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中国
上三田 轟の瀬は想定外だった
2024年12月02日(月) [日帰り]


天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2024年12月の天気図 |
アクセス |
広島市内から車で約50分 駐車スペース ・道路サイドに2台、轟の瀬の前に1台程度 |
写真
現地に着き、轟橋から撮影。
ウォーキング中の男性と橋の上で少しお話しを聞くと以下。
西日本豪雨の水害対策で川幅を拡張し、川底の岩を削ったらしい。
但し、右奥の岩盤を地元の要望より残したそうな。
ウォーキング中の男性と橋の上で少しお話しを聞くと以下。
西日本豪雨の水害対策で川幅を拡張し、川底の岩を削ったらしい。
但し、右奥の岩盤を地元の要望より残したそうな。
ズーム、ありました!
轟の岩に掘られた広告
「みちは左 反ものは すさわの永井」
明治から大正にかけての永井呉服店の広告
鉄道が出来た大正4年まで船運があったそうですが、ここは元々難所だったので早めにやめたらしい。
轟の岩に掘られた広告
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鉄道が出来た大正4年まで船運があったそうですが、ここは元々難所だったので早めにやめたらしい。
感想
中郡古道を歩いた際に、案内マップでこの轟の瀬を知りました。
次回はこの辺の古道を歩いてみたらどうかと思い、高鉢山下山後に下見で訪れたのですが、防災改修で見事に様変わり。
歴史を遡ると、江戸の初期、奥地から年貢米や鉄を運ぶのに舟を使ってたようですが、最大の難所がここ轟の瀬。
舟を通す為に、脇に新しい川を掘って上流まで舟を通れる様にしたそうです。
そこを見たかったんですけどね😢
詳しくは下記
https://www.cgr.mlit.go.jp/ootagawa/chiebukuro/search/rekisi/No_200.html
江戸時代の歴史を知る事が出来て良かったです。
今後も轟の瀬の歴史をちゃんと後世に残してもらいたいですね。
尚、少し下流に久保浜跡があり、それは船運の川湊跡だそうで寄りたかったですが時間の都合でパスしました。
西日本豪雨前の轟の瀬
一番下に動画があります。
https://www.mita-hiroshima.info/todorokinose/
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