牧野記念庭園~石神井公園~荻外荘~阿佐ヶ谷神明宮


- GPS
- 07:17
- 距離
- 15.4km
- 登り
- 1m
- 下り
- 8m
コースタイム
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2025年05月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車
|
写真
感想
「牧野記念庭園」から出発し、石神井公園を通って荻窪へ。
荻窪は、「西の鎌倉、東の荻窪」と言われたように、明治から大正にかけて文人や音楽家が多く移り住み、文化が漂う邸宅街。
去年の暮れ、60年ぶりに当時の姿を現した「荻外荘」が一般公開された。
「牧野富太郎」と「近衛文麿」、対照的とも言える2人の男の人生を垣間見てきました。
▶︎牧野記念庭園
ここは2度目の再訪ですが、牧野富太郎の人生を見るといつも目頭が熱くなります。
実力は、誰もが認めるナンバーワンでありながら、小学校中退がアダとなり、学閥の仲間入りはできず、最後まで講師のままでした。
理学博士の学位を受けた時は、自分が平凡になったと思えたそうです。
突出した才能を持った富太郎にとって、それは、なんだか小さな型に嵌められたような気分だったのでしょうね。
そんな富太郎は、77歳で東京大学を辞職し、94歳まで草木を永遠の恋人として生きました。
▶︎荻外荘(近衛文麿の旧宅)
【設計】
妖怪建築家の伊東忠太による設計。
摩訶不思議な動物を建築に取り入れることで有名だが、荻外荘では、応接室の床に龍の図柄が入った敷瓦を見つけました。
【書斎で自決】
近衛文麿は、A級戦犯としてアメリカの法廷において裁判を受けることになった。
昭和20(1945)年12月15日、多くの知人が荻外荘を訪れ、近衛の行く末を案じた。
夜11時ごろ、来客も帰り、家族も寝静まると、次男は、父親が自殺するのではないかと心配になり、文麿が風呂に入っている間にピストルや毒物がないかを探したが、見つからなかった。
若い頃から、英米が掲げる正義を偽善と感じ、それを批判する姿勢を崩さなかったが、その自分がアメリカの正義によって裁かれる。
それだけはなんとも逃れたい…
出頭期限日の昭和20年12月16日未明、文麿は一人になった寝室で青酸カリを用いて自決をした。
華麗なる公爵家の血筋を引く政治家の終焉。
享年54であった。
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