児玉中心部から南へ向かい十二天橋の手前の土手の道を下流側へ左折して100mちょっと進むと東屋の手前に無料駐車スペースへの入口が有ります平日でしたので朝8時半頃に到着で一番乗り、出発準備中に二台目の方が来られました、しかし午後戻ってきた時にはほぼ満車、従来から使われている土手の桜の木の間のスペースもかなり埋まっていました。
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児玉中心部から南へ向かい十二天橋の手前の土手の道を下流側へ左折して100mちょっと進むと東屋の手前に無料駐車スペースへの入口が有ります平日でしたので朝8時半頃に到着で一番乗り、出発準備中に二台目の方が来られました、しかし午後戻ってきた時にはほぼ満車、従来から使われている土手の桜の木の間のスペースもかなり埋まっていました。
桜の季節という事で所々に簡易トイレを見かけましたが基本的にはトイレは有りません、十二天橋の上流側へ約200m行った所の土手横にある千本桜公園トイレが唯一のトイレだと思われます。
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桜の季節という事で所々に簡易トイレを見かけましたが基本的にはトイレは有りません、十二天橋の上流側へ約200m行った所の土手横にある千本桜公園トイレが唯一のトイレだと思われます。
無料駐車スペースから河川敷に降りてまずは下流側の桜並木です、どこかの開花情報サイトで満開(八分咲き)となっていましたが未だ七分咲きぐらいの木も多く混じっている感じです。
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無料駐車スペースから河川敷に降りてまずは下流側の桜並木です、どこかの開花情報サイトで満開(八分咲き)となっていましたが未だ七分咲きぐらいの木も多く混じっている感じです。
十二天橋をくぐって上流側を見ます、カーブして流れる小山川に沿った桜並木が素晴らしい、未だ九時前なので人も少なく開放感にあふれています、奥に東御荷鉾山(左)と西御荷鉾山(右)も見えています。
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十二天橋をくぐって上流側を見ます、カーブして流れる小山川に沿った桜並木が素晴らしい、未だ九時前なので人も少なく開放感にあふれています、奥に東御荷鉾山(左)と西御荷鉾山(右)も見えています。
この木は八分咲きぐらいでしょうか。
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この木は八分咲きぐらいでしょうか。
ピンク色が強い木は未だ蕾が多い木ですね、ソメイヨシノは花びらが白っぽいので花が開くと木全体も白っぽく見える様になります。
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ピンク色が強い木は未だ蕾が多い木ですね、ソメイヨシノは花びらが白っぽいので花が開くと木全体も白っぽく見える様になります。
朝の柔らかい光があたると優しい雰囲気の写真になります。
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朝の柔らかい光があたると優しい雰囲気の写真になります。
秋平橋を過ぎた辺りは対岸の土手の桜も勢いが有って両側に桜並木が並び本当に素晴らしい景色です、見えている山は吹通(ふっとうし)山でしょうか。
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秋平橋を過ぎた辺りは対岸の土手の桜も勢いが有って両側に桜並木が並び本当に素晴らしい景色です、見えている山は吹通(ふっとうし)山でしょうか。
こちらの土手の桜も枝が道すれすれまで下がって来ていて桜の花を間近で見る事が出来、枝の間に入り込むと幻想的な雰囲気を楽しむ事が出来ます。
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こちらの土手の桜も枝が道すれすれまで下がって来ていて桜の花を間近で見る事が出来、枝の間に入り込むと幻想的な雰囲気を楽しむ事が出来ます。
手で触れるところで桜が咲いているのでアップの写真も簡単に撮れます。
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手で触れるところで桜が咲いているのでアップの写真も簡単に撮れます。
この付近はほぼ満開の木が多い様です。
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この付近はほぼ満開の木が多い様です。
河川敷の道を歩いていくとすぐ脇や頭の上のぶつかりそうな高さに満開の枝が張り出していて夢の様な散歩道です。
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河川敷の道を歩いていくとすぐ脇や頭の上のぶつかりそうな高さに満開の枝が張り出していて夢の様な散歩道です。
この枝は紛れもなく満開ですね、時々薄い雲が流れてきてぼやっとした背景になりがちでしたが、この時は綺麗な青空になってくれました。
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この枝は紛れもなく満開ですね、時々薄い雲が流れてきてぼやっとした背景になりがちでしたが、この時は綺麗な青空になってくれました。
千本桜橋が近づいた辺りで下流側を見るとカーブしている桜並木が良い感じです。
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千本桜橋が近づいた辺りで下流側を見るとカーブしている桜並木が良い感じです。
南を見ると最近展望の山へと生まれ変わった陣見山が望めます。
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南を見ると最近展望の山へと生まれ変わった陣見山が望めます。
千本桜橋を渡らずに土手の道を上流側へ右折すると道幅がやや広いので縦列駐車出来る駐車スペースとなっています、一応上流方向への一方通行をお願いされていますが平日は車が少ないのでお願いを無視する車も多く見受けられました。
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千本桜橋を渡らずに土手の道を上流側へ右折すると道幅がやや広いので縦列駐車出来る駐車スペースとなっています、一応上流方向への一方通行をお願いされていますが平日は車が少ないのでお願いを無視する車も多く見受けられました。
千本桜橋から400m程上流側へ進むと山が迫って来て土手が無くなります、この桜の木が千本桜の最上流部の木になります、ここから下流に向けて引き返す事にします。
