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ハイキング
東海
笠尾山(関ヶ原)そのとき歴史が動いた!!
2010年11月14日(日) [日帰り]

天候 | くもり |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2010年11月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
写真
その時歴史が動いた!!
410年前日本の未来を決める戦いがここで行われた。是非はともあれ 私はこの場所に立つことが出来た。
笠尾山の陣から見た主戦場となった関ヶ原
毛利軍の躊躇が悔やまれます。
410年前日本の未来を決める戦いがここで行われた。是非はともあれ 私はこの場所に立つことが出来た。
笠尾山の陣から見た主戦場となった関ヶ原
毛利軍の躊躇が悔やまれます。
撮影機器:
感想
戦国最終決戦の場、ここ関ヶ原の実質西軍の指揮所となった
笠尾山 石田三成の陣馬に行って参りました。
この天下分け目の戦はあっという間に終わった。
ということに、改めて 感慨深いものがあります。
山中深い我が家では、情報伝達が遅く
江戸末期になっても、”豊臣方はまだ決起せぬか!!”といって
無くなったご先祖がいると聞いています。
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石田公陣所からみて、西軍の布陣は必殺と見えます。その只中に進攻する東軍。どっちもどっちの気迫。何度行っても面白い関が原。首塚詣でしてたら、また来たかと言われたことがあります。
各大名の陣所跡、1日では廻りきれず。テントもって縦走すると、ちょっと夜が怖いかも。
ちなみに京都では、「このあいだの戦火」というと応仁の乱を指すそうな・・・
東軍が西軍のまっただなかに出て来れたのは、
既に諜略で優位に立ってたから でしょうね。
戦わずとも 勝負は決まっていた。
関西勢としては、無念じゃあ!
kimidoriさん!お帰りなさい・・・
今回はお山と戦のテンションが感じられました。
戦って勝負だけでは勝てないのですね・・・。
すいません、あんまり解からないのに生意気を言って。
manayaさん コメント嬉しいです。
どんどこ お願いします。
kimidori兄さん、こんにちは〜
秋、冬は城攻めですね。
着々と攻略して、何れは天下統一の野望も??
では、では!
そうなんです。冬が城責めのシーズンなんです。
城廻ファンの待ちに待ったシーズンです。
天下取りは、ゲームの上だけです。
(とゆっときましょうか。)
ところで 嫌煙チャレンジャーは 断念しましたか?