熊伏山
- GPS
- 04:24
- 距離
- 5.6km
- 登り
- 694m
- 下り
- 699m
過去天気図(気象庁) | 2015年08月の天気図 |
---|---|
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
登山ポストは青崩峠登山口にあり。 |
写真
感想
熊伏山は三遠南信(さんえんなんしん)境界の山である。三遠南信とは、愛知県東部の三河、静岡県西部の遠州、長野県南部の南信州のこと。山頂が実際接しているのは静岡県浜松市と長野県飯田市、天竜村だが、山域的には三河地方が加わる。目下新東名浜松いなさICから中央道の飯田ICにつながる「三遠南信道」が目下工事中だ。登山口は歴史、由緒ある青崩峠。
8月22日朝、青崩峠の登山口に着くと、大きな「塩の道」の石碑が目に入る。青崩峠は遠州側と南信州側を結ぶ秋葉街道の難所だった。海の幸も山の幸もこの峠を越えたのだ。9時過ぎ過ぎスタート。青崩峠まで苔むした石畳の道が続く。苔むしているので滑りやすい。年配の夫婦連れが下ってきた。コースタイム4時間の軽い熊伏山といってもあまりにも早い時間だ。
「熊伏山までもう登ってきたのですか」
と声をかけると、
「ヒルにやられて途中で引き返してきた」
と血まみれの手首を見せた。
「ヒルは足元からだけじゃありませんよ。上からも落ちてきた。半袖だったら確実にやられますよ」
と僕のTシャツにベストルックをしげしげ見ながら閉口した口ぶりである。こりゃ、油断ならない。
ヒルは上からも襲撃してくるというのは本当のことである。ワンゲル部時代、夏合宿で南アルプス南部を縦走した時のこと、上からヒルが降ってきた体験をした。田植え時のヒルの経体験しかなかった片田舎育ちの僕には、山ビルは驚きだった。振動か炭酸ガスだろうか、人間が接近してきたことを察知するセンサーが彼らには備わっているのだろう、人間が近づくと枝や葉からダイブしてくるのだ。むろん下からも吸血鬼は容赦なく襲撃してくる。数年前台高山系の迷岳に登った時のこと、下山してからスパッツを外すと縫い目にびっしりヒルが食い込んでいた。自宅に向かって車を走らせていると、腹部にもぞ痒さを感じた。手を当てるとべっとり血糊が付いて驚いた。パンパンに膨れ上がったヒルがポロリと床に落ちる有様だ。スパッツのヒルを駆除したので、ズボンや上着をチエックするのを怠ったのがいけなかった。衣類のどこかにへばりついていたヒル君は腹部に侵入。満腹するほどに吸血したのだった。
ヒル君は人間に襲い掛かってきてもすぐには吸血にありつけない。ストレートに運よく皮膚に付着できるのは稀だろう。スパッツや衣類に付着したヒル君は尺取虫で移動する超鈍足。皮膚に到着するには時間を要する。衣類やカッパを時々チエックし、へばりついているヒルを駆除すればいい。青崩峠に着いてから念入りにスパッツを付け、雨カッパを頭から被り、虫除けのスプレイを念入りに吹き付けた。
こじんまりとした青崩峠は峠の雰囲気を残している。石仏や道祖神が残り、峠の謂れを説明した水窪町の案内板が建っている。
「青崩峠 海抜一〇八二メートル 青崩峠は遠州と信州の国境にあって古くからある信州街道(秋葉街道ともいう)の峠である。この道は昔から海の幸や山の幸を馬や人の背によってこの峠を越して運ばれたことから『塩の道』ともいわれている道である。また、戦国時代武田信玄の軍勢が南攻のためこの峠を越えたと伝えられ、近世には多くの人々が信州、遠州、三河の神社、仏閣に参詣するためにこの峠を越した。近代は可憐な少女達が製紙工女として他郷で働くために越した峠でもあり、多くのロマンと歴史を刻む峠である」。
塩の道といえば大糸線沿線の「千国街道」が有名である。海のない信州に持ち込まれる塩は、日本海からの「北塩」に対して太平洋からの「南塩」といわれた。南塩ルートの主なものには、遠州からの遠信古道と、三河からの中馬街道の二つがある。中馬街道の成立が戦国時代以降であるのに対して、遠信古道の誕生は古く先史時代に溯るという。
地元の人の歌が添えられている。
「塩の道登り来たりて望み見る 信濃の国の青き山並」
「垂直に深き伊那谷点のごと 木の間に赤き屋根の光れる」
階段が整備された遊歩道をしばらくたどると右手が開け、V字型に刻まれた山並みが遥か彼方まで望まれる。ここはフォッサマグナの中央地溝帯でもあるのだ。歴史と地学的特異点が重なる青崩峠の谷をしばし見入った。遊歩道の階段がいつの間にか途切れて、薙ぎの縁を伝う急登に変わる。至る処にロープが架かる。カッパを頭からすっぽり被っているので身体は蒸し風呂状態だ。今日はワンピッチ目から激しい息遣い。不調である。急登をあえぎあえぎ登る。鉄塔の建つ青崩ノ頭(1433メートル)に出た(10時20分)。この不調はカッパを着けて蒸し風呂状態のためだろうか。ここからは穏やかな尾根歩きだ。小尾根でしばし腰を下ろして、リュックをチエックしてみると茶色のヒルを一匹発見。まだ吸血しておらず細い奴だ。ただちに駆除。実際にヒルを見てしまうと、身体は蒸しぶろ状態だが、カッパを手離すことはできないと観念した。
前熊伏山を経てしばらくたどると、老夫婦が下ってきた。彼らは
「雲が出て展望はありませんでした」
と挨拶したが、天候のことよりヒルのことが気になる。
「ヒルには遭いませんでしたか」
と声をかけると、妻の方が
「腰に一匹見つけました」
という。やはりヒルが生息している。
11時37分、熊伏山に着いた。不調とあってコースタイムを若干上回ってしまう。最近こんなことはなかったことだ。晴れていれば聖岳方面の展望台とのことだが、うっすらガスが漂い展望は効かない。余りの暑さに辟易してカッパを脱いで腰を下ろすと、漂うガスの冷気に触れて実に心地いい。山頂に設置されている「らくがきBOX」のノートを何気なく見入った。先刻下山していった老夫婦がコメント残していた。富士市からやってきた夫婦だった。コメントの多くはヒル情報やこれまで登ってきた山やこれから登る山の計画などが書かれている。その中の一つに「戦争に加担する変なおっさんに『山の文化』は感じないね。若い頃の『安保反対運動』の再燃だよ」というのがあった。「おっさん」とは、アメリカの引き起こす戦争にどこまでも付き合おうという戦争法案をゴリ押しする安倍首相のことである。僕も「登山は平和であってこそ。戦争法案には絶対反対です」と連帯のメッセージを記した。
不調ではあったが、下山はそれなりのピッチで下った。要所要所でヒルが付着していないか、カッパや衣類を念入りにチエック。青崩ノ頭〜青崩峠の急坂を慎重に下り、登山口に戻った(13時31分)。スパッツを外すとヒル3匹を発見。よくぞこんな狭いところに入り込むものだ。縫い目にも食い込んでいないか、念入りにチエックして車に入り込んだ。
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