夫婦岩から宇治山田に向かいます。
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夫婦岩から宇治山田に向かいます。
鳥居前から二見道が始まります。振り返っての後方には山がありますが昔は鳥羽道という道が山の上へと通っていました。その上り口にはビルが建ち侵入が困難になっています。
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鳥居前から二見道が始まります。振り返っての後方には山がありますが昔は鳥羽道という道が山の上へと通っていました。その上り口にはビルが建ち侵入が困難になっています。
かつて街道の両側には旅籠が立ち並んでいました。右手の砂浜は昔のほうが面積が狭かったそうです。
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かつて街道の両側には旅籠が立ち並んでいました。右手の砂浜は昔のほうが面積が狭かったそうです。
年中注連飾りが飾られています。この辺りに多いのは「蘇民将来子孫」と書かれているもの。
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年中注連飾りが飾られています。この辺りに多いのは「蘇民将来子孫」と書かれているもの。
賓日館。明治20年に伊勢神宮に参拝する賓客の休憩・宿泊施設として建てられたもの。見学は9:00からですが10分前には入ることができました。
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賓日館。明治20年に伊勢神宮に参拝する賓客の休憩・宿泊施設として建てられたもの。見学は9:00からですが10分前には入ることができました。
ここは真正面の道へ。
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ここは真正面の道へ。
時おり車が通ります。
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時おり車が通ります。
ここを左へ。
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ここを左へ。
二見駅へと続く道筋。
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二見駅へと続く道筋。
御福餅本店。この手前に赤福もありますが二見といえばこのお店でしょう。
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御福餅本店。この手前に赤福もありますが二見といえばこのお店でしょう。
この右手に広がる広大な敷地は神都電車の旧二見駅。
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この右手に広がる広大な敷地は神都電車の旧二見駅。
境界標識に三重交通と書かれてる以外は痕跡はないようです。
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境界標識に三重交通と書かれてる以外は痕跡はないようです。
ここは真っすぐ。右斜めの道は新道で古地図にはない道です。
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ここは真っすぐ。右斜めの道は新道で古地図にはない道です。
少しわかりづらいですがここを右。古地図でも直角に曲がってることが確認できます。真正面にはJR参宮線の二見駅。駅への道は開通時に整備されたものです。
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少しわかりづらいですがここを右。古地図でも直角に曲がってることが確認できます。真正面にはJR参宮線の二見駅。駅への道は開通時に整備されたものです。
この細い路地が旧道の痕跡。
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この細い路地が旧道の痕跡。
この先で左に曲がります。古地図でも直角に曲がっています。
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この先で左に曲がります。古地図でも直角に曲がっています。
国道を地下道で渡ると家に阻まれます。家の先には痕跡が残っています。
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国道を地下道で渡ると家に阻まれます。家の先には痕跡が残っています。
その痕跡がこちら。線路の先にも旧道の痕跡があるのが確認できます。
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その痕跡がこちら。線路の先にも旧道の痕跡があるのが確認できます。
迂回して線路の反対側。右に井戸が見えますが家があった証拠でです。
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迂回して線路の反対側。右に井戸が見えますが家があった証拠でです。
突き当りを右へ。
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突き当りを右へ。
三津の集落。ここは真っすぐ進みですが左手には昔は高札場があり奥には船着き場もあって舟で来る人々にとって重要な場所でした。
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三津の集落。ここは真っすぐ進みですが左手には昔は高札場があり奥には船着き場もあって舟で来る人々にとって重要な場所でした。
たんたんと進みます。右手には神都電車の線路跡が平行しています。
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たんたんと進みます。右手には神都電車の線路跡が平行しています。
線路跡にはこのような駅の跡があります。離合出来るよう広くなっています。
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線路跡にはこのような駅の跡があります。離合出来るよう広くなっています。
左へ。ここはなぜか枡形のような道筋になっています。
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左へ。ここはなぜか枡形のような道筋になっています。
振り返ると安土城が見えました。
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振り返ると安土城が見えました。
ここで神都電車の線路跡と合流します。敷地的に併用軌道だったものと思われます。
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ここで神都電車の線路跡と合流します。敷地的に併用軌道だったものと思われます。
汐合橋手前。右に進んで橋を渡ります。
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汐合橋手前。右に進んで橋を渡ります。
神都電車の橋台が残ります。明治の橋は橋台と現在の橋のちょうど中間に架かっていました。
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神都電車の橋台が残ります。明治の橋は橋台と現在の橋のちょうど中間に架かっていました。
渡った先にあった道標。二見道、宮川道の字が見えます。
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渡った先にあった道標。二見道、宮川道の字が見えます。
振り返って向こう岸を見ると明治の橋の橋台が残っています。
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振り返って向こう岸を見ると明治の橋の橋台が残っています。
道標はちょうど明治の橋の出口にあたる場所に立っていておそらく昔と全く同じ位置と思われます。そう考えると街道はここを真っすぐ突き抜けていたようです。
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3/6 11:20
道標はちょうど明治の橋の出口にあたる場所に立っていておそらく昔と全く同じ位置と思われます。そう考えると街道はここを真っすぐ突き抜けていたようです。
道路の左側は専用軌道の神都線が走っていて右側に街道がありました。
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3/6 11:23
道路の左側は専用軌道の神都線が走っていて右側に街道がありました。
国道42号線に合流します。左の歩道部分が線路跡で第一車線部分が旧道と思われます。