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千本桜橋から400m程上流側へ進むと山が迫って来て土手が無くなります、この桜の木が千本桜の最上流部の木になります、ここから下流に向けて引き返す事にします。
桜を見ながらメガソーラー施設の先まで進みそこから住宅地の中へ入って行くと長沖の石仏石塔群に出ます、全部で10本近い石塔が立っていて中でも江戸時代に建てられた仏様が浮き彫りにされている石塔が珍しいものの様です。
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桜を見ながらメガソーラー施設の先まで進みそこから住宅地の中へ入って行くと長沖の石仏石塔群に出ます、全部で10本近い石塔が立っていて中でも江戸時代に建てられた仏様が浮き彫りにされている石塔が珍しいものの様です。
どんどん北へ向かって歩くと小さな丘が有り、その丘を越えて行く細い道がありました、入口には満開を過ぎていましたがしだれ桜が入口の目印の様に立っていました。
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どんどん北へ向かって歩くと小さな丘が有り、その丘を越えて行く細い道がありました、入口には満開を過ぎていましたがしだれ桜が入口の目印の様に立っていました。
丘を越えて太い道を渡り進んでいくと円通寺に出ます、ここは明治17年(1884年)に起きた秩父事件で困民党軍と東京鎮台の兵が戦闘になった際、桜の木の奥に見える本堂が臨時の野戦病院になったお寺です。
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丘を越えて太い道を渡り進んでいくと円通寺に出ます、ここは明治17年(1884年)に起きた秩父事件で困民党軍と東京鎮台の兵が戦闘になった際、桜の木の奥に見える本堂が臨時の野戦病院になったお寺です。
お寺の墓地の一角に秩父事件の死者を弔うお墓が有りました。
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お寺の墓地の一角に秩父事件の死者を弔うお墓が有りました。
円通寺境内では事件の死者を悼うように桜が満開でした。
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円通寺境内では事件の死者を悼うように桜が満開でした。
円通寺を後にして更に北へ向かって歩くと塙保己一記念館に到着です、塙保己一は江戸時代の盲目の国学者で群書類従という過去の国書を網羅した目録の様な書物を作った功績を称える記念館です、群書類従という名前は知っていましたが総冊数が666冊にも及ぶ大規模な書物とは知りませんでした。
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円通寺を後にして更に北へ向かって歩くと塙保己一記念館に到着です、塙保己一は江戸時代の盲目の国学者で群書類従という過去の国書を網羅した目録の様な書物を作った功績を称える記念館です、群書類従という名前は知っていましたが総冊数が666冊にも及ぶ大規模な書物とは知りませんでした。
塙保己一記念館のすぐ北側には雉岡城跡(城山公園)があります、ここも児玉の桜の名所の一つで、丁度良い時間になったので城跡の桜を見ながらの昼休憩です、正面の池は右側のほうき郭と左側の南郭を隔てる水掘の一部です。
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塙保己一記念館のすぐ北側には雉岡城跡(城山公園)があります、ここも児玉の桜の名所の一つで、丁度良い時間になったので城跡の桜を見ながらの昼休憩です、正面の池は右側のほうき郭と左側の南郭を隔てる水掘の一部です。
昼休憩後に城跡をぐるっと一巡りします、ほうき郭の土塁から昼休憩を取った南郭方向を見ます、間の見学路のある窪地は当時は全て水堀の底だった所になります。
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昼休憩後に城跡をぐるっと一巡りします、ほうき郭の土塁から昼休憩を取った南郭方向を見ます、間の見学路のある窪地は当時は全て水堀の底だった所になります。
ほうき郭から水堀を挟んで本丸の土塁を見たところ、本丸は現在児玉中学校になっていて土塁のみが残ります、本丸の北側の二の丸・三の丸も旧児玉高校の校地になっていて遺構は残っておらず城跡の遺構が残るのは三分の一程度です。
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ほうき郭から水堀を挟んで本丸の土塁を見たところ、本丸は現在児玉中学校になっていて土塁のみが残ります、本丸の北側の二の丸・三の丸も旧児玉高校の校地になっていて遺構は残っておらず城跡の遺構が残るのは三分の一程度です。
柵で囲まれた水堀は当時は左に折れて続いていました、正面奥は南郭(左)と本丸(右)の間の空堀です。
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柵で囲まれた水堀は当時は左に折れて続いていました、正面奥は南郭(左)と本丸(右)の間の空堀です。
本丸の土塁に上がって水堀を見下ろします想像以上に土塁の高さが有り築城した山内上杉氏の力の入れようが分かります、この一帯の桜は良く咲いていました。
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本丸の土塁に上がって水堀を見下ろします想像以上に土塁の高さが有り築城した山内上杉氏の力の入れようが分かります、この一帯の桜は良く咲いていました。
南郭は内部で二段になっていて大手虎口付近の土塁上から奥の張り出し部分を眺めると段差が良く分かります、低くなっている所の右側が現在の城跡への入口になっていますが当時は土塁で塞がれていますのでこの段差の役目は何だったのでしょうか、素人考えですが南郭とほうき郭の間の水堀を突破してきた敵兵が一気に南郭内に入れない様にする段差ではと愚考しました。
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南郭は内部で二段になっていて大手虎口付近の土塁上から奥の張り出し部分を眺めると段差が良く分かります、低くなっている所の右側が現在の城跡への入口になっていますが当時は土塁で塞がれていますのでこの段差の役目は何だったのでしょうか、素人考えですが南郭とほうき郭の間の水堀を突破してきた敵兵が一気に南郭内に入れない様にする段差ではと愚考しました。
再度南郭のほぼ満開の桜を楽しんだ後、住宅地を通り抜け千本桜へ戻りました。
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再度南郭のほぼ満開の桜を楽しんだ後、住宅地を通り抜け千本桜へ戻りました。
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