初冬の銀山街道🍂


- GPS
- 01:15
- 距離
- 5.4km
- 登り
- 283m
- 下り
- 286m
コースタイム
天候 | くもり、時折小雨 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2024年11月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
とても歩きやすい |
写真
装備
個人装備 |
長そでシャツ
タイツ
靴下
雨具
日よけ帽子
日焼け止め
靴
ザック
行動食
飲料
保険証
携帯
|
---|
感想
近くて、楽しそうで、
だからこそ後回しになっていた銀山峠。
秋に『銀山街道』を歩く歴史イベントがあるのだけど、私は週末は仕事だし、個人で歩くしかない。
歩きやすそうな季節の今、
ささっと歩いてきました。
毎年、銀山街道を歩くために整備されているだけあって、とても歩きやすい。
路もかなり幅が広い箇所が多く、脇も柴木程度。
落葉後なので、さらに明るい、
昔に想いを馳せててくてく。
時折見える奥会津の風景も佳き。
せっかくだから、
現在使われている舗装道路から舗装道路までを往復。
さらに、銀山の精錬のシンボル、煉瓦の大煙突も眺めてきました。
整備され過ぎてて?
きのこはさっぱりでしたが、
初冬の峠ハイクは空気も澄んでいて
心地よかった!
⇩看板より
福島県登録近代化遺産
『軽井沢銀山の大煙突』
軽井沢銀山は永禄元年(一五五八)に発見されて以来、 三百年以上に亘って栄枯盛衰を繰り返しながらも会津藩 の財政の支えになってきたが、明治に入って個人経営になり、同十二年、当時鉱山王と云われた古河市兵衛によって経営された。同十九年、精錬の新技術であったオーガスチン工法が取り入れられ大煙突はそのために建てられた。
この措置で鉱山の業績は大きく向上し、最盛期の明治 二十六年には、年間産銀量約4tに達し、全国鉱山の第 六位にランクされた。(鉱山史話)しかし、明治二十八 年、金本位制の実施などで銀価が大暴落し、同年中に採鉱を中止、そして二年後には設備を解体して草倉鉱山と足尾銅山に送られて軽井沢は閉山になった。
煙突の規模
管理者 柳津町 建立明治十九年(一八八六) 角型レンガづくり、底辺の一辺 四、ニメートル 高さ約二十五 メートル 使われているレンガの大きさ 幅十四センチ 長さ
二十八センチ 厚さ六センチ現地で製造 されたものと伝えられている。
平成四年、関係者から煙突本体が柳津町に 寄贈されたのを期に、倒壊を防ぐため、 下部土台部分のコンクリ巻工事を行った。
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