記録ID: 8615671
全員に公開
ハイキング
京都・北摂
尾桟敷
2018年11月25日(日) [日帰り]


体力度
3
日帰りが可能
- GPS
- 05:49
- 距離
- 14.4km
- 登り
- 939m
- 下り
- 965m
コースタイム
日帰り
- 山行
- 5:12
- 休憩
- 0:37
- 合計
- 5:49
距離 14.4km
登り 939m
下り 965m
2018/11/25
小浜街道(若狭街道)の内、雲ケ畑〜山国井戸までを歩く。祖父谷の谷道は後回しにして、尾桟敷ーナベクロ峠ー祖父谷峠−井戸祖父谷。尾桟敷をナベクロ峠までは以前歩いたけれども、祖父谷峠を通ったのは50年ほども前、しかも井戸までは歩いていない。このコースを歩けば、小浜街道は京・大宮頭から芦生・須後および田歌までつながることになる。ボクにとっては結構重要なコースで本年締めくくりとしても良いくらいだ。
このコースは京都北山の人気コースなのでルートはバッチリ 。時間を節約できたらナベクロ峠周辺を少し探索してみよう。
■コースタイム
9:18 岩屋橋発
9:39 志明院口、薬師峠道分岐
9:53 沢分岐■休憩 10:05
10:13 薬師峠
10:47 岩茸山分岐
10:54 谷源頭部横断
11:06 植林帯
11:17 稜線
11:30 鉄塔ピーク■昼食休憩 12:11
12:17 桟敷ヶ岳
12:42 ナベクロ峠
12:46 鉄塔ピーク
13:00 祖父谷峠■休憩 13:24
13:45 谷出合、林道着地
13:52 整備林道
13:55 林道合流
14:02 祖父谷橋
14:49 春日神社 14:54
14:58 井戸
15:03 江口橋
15.4km/5時間49分(山旅ロガー読み、内休憩1時間17分)
小浜街道(若狭街道)の内、雲ケ畑〜山国井戸までを歩く。祖父谷の谷道は後回しにして、尾桟敷ーナベクロ峠ー祖父谷峠−井戸祖父谷。尾桟敷をナベクロ峠までは以前歩いたけれども、祖父谷峠を通ったのは50年ほども前、しかも井戸までは歩いていない。このコースを歩けば、小浜街道は京・大宮頭から芦生・須後および田歌までつながることになる。ボクにとっては結構重要なコースで本年締めくくりとしても良いくらいだ。
このコースは京都北山の人気コースなのでルートはバッチリ 。時間を節約できたらナベクロ峠周辺を少し探索してみよう。
■コースタイム
9:18 岩屋橋発
9:39 志明院口、薬師峠道分岐
9:53 沢分岐■休憩 10:05
10:13 薬師峠
10:47 岩茸山分岐
10:54 谷源頭部横断
11:06 植林帯
11:17 稜線
11:30 鉄塔ピーク■昼食休憩 12:11
12:17 桟敷ヶ岳
12:42 ナベクロ峠
12:46 鉄塔ピーク
13:00 祖父谷峠■休憩 13:24
13:45 谷出合、林道着地
13:52 整備林道
13:55 林道合流
14:02 祖父谷橋
14:49 春日神社 14:54
14:58 井戸
15:03 江口橋
15.4km/5時間49分(山旅ロガー読み、内休憩1時間17分)
過去天気図(気象庁) | 2018年11月の天気図 |
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アクセス |
写真
尾桟敷の真骨頂!巻道が続く
尾桟敷とは、雲ケ畑から山国井戸へ越してゆく、桟敷ヶ岳を通る尾根越しの峠道である。金久さんによると、祖父谷の谷道は数百年前に開通したので、それ以前はこの尾根道が丹波に越えてゆくメインロードだった。一方、祖父谷峠自体は1,000年ほど前に開通していて、尾桟敷道はナベクロ峠を過ぎて、その祖父谷峠に至るとされている(金久昌業「北山の峠(中)」ナベクロ峠の章)。
尾桟敷とは、雲ケ畑から山国井戸へ越してゆく、桟敷ヶ岳を通る尾根越しの峠道である。金久さんによると、祖父谷の谷道は数百年前に開通したので、それ以前はこの尾根道が丹波に越えてゆくメインロードだった。一方、祖父谷峠自体は1,000年ほど前に開通していて、尾桟敷道はナベクロ峠を過ぎて、その祖父谷峠に至るとされている(金久昌業「北山の峠(中)」ナベクロ峠の章)。
10:54、岩茸山西鞍部に突き上げる谷を渡る。すっかり葉が落ちてしまった。
