記録ID: 7376529
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ハイキング
近畿
熊野街道(熊野古道)を行く 2(八軒家から仁徳天皇陵・湊駅)
2024年10月18日(金) [日帰り]


体力度
2
日帰りが可能
- GPS
- 10:23
- 距離
- 24.7km
- 登り
- 8m
- 下り
- 12m
コースタイム
日帰り
- 山行
- 10:00
- 休憩
- 0:23
- 合計
- 10:23
距離 24.7km
登り 8m
下り 12m
7:04
274分
スタート地点
17:27
ゴール地点
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2024年10月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車
|
写真
南大門と熊野権現礼拝石
往古より熊野詣にはまずこの場所にて熊野を遥拝し、道中の安全を祈り、熊野街道を南へと向かったと言われている。南大門正面より真南に向かう道は庚申街道といわれ、2〜3分の所に庚申信仰発祥地、四天王寺庚申堂があり、庚申の日とその前日には多くの参詣者で賑わう。(四天王寺HP)
往古より熊野詣にはまずこの場所にて熊野を遥拝し、道中の安全を祈り、熊野街道を南へと向かったと言われている。南大門正面より真南に向かう道は庚申街道といわれ、2〜3分の所に庚申信仰発祥地、四天王寺庚申堂があり、庚申の日とその前日には多くの参詣者で賑わう。(四天王寺HP)
安倍王子
大阪府内の王子の中では唯一旧地に現存している王子。四天王寺と住吉神社のほぼ中間点
標柱には「第2王子」とあるが、戦国時代の戦乱により途中の坂口、郡戸、上野の各王子が焼失。安土桃山時代には2番目の王子となっている
大阪府内の王子の中では唯一旧地に現存している王子。四天王寺と住吉神社のほぼ中間点
標柱には「第2王子」とあるが、戦国時代の戦乱により途中の坂口、郡戸、上野の各王子が焼失。安土桃山時代には2番目の王子となっている
経塚
「古墳や聖徳太子が諸経を書いた石を埋めた、空海アが写経を埋めたなどとする説のある塚がいくつかあったが今は塚は無くなり、石碑だけが残りその石碑も移設された」とあるが、その解説版も見えなくなっている
「古墳や聖徳太子が諸経を書いた石を埋めた、空海アが写経を埋めたなどとする説のある塚がいくつかあったが今は塚は無くなり、石碑だけが残りその石碑も移設された」とあるが、その解説版も見えなくなっている
大阪市と堺市の境界になる大和川手前にある御堂は左「雲上地蔵」と右「白龍大神」
神と仏が棟割り御堂に同居している
お堂の横にある昭和29年に造られた石碑には、明治2年の洪水時に墓石や雲上地蔵も堤防修復に使われて、後の大和川改修工事の際に川底から掘り出され、祭られたものと書かれている
神と仏が棟割り御堂に同居している
お堂の横にある昭和29年に造られた石碑には、明治2年の洪水時に墓石や雲上地蔵も堤防修復に使われて、後の大和川改修工事の際に川底から掘り出され、祭られたものと書かれている
方違(ほうちがい)神社
この地は摂津、河内、和泉の三国の境界にあるので、“三国山”また“三国丘”とも称され、中立で方位の無い清地であると崇められ方位除祈願で有名(“堺”の地名はこれに由来する)
この地は摂津、河内、和泉の三国の境界にあるので、“三国山”また“三国丘”とも称され、中立で方位の無い清地であると崇められ方位除祈願で有名(“堺”の地名はこれに由来する)
右が西高野街道、左が竹ノ内街道
紀伊路はここから仁徳天皇陵までは西高野街道と重なる
「西高野街道は、平安時代から鎌倉時代初期に開かれ、室町時代には高野聖の納骨や庶民の参詣の道となり、江戸時代には大阪、堺の町人の米・酒・綿など通商の幹線道としてにぎわいました。」(堺市HP)
紀伊路はここから仁徳天皇陵までは西高野街道と重なる
「西高野街道は、平安時代から鎌倉時代初期に開かれ、室町時代には高野聖の納骨や庶民の参詣の道となり、江戸時代には大阪、堺の町人の米・酒・綿など通商の幹線道としてにぎわいました。」(堺市HP)
仁徳天皇陵(大山古墳・大仙陵古墳)
世界遺産五指定されているが、仁徳天皇のものかどうかは確定されていない。この古墳増築には、工期は15年8か月、作業員数は延べ680万7000人かかったとの試算がある
世界遺産五指定されているが、仁徳天皇のものかどうかは確定されていない。この古墳増築には、工期は15年8か月、作業員数は延べ680万7000人かかったとの試算がある
堺市博物館
大仙公園内にある堺市博物館に寄り、ボランティア解説員さんに古墳時代を2時間程解説を受けた
ソムリエ資格を持ちワイン販売をしていたという解説員さんは知識も豊富で楽しく勉強に
・仁徳天皇陵は仁徳天皇の可能性は低い
・建設時は木は生えておらず、赤と白色で海から良く見えた
など、興味深い話も聞けた
大仙公園内にある堺市博物館に寄り、ボランティア解説員さんに古墳時代を2時間程解説を受けた
ソムリエ資格を持ちワイン販売をしていたという解説員さんは知識も豊富で楽しく勉強に
・仁徳天皇陵は仁徳天皇の可能性は低い
・建設時は木は生えておらず、赤と白色で海から良く見えた
など、興味深い話も聞けた
感想
お金は無いが時間はある街道歩きですが、年のせいか、貧乏性のせいか何故か先を急いでしまう。道中、地元の人のを聞くのは面白いがついつい先を急いでしまう
本日は博物館でボランティアの方の解説を時間をかけて聞き質問も沢山した。充実した楽しい時間だった
こ れから先は、なるべくゆっくり無駄歩きをしながら街道歩きを楽しもうと思う今日この頃であります
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