妙法院仏教文化講座 随心院と小野小町

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感想
2〜3ヶ月ぶりに仏教講座に行く
知っていることが多く話の内容についていくことができました
2029年、門跡寺院となって800年となるそうな
講演会を聞いての感想・・・。
学者、研究者とお寺の住職さんではやっぱり違う!
随心院
(山科区小野御霊町)
※本尊 如意輪観音
真言宗善通寺派の大本山。
山号は牛皮山。
小野門跡ともいう。
東密(真言宗に伝わる密教)の事相(修法や修験などの実践面のこと)である小野流の発祥の寺。
正暦2年(991)、仁海が当地に牛皮曼荼羅(承久の乱で焼失)を祀って曼荼羅寺を創始したのに始まる。
5世増俊の時に随心院に改め、7世親厳の時に門跡寺院となった。
承久、応仁・文明の兵乱で衰退し、慶長4年(1599)に復興。
明治41年(1908)独立し真言宗小野派となったが、昭和6年(1931)に善通寺を本山とする善通寺派に所属した。
快慶作の金剛薩埵坐像(重要文化財)を所蔵する。
境内は国の史跡に指定されている。
小野小町ゆかりの寺と伝え、小町化粧の井戸や、深草少将らからの恋文を埋めたという文塚などが立つ。
→金剛薩埵坐像(京都の彫刻)244頁、はねず踊り311頁、百夜通い361頁
3月最終日曜
はねず踊り
随心院
小野小町ゆかりの寺で、それにちなみ、深草少将百夜通いの悲恋伝説をテーマにした今様を踊る。
大正時代まで残っていた童歌と舞の伝承が復活、境内の特設舞台で菅笠に梅の造花を挿した少女たちが舞う。
梅花の薄紅を「はねず色」と呼ぶ。
百夜通い 山科区 随心院
六歌仙の一人、世にいう絶世の美女の小野小町は、山科の里に住んでいた。
ある時、ふとしたことで小町を垣間見た深草少将は、恋のとりこになり深草の里から山科の里まで、来る日も来る日も通い続けたが、小町の家の門は一向に開く気配がない。
しかし、うわさは広がり、どこからともなく百夜通い続ければ、小町への思いは達せられるといわれ、気力だけで通い続けた。
季節も秋風の吹く頃、やっと99日目の夜、少将の息は途絶えてしまったという。
→随心院121頁
(京都検定テキスト)
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