岩茸山に登るのならこの谷を詰めると簡単に行けると思うのだが、登山道は尾根通しに付いている。金久さんによると、昔の尾桟敷の峠道は、今歩いた道が尾根を東に乗越すあたりからもっと上、尾根筋に近いところに通じていたらしい。ということは、今歩いている道は新しい道ということか。
岩茸山に登るのならこの谷を詰めると簡単に行けると思うのだが、登山道は尾根通しに付いている。金久さんによると、昔の尾桟敷の峠道は、今歩いた道が尾根を東に乗越すあたりからもっと上、尾根筋に近いところに通じていたらしい。ということは、今歩いている道は新しい道ということか。
■尾桟敷そっちのけで眺望を楽しむ
11:17、尾根上に出た。倒木もまあまああるが、枯木も多い。前回来たのは8月だったので、枯木はあまり目立たなかったが、葉っぱが落ちてみるとかなり目立つ。
11:17、尾根上に出た。倒木もまあまああるが、枯木も多い。前回来たのは8月だったので、枯木はあまり目立たなかったが、葉っぱが落ちてみるとかなり目立つ。
11:30、あちこち眺めているうちに鉄塔ピークまで来た。ここで昼食。結構風があってウインドブレーカなしには寒い。風のあたらない東面のひだまりで休憩した。
性懲りもなく天童山方面。東俣というのもしっかりした山だった。遠く向こうに特徴的な三角のピークが見えたが写真でははっきりしない。
性懲りもなく天童山方面。東俣というのもしっかりした山だった。遠く向こうに特徴的な三角のピークが見えたが写真でははっきりしない。
12:38、いくつかの小さなコブを越して20分ほどでナベクロ峠直下の鞍部に来た。
ちょっと尾根から外れて祖父谷の源頭を覗いてみる。昔の地図(エアリアマップ等)には、このあたりから谷に降りていく道が示されている。ボクも大昔には降ったことがある。そのときは、前に見える鉄塔ピークからの関電道はなかった。この谷には簡単に降りられそうではある。
昔、祖父谷道がない場合、尾桟敷から祖父谷峠にはどうやって降りたのだろうか?金久さんはここから前に見える斜面を巻気味に祖父谷峠に接続する道があったのではなかろうか、と想定されている。見たところ道型などは見当たらないが、かんたんにトラバースできそうな斜面ではある。
ちょっと尾根から外れて祖父谷の源頭を覗いてみる。昔の地図(エアリアマップ等)には、このあたりから谷に降りていく道が示されている。ボクも大昔には降ったことがある。そのときは、前に見える鉄塔ピークからの関電道はなかった。この谷には簡単に降りられそうではある。
昔、祖父谷道がない場合、尾桟敷から祖父谷峠にはどうやって降りたのだろうか?金久さんはここから前に見える斜面を巻気味に祖父谷峠に接続する道があったのではなかろうか、と想定されている。見たところ道型などは見当たらないが、かんたんにトラバースできそうな斜面ではある。
12:46、鉄塔ピーク。この背後に鉄塔がある。
ナベクロ峠からこのピークまで1,2分で来られるので、その昔であっても、わざわざ谷に降りてゆき再度祖父谷を登って峠に至らなくても、このピークから尾根通しに祖父谷峠に行ってもよいのではないか?関電道は新しいけれども、その昔でも尾根筋には道があったのではないか、と思えるほどであった。
ナベクロ峠からこのピークまで1,2分で来られるので、その昔であっても、わざわざ谷に降りてゆき再度祖父谷を登って峠に至らなくても、このピークから尾根通しに祖父谷峠に行ってもよいのではないか?関電道は新しいけれども、その昔でも尾根筋には道があったのではないか、と思えるほどであった。
金久さんが想定されている祖父谷峠への巻道は、ひょっとしたらこのあたり、ca.810付近のベロのように東に突き出している小尾根の基部あたりに来ていたんではないか?いったん祖父谷本流に降りるよりも合理的だと思うのだが・・・・
峠から鉄塔ピークの方を眺めてみる。井戸からやっと祖父谷峠まで登ってきた旅人も、「正面の山に登るんではないで、その下にある小尾根の上までや」と言われると、「そんならちょっとガンバロか」と思ったのではないか?谷を巻いてナベクロ峠に至る巻道仮説は妥当なように思えるのだけど。
13:52、さらに降っていくとよく整備された林道が始まった(コンター580付近)。府道?