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国道42号線に合流します。左の歩道部分が線路跡で第一車線部分が旧道と思われます。
この付近が神都電車の旧通町駅跡。
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3/6 11:37
この付近が神都電車の旧通町駅跡。
街道はそのまま車道を直進します。左斜めの旧道っぽい道筋は線路跡です。
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街道はそのまま車道を直進します。左斜めの旧道っぽい道筋は線路跡です。
この膨らみは旧道の痕跡でしょう。
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この膨らみは旧道の痕跡でしょう。
右斜めへの旧道に入っていきます。ここは神都電車の旧学校前駅跡。
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右斜めへの旧道に入っていきます。ここは神都電車の旧学校前駅跡。
枕木がおいてありました。
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枕木がおいてありました。
旧道を進みます。三重県のウォーキングマップでは県道ルートになってますが間違いです。
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3/6 11:55
旧道を進みます。三重県のウォーキングマップでは県道ルートになってますが間違いです。
橘神社。
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3/6 12:04
橘神社。
県道に合流してほどなく進むと二軒茶屋です。
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3/6 12:08
県道に合流してほどなく進むと二軒茶屋です。
角屋の手前を右へ。
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角屋の手前を右へ。
角屋で名物を舌鼓。この付近は三河などから船で来る人の港で賑わっていました。
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3/6 12:13
角屋で名物を舌鼓。この付近は三河などから船で来る人の港で賑わっていました。
明治天皇もこの地に上陸しています。
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3/6 12:31
明治天皇もこの地に上陸しています。
再び県道に合流。
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3/6 12:37
再び県道に合流。
右へ。
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右へ。
勢田川沿いに出ます。対岸が河崎町です。
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3/6 12:44
勢田川沿いに出ます。対岸が河崎町です。
1815年架橋の新橋(現在の橋は架け替えられたもの)で右に折れて河崎町を散策しました。再びここに戻ってきます。
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3/6 12:47
1815年架橋の新橋(現在の橋は架け替えられたもの)で右に折れて河崎町を散策しました。再びここに戻ってきます。
河崎町の風情。資料館があります。河崎町は貨物港、先ほどの二軒茶屋港は人用の港の位置づけです。
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3/6 12:50
河崎町の風情。資料館があります。河崎町は貨物港、先ほどの二軒茶屋港は人用の港の位置づけです。
立派な道標は明治のもの。指さしが立派です。二見道の別ルートとして外宮へショートカットする道があるのですが主に物流の道筋だったようでその証拠に古地図を見るとかなり太く描かれています。
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3/6 13:41
立派な道標は明治のもの。指さしが立派です。二見道の別ルートとして外宮へショートカットする道があるのですが主に物流の道筋だったようでその証拠に古地図を見るとかなり太く描かれています。
戻ります。勢田川沿いを進みます。
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戻ります。勢田川沿いを進みます。
ここを左へ。古地図では川沿いには港湾施設があったように描かれています。
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ここを左へ。古地図では川沿いには港湾施設があったように描かれています。
このような感じです。(青丸が現在地)
2016年03月06日 14:08撮影
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このような感じです。(青丸が現在地)
すぐに右に曲がります。
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すぐに右に曲がります。
立派な道標があります。江戸期のものです。
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立派な道標があります。江戸期のものです。
少し川沿いを進んでから左に折れます。この先は元々は湿地帯で江戸後期になって治水が発展すると川沿いの道ができました。それまでは地盤が安定した場所を選ぶように迂回する形で進んでいたようです。
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少し川沿いを進んでから左に折れます。この先は元々は湿地帯で江戸後期になって治水が発展すると川沿いの道ができました。それまでは地盤が安定した場所を選ぶように迂回する形で進んでいたようです。
正面に見えるお地蔵さんの名前には宇治道地蔵と書かれています。宇治とは内宮のこと。
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正面に見えるお地蔵さんの名前には宇治道地蔵と書かれています。宇治とは内宮のこと。
右へ。参宮線の陸橋をくぐります。
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右へ。参宮線の陸橋をくぐります。
旧道入口。右斜めへ。
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旧道入口。右斜めへ。
旧道の痕跡です。
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旧道の痕跡です。
道なりに進むと二見街道入口交差点に出ます。交差点で右へ。
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道なりに進むと二見街道入口交差点に出ます。交差点で右へ。
勢田川の手前を左へ。
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勢田川の手前を左へ。
簀子橋(すのこはし)付近。この橋は古くからあって道標が立っていましたが小田橋付近に移設されています。
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簀子橋(すのこはし)付近。この橋は古くからあって道標が立っていましたが小田橋付近に移設されています。
道標があったことを示すプレート。
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道標があったことを示すプレート。
その道標がこちら。すぐ二見の文字が見えます。
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その道標がこちら。すぐ二見の文字が見えます。
小田橋。ここが二見道のゴールです。伊勢参宮街道と合流します。
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小田橋。ここが二見道のゴールです。伊勢参宮街道と合流します。
大石屋の大広間、ブラジル丸(遠い目つき
ブラジル丸懐かしいですね。あれって鳥羽ではなかったでしたっけ?
わけがわからんと内宮、ミキモト真珠島、真珠みたいな砂糖菓子がついたお土産
十手や木刀〜(遠い目つき
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