記録ID: 83216
全員に公開
ハイキング
奥多摩・高尾
奥多摩珍道中・日原・倉沢鍾乳洞
1953年10月10日 [日帰り]


コースタイム
国鉄中央線・新宿駅ホーム最前部で待ち合わせて出発した。
立川駅で青梅線に乗り換える。
青梅駅あたりから車窓左側の渓谷沿いの風景が美しく皆窓から夢中で眺めていた。
終点の氷川駅に着いたのは9時頃だったと記憶している。
当時路線バスがあったかどうか不明だが、我々3人は電車を降りてすぐに歩き始めた。
青梅街道沿いの砂利道の林道を渓谷の景色を見ながら道間違えにも気付かずダムの基礎工事現場の先まで歩き、工事のダンプカーに便乗させてもらい氷川駅まで戻り、更に日原方向に途中まで乗せて貰う。
渓谷の景色を見ながら延々と歩き日原鍾乳洞を見物する。
昼には遅い弁当を食べてから林道を戻り、倉沢鍾乳洞の案内板に沿って左の林道に入る。
鍾乳洞には管理人が居らず、勝手に入り中を見物する。
見物を終えて帰途についたのは5時近かったと記憶している。
途中の林道で足元が暗くなり全員懐中電灯をつけて急ぎ足で歩き、氷川駅に着いたときにはもう完全に夜になっていた。
今にして思えば行き当たりばったりの珍道中であった。
全コースの所要時間は歩程、休息コミで10時間位かかったのではないかと思う。
奥多摩駅に辿り付いた時には全員空腹で目が廻り、歩き疲れて足が痛くなっていた。
立川駅で青梅線に乗り換える。
青梅駅あたりから車窓左側の渓谷沿いの風景が美しく皆窓から夢中で眺めていた。
終点の氷川駅に着いたのは9時頃だったと記憶している。
当時路線バスがあったかどうか不明だが、我々3人は電車を降りてすぐに歩き始めた。
青梅街道沿いの砂利道の林道を渓谷の景色を見ながら道間違えにも気付かずダムの基礎工事現場の先まで歩き、工事のダンプカーに便乗させてもらい氷川駅まで戻り、更に日原方向に途中まで乗せて貰う。
渓谷の景色を見ながら延々と歩き日原鍾乳洞を見物する。
昼には遅い弁当を食べてから林道を戻り、倉沢鍾乳洞の案内板に沿って左の林道に入る。
鍾乳洞には管理人が居らず、勝手に入り中を見物する。
見物を終えて帰途についたのは5時近かったと記憶している。
途中の林道で足元が暗くなり全員懐中電灯をつけて急ぎ足で歩き、氷川駅に着いたときにはもう完全に夜になっていた。
今にして思えば行き当たりばったりの珍道中であった。
全コースの所要時間は歩程、休息コミで10時間位かかったのではないかと思う。
奥多摩駅に辿り付いた時には全員空腹で目が廻り、歩き疲れて足が痛くなっていた。
天候 | 晴れ。 暖かく好い天気であった。 風に吹かれた記憶も無いので平穏な天候だったのだろうと思う。 |
---|---|
アクセス |
利用交通機関:
電車
我々の中にはリュックやザックを持った者は誰一人としてなく、弁当や水、衣類と鍾乳洞探検用の懐中電灯をボストンバックや手提げかばんに入れて持って歩いていた。 全員足ごしらえも普段の皮の短靴や運動靴、服装も街中歩きのスタイルでとてもハイキングといえる姿ではなかった。 |
コース状況/ 危険箇所等 |
渓谷に沿った林道はどの場所でも景色が美しく、山も谷も急峻である。 林道から外れることが殆んど無かったので危険場所は無かった。 林道は砂利道で舗装されていない。 時々工事のダンプカーが走っていた。 ダム工事は始まったばかりで、遥か目の下の谷底部の一部が削りとられ、ミキサーが備え付けられてコンクリートの打ち込みが行われていた。 少し歩くと渓谷沿いの林道から対岸に渡る細くて長い吊橋が架かっていて、渡ってみようと試みたが、ワイヤーの他に手すりが無く踏み板の巾も30センチ程度しかなく、下を見ると目も眩む高さである。 代わるがわる渡ろうと試みたが全員アウト、私は三分の一程のところで、怖気づき四つんばいでほうほうのていで戻ってきた。 日原鍾乳洞は管理人が居て電気をつけてくれたが、倉沢鍾乳洞は管理人も居らず照明も無い。 懐中電灯をつけて入ったが、深入りはしなかった。 奥多摩が3年前に国立公園に指定されたとの事で、新しい立札や案内板が目だち、付近で迷うことは無かった。ainakaren |
写真
前年の1952年に発行された山関連の郵便切手。
山好きになってから、家にあった郵便物から剥がして保管した1枚。
*この切手に関する日記
http://www.yamareco.com/modules/diary/8042-detail-37468
山好きになってから、家にあった郵便物から剥がして保管した1枚。
*この切手に関する日記
http://www.yamareco.com/modules/diary/8042-detail-37468
感想
この日、美しい奥多摩の渓谷に初めて接し、その魅力に心を鷲摑みにされてしまった。
この時から、色々な山に行って見たい、できれば登ってみたい思いが私の心に沸きあがったのである。
3人のうち山登りを趣味にしたのは私だけだが、内一人とは翌翌年、一度だけ妙高山に登った。
今にして思えば、この鍾乳洞見物の珍道中が、その後60年近い私の山登りの契機になった。
そして素晴らしい数々の想い出を残してくれた。
一部が奥多摩湖の底に沈んでしまったが、今でも奥多摩の山と渓谷は素晴らしい景観を残している。ainakaren
*1953年は計らずも山岳界の大記録の年であった。
世界最高峰のエヴェレスト山の初登頂にヒラリーとテンジンが成功したのである。
1953年5月29日の事であった。
関連する日記とコメント
http://www.yamareco.com/modules/diary/8042-detail-12441
http://www.yamareco.com/modules/diary/8042-detail-13931
http://www.yamareco.com/modules/diary/8042-detail-24303
お気に入りした人
人
拍手で応援
拍手した人
拍手
訪問者数:7932人
倉沢鍾乳洞は閉鎖なんですよね。
私は1998年に部活で初めて奥多摩に行き、倉沢鍾乳洞が最初の探検でした。たしか、翌年には閉鎖されたと思います(残念)。
最初に入ったときの感動は今でも覚えていますし、
いい思い出です。インドアな人間でしたから全部が新鮮でした
いまは登山
K_guminさん、こんばんは。
現在は倉沢が閉鎖中だそうですね。
見物者が少ないので経営的に難しいのでしょうね。
日原が天井の高い広い空間が中に多いのに対して、倉沢はモグラの巣穴のような迷路が続いている感じでした。
私の登山の原点が奥多摩なので春と秋に毎年行くようにしています。
現在、奥多摩湖のドラム缶橋の所に目の眩むような吊橋があって、恐くて渡れませんでした。
景色のいい場所でした。
懐かしい想い出です。ainakaren
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する