越前五山・王子保駅から日野山


- GPS
- --:--
- 距離
- 15.7km
- 登り
- 758m
- 下り
- 772m
コースタイム
- 山行
- 4:34
- 休憩
- 1:32
- 合計
- 6:06
天候 | 晴れ |
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アクセス |
利用交通機関:
電車
<ゆき> 富山733━1014福井1016━1039王子保 <かえり> 武生1712━1757芦原温泉1812━1924金沢1946━2038富山 |
コース状況/ 危険箇所等 |
小比丘尼ころがし、大比丘尼ころがしは急坂の難所。 |
写真
装備
個人装備 |
長袖シャツ
Tシャツ
ズボン
靴下
グローブ
防寒着
雨具
靴
ザック
行動食
非常食
飲料
ライター
地図(地形図)
ヘッドランプ
予備電池
筆記用具
ロールペーパー
時計
タオル
ガスカートリッジ
コンロ
コッヘル
食器
カメラ
時刻表
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感想
今は『ハピラインふくい』になってしまった旧・JR北陸線の南条─王子保間の車窓からみえる間近のデカい山・日野山は、麓から登ると標高差が700 m以上ある。決してラクな里山では無い。その日野山に向かったのは1999年4月4日のことで、有効期限が4月10日で切れてしまう『青春18きっぷ』の消化のためだった(苦笑)。JR時代には『特急銀座』との異名をとった北陸線はとにかく特急の待避が多く、金沢や福井といった主要駅での乗り換えも待ち時間が長く不便だった。富山7:33発の福井ゆきに乗ったのは、福井まで乗り換え無しで行けるのと、福井から先への乗り換え時間が短くて便利だったから。北陸新幹線開業後、県ごとに分割のうえ3セクに移管された北陸線だけど、富山からだったら金沢までしか今の列車は行かない。来月のダイヤ改正で、3セク化後初めて小松ゆきが設定されることが話題になるくらいなんだから(苦笑)。富山県から『ICOCA』などの交通系ICカードでは大聖寺までしか乗れないので、これを改善しないうちは福井ゆきを作ろうものならトラブルの種にしかならない(苦笑)。
王子保駅を10:46に出発し、巨大な日野山を目指して下平吹橋で日野川を渡る。日野神社から登山道に入り、ぐんぐん登ってく。泰澄大師が開山したとされる歴史ある山だけあって、焼餅石やら石の唐戸やら弁慶の三枚切やら由緒ある地名が残ってる。弁慶の三枚切を通過して1分で王子保駅から歩き始めて1時間が経過したので、休憩。当時の記録をみると30分も休んでるけど、どうしてそんなに長い休憩になったのか、全く憶えていない(苦笑)。長めの休憩を終えて再び登り始めると、難所とされる小比丘尼ころがしの急坂に差し掛かる。次の大比丘尼ころがしも無事通過し、13:12に日野山の頂上に到着。
この日は天気もよく、白山や部子山など両白山地の山々がよくみえた。まだ13時過ぎということもあって多くの登山者が休憩中。私も頂上で昼御飯を食べ、小型版時刻表をみて帰りの列車の時間を確認(苦笑)。居心地が良かったのか、頂上に1時間近く滞在。
14:04に頂上を経ち、下山は萱谷コースを採る。比較的開けてた王子保駅からのコースと違い、木が生い茂ってて薄暗かった記憶がある。15:18に萱谷登山口に到着。萱谷登山口に降りてからは、武生駅まで車道歩き。途中、仁愛女子短大の前を通過。バス停があったので時刻表をみたけど、そんな都合よくバスの便があろうはずも無く、結局、武生駅まで歩き通した。今では、仁愛女子短大は共学化&4年制大学化されて富山でもラッピングバスが走るような存在になり、武生駅まで歩かなくても北陸新幹線の越前たけふ駅に行くという選択肢もある。今では武生駅に行こうが、越前たけふ駅に向かおうが『青春18きっぷ』は使えない…。武生駅には、16:52に到着。帰りの列車の連絡は、往きほど良くはなく、芦原温泉と金沢で乗り換えが発生。富山到着は、20:38になった。こうして、失効間近の『青春18きっぷ』1回分を有意義に消化出来た(苦笑)。
スタートからゴールまで、問題となるような残雪は全く無かった。それはそれでイイことなんだけど、この時の『青春18きっぷ』を使った日野山登山が上手く行き過ぎたことが、ミョーな成功体験になってしまったんだろう。4月の山に残る雪の量は年によっては大幅に変わるものだけど、「4月4日に日野山に登れた」という事実が「北陸の標高1,000 mを切るような山なら4月上旬に登れる」と私を勘違いさせてしまったようで、翌年の4月上旬に『青春18きっぷ』を使って、同じ福井県の野坂岳(https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-4124528.html)と、新潟県の米山(https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-4124118.html)に挑んでしまった。そして、どちらの山行も残雪に苦しめられたのだった(苦笑)。
(2025.2.11・記)
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