 登り
- 1m
- 下り
- 15m
コースタイム
過去天気図(気象庁) | 2024年07月の天気図 |
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アクセス |
写真
感想
練馬散策
▶︎ちひろ美術館
挿絵画家いわさきちひろの自宅兼アトリエに建つ。
ちひろは、55歳で原発性肝臓がんで逝去した。
その訃報を新聞で知った黒柳徹子は、ちひろの息子と交流を持ち、「窓際のトットちゃん」の挿絵をお願いする。そんなことがご縁で、現在は、黒川徹子が東京と安曇野の館長となっている。
ちひろの描く幼児のイラストは、どれも可愛い。
しかし、彼女の生い立ちは複雑だ。
どうも母親の存在と支配が大きすぎて、自由になれなかった。そんな感じがする。
まず、17歳の時、行きたかった美術学校の進学を母親から猛反対され、断念している。
最初の結婚は、20歳で、母親の勧めで婿養子に取った相手と強引に結婚させられてしまう。
しかし、どうしても好きになれず、2年間、身も心も拒絶した。絶望した夫は、心を病んで首吊り自殺をしてしまう。
愛国心溢れる母親は、沢山の若い女性を満洲に送るという活動をしていた。
ちひろも、25歳の時、満洲開拓団の子女に書道と裁縫を教えるという名目で満洲に送られる。
しかし、伝えられていたような豊かな暮らしはそこにはなく、酷い環境と有様を見て、ちひろは、たちまち心身を病んでしまう。
普通は満洲に行ったら簡単には帰れないが、ちひろは、有力者の娘ということで、特別に日本に送還された。
しかし、満洲に行った仲間の現実は過酷なままで、その負い目から長らく罪悪感に苦しむことになる。
戦後、両親は、戦犯ということで公職を失い、東京大空襲で中野の実家も全焼したため、松本に疎開する。
様々な辛い体験と母親から決別したいという思いが募り、画家として生きるために、ちひろは一人東京へと向かう。
31歳で二度目の結婚。
44歳で、自宅とアトリエを拡張し、夫の両親と同居する。
51歳で脳梗塞を起こした実の母親を自宅に引き取る。
52歳で十二指腸潰瘍を患う。
53歳で入院。
54歳で癌のため入院。
55歳で、肝臓がんのため、逝去。
母親を引き取った辺りから、ちひろの体調は転がり落ちるように悪くなっている。
やはり、ちひろにとって母親は毒親だったのかもしれない。
▶︎久松湯
今日も33°Cと暑かった。だから、歩いた後の温泉はありがたい。
久松湯は、美術館のような建物の銭湯。
明るく、綺麗な天然温泉。
近所であれば、毎日でも来たいかも。
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