熊野古道伊勢路⑤ ヨコネ道から三木峠・羽後峠・甫母峠・仁木島峠・逢神坂峠を経て徐福の宮まで


- GPS
- 07:19
- 距離
- 20.3km
- 登り
- 1,245m
- 下り
- 1,226m
コースタイム
- 山行
- 7:02
- 休憩
- 0:18
- 合計
- 7:20
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2025年04月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 自家用車
帰り:紀勢本線波田須駅~三木里駅 |
コース状況/ 危険箇所等 |
ヨコネ道から三木峠は快適な登山道 甫母峠からかなりアップダウンがありました。木の根っこがはびこり気を引き締めて歩く必要があります。特に雨の日は滑ります。 |
写真
感想
◆三木里~飛鳥神社
のどかな三木里海水浴場を後に国道からヨコネ道に入りますまた国道に戻り三木峠まではサクっと、途中に桃太郎岩があるはずなのですが通り過ぎたようです。展望地からは絶景が望めます。羽後峠のあたりは立派な猪垣があちこに張り巡らされており猪と人間の壮絶な戦いの証です。
一旦、賀田湾に降りると漁村でありレジャーボートもありました。飛鳥神社の入り口に樹齢1000年といわれる大楠と杉の木があり、拝殿の前には三重県で3番目の大きさの楠がありうどが潜れるほどの大きさです。神社の丸石は明治41年熊野の須野海岸の丸石を加工しておいてある珍しいものです。
◆曽根次郎坂太郎坂~仁木島湾
珍しい名前ですが「次郎は“自領”」「太郎は“他領”」から来ているとのこと。集落に曽根弾正屋敷跡がりましたが、佐々木六角氏の同族でこの地を収めた武将で五輪塔も大事に守られています。本坂や峠道は地元の方によく整備されており、説明案内板も設置されており、鯨石や石切り場があり辛い登りの間のいい息抜きになりました。
この辺りも猪垣が沢山あり、食料(田畑)を守るために「猪落とし」といわれる穴も作られています。猪1頭で畑1枚を掘りつくしてしまう猪との闘いの記録です。
甫母峠道は大変厳しく根っ子がいっぱいで苦しめられました。展望のある楯見が丘で束の間の昼食を。仁木島湾に出るまでにかなり体力を消耗しました。
◆二木島峠~波田須
二木島峠に向かう途中に鯨の供養碑がありました。「鯨一匹捕れば七浦潤う」といわれるが実際に木本で小学校が建ったそうです。この地方の方にとっては神様のようなものです。
キリシタン灯篭もありました。江戸初期のものですが何故ここにあるのかははっきりとわかりません。
ちなみに逢神(おおかみ)坂の由来は伊勢の神と熊野の神の出逢う場所という意味、あるいは狼がよく出たということらしいです。
二木島峠・逢神坂峠を越えて新鹿の港に降りてきました。地図にある「東南海地震の碑」が見つからなくて地元の方に尋ねましたが「何それ?」って感じで。結局、面倒で先を急ぎましたが残念です。
新鹿の海沿い公園で休んでいるとドイツの方にお会いしました。反対方向ですが私と同じく電車での移動で本数が少ないとメンション。
波田須の道に入りましたが、帰りの電車の時間が気になりました。アップダウンが多く予想よりかなり時間を要したために熊野に入るのは今日はあきらめて波田須までとしました。
最後に徐福の宮に立寄りました。秦の始皇帝の名を受け不老長寿の仙薬を求めて2千人ほどの船団で航海に出ましたが、徐福だけがこの地にたどり着き、中国の最先端の技術を伝え、ここに骨をうずめたとの伝説。実際、2200年前の貨幣も見つかっており満更神話でもない話です。
今回は古道を歩いて初めて多くのハイカーとすれ違いました。観光案内にも書いてあるんでしょうか?計画では花の窟神社までと考えていましたが、思いのほかアップダウンや石畳や根っこ地獄で前に進みませんでした。紀勢本線の本数が少ないため乗り遅れると次が1時間、2時間後になってしまします。明日が仕事のために早めに切り上げた次第です。何とか次回挽回して熊野速玉大社に足を踏み入れたいと思います。
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