帰宅後、「北山の峠 」を読み返してみると、巻道が谷道に変わって・・ちょっとした台地になったところに地蔵があって、その下からきれいな水が流れていた」とあった。この水は井戸の人々の「末期の水」として使われていたそうだ。この地蔵さんは重要なポイントらしく、波多野文書にある尾桟敷の道順が「雲ケ畑−薬師峠−桟敷尾根−石仏−井戸祖父谷ー井戸」となっていて、その「石仏」がこの地蔵さんではないかと、金久さんは推理されていた。この場所がよく分からない。今の林道は新しいもので、金久時代ではより下流にある祖父谷橋までが林道でそれより上は巻道、谷道であったので、林道を歩いている限りはわからないのだろう。
後日、GoogleMapを見ていると、上記整備林道が始まるあたりから少し下流には「水呑」という地名が記されていた。これは重要な手がかりにならないか?
さらに、祖父谷峠近くにあるという石仏もすっかり忘れていた。これは再訪必須かな?
とりあえず林道を淡々と降る。
帰宅後、「北山の峠 」を読み返してみると、巻道が谷道に変わって・・ちょっとした台地になったところに地蔵があって、その下からきれいな水が流れていた」とあった。この水は井戸の人々の「末期の水」として使われていたそうだ。この地蔵さんは重要なポイントらしく、波多野文書にある尾桟敷の道順が「雲ケ畑−薬師峠−桟敷尾根−石仏−井戸祖父谷ー井戸」となっていて、その「石仏」がこの地蔵さんではないかと、金久さんは推理されていた。この場所がよく分からない。今の林道は新しいもので、金久時代ではより下流にある祖父谷橋までが林道でそれより上は巻道、谷道であったので、林道を歩いている限りはわからないのだろう。
後日、GoogleMapを見ていると、上記整備林道が始まるあたりから少し下流には「水呑」という地名が記されていた。これは重要な手がかりにならないか?
さらに、祖父谷峠近くにあるという石仏もすっかり忘れていた。これは再訪必須かな?
とりあえず林道を淡々と降る。
■井戸点描
14:49、井戸が見えてきた。以前は佐々里から品谷遡行ー品谷峠−八丁−卒塔婆峠−小塩と降ってきて井戸の橋の向こうの三叉路まで歩いてきた。これでやっと接続できる。
以前:https://stellabyhydra.blog.fc2.com/blog-entry-349.html
14:49、井戸が見えてきた。以前は佐々里から品谷遡行ー品谷峠−八丁−卒塔婆峠−小塩と降ってきて井戸の橋の向こうの三叉路まで歩いてきた。これでやっと接続できる。
以前:https://stellabyhydra.blog.fc2.com/blog-entry-349.html
境内にある水天宮
水天宮ではあるが、雲ケ畑から祖父谷を少し遡ったところにある石柱と同じ性格のものではないか、という話もある。 「北山の峠」(上)祖父谷の項では、男根とか道祖神か、と書いてあった。
雲ケ畑の石柱:https://blog-imgs-96.fc2.com/s/t/e/stellabyhydra/2016082419443791ds.jpg
水天宮ではあるが、雲ケ畑から祖父谷を少し遡ったところにある石柱と同じ性格のものではないか、という話もある。 「北山の峠」(上)祖父谷の項では、男根とか道祖神か、と書いてあった。
雲ケ畑の石柱:https://blog-imgs-96.fc2.com/s/t/e/stellabyhydra/2016082419443791ds.jpg
14:58、井戸バス停着
当初は、平日や土曜はバスが17:43で、いくらなんでも今の時期暗い!ということで木曜日に来ようかと思っていた。今14:58、ギリギリやなあ。何かあったら2時間待ちか、8.5kmを歩く羽目になっていたところや。日曜日で正解だったのだが、15:54も最終バスなので、これもリスクはある。
ともあれ、これで京から芦生、田歌までは繋がったことになってメデタシというところなのだ。
1.京・大宮頭−満樹峠ー雲ケ畑 (2018/11/4)
2.雲ケ畑ー尾桟敷ー祖父谷峠ー井戸 (今回)
3.井戸ー卒塔婆峠ー八丁ー品谷峠ー釜ヶ原ー佐々里(2017/5/30)
4.佐々里ー芦生・須後ー田歌(2017/11/12-13)
さらに大昔には、田歌ー 五波谷峠ー染ヶ谷ー権蔵坂ー須後と歩いているので、無理やりこじつければ若狭までは到達したことになる。
当初は、平日や土曜はバスが17:43で、いくらなんでも今の時期暗い!ということで木曜日に来ようかと思っていた。今14:58、ギリギリやなあ。何かあったら2時間待ちか、8.5kmを歩く羽目になっていたところや。日曜日で正解だったのだが、15:54も最終バスなので、これもリスクはある。
ともあれ、これで京から芦生、田歌までは繋がったことになってメデタシというところなのだ。
1.京・大宮頭−満樹峠ー雲ケ畑 (2018/11/4)
2.雲ケ畑ー尾桟敷ー祖父谷峠ー井戸 (今回)
3.井戸ー卒塔婆峠ー八丁ー品谷峠ー釜ヶ原ー佐々里(2017/5/30)
4.佐々里ー芦生・須後ー田歌(2017/11/12-13)
さらに大昔には、田歌ー 五波谷峠ー染ヶ谷ー権蔵坂ー須後と歩いているので、無理やりこじつければ若狭までは到達したことになる。
しかし、見てしまった!この地図。しかも、最近の踏査記録も!口芦生と出合から尾根を登り、コンター500mあたりをトラバースして唐戸の渓谷を避ける破線路が示されている。今の車道より160mほども上を通っている。『北山の峠』再訪さんが通過しておられるが、崩落部があるので行けるかな?
この地図は金久さんは見ておられないらしいけど、「ここに道がある」と予言された氏の眼力には恐れ入るし、実際に通過した『北山の峠』再訪さんにも敬服する次第である。
とりあえず、 冬越しして春までに考えよう。
◆最近の踏査記録:https://kitayama.kyoto.jp/appendix/KaratoTraverse(消えている)
◆出所:明治の5万分の一陸測地図(スタンフォード大学提供:Stanford Digital Repository)
この地図は金久さんは見ておられないらしいけど、「ここに道がある」と予言された氏の眼力には恐れ入るし、実際に通過した『北山の峠』再訪さんにも敬服する次第である。
とりあえず、 冬越しして春までに考えよう。
◆最近の踏査記録:https://kitayama.kyoto.jp/appendix/KaratoTraverse(消えている)
◆出所:明治の5万分の一陸測地図(スタンフォード大学提供:Stanford Digital Repository)
撮影機器:
感想
これで京から芦生、田歌までは繋がったことになってメデタシというところなのだ。
1.京・大宮頭−満樹峠ー雲ケ畑 (2018/11/4)
2.雲ケ畑ー尾桟敷ー祖父谷峠ー井戸 (今回)
3.井戸ー卒塔婆峠ー八丁ー品谷峠ー釜ヶ原ー佐々里(2017/5/30)
4.佐々里ー芦生・須後ー田歌(2017/11/12-13)
さらに大昔には、田歌ー 五波谷峠ー染ヶ谷ー権蔵坂ー須後と歩いているので、無理やりこじつければ若狭までは到達したことになる。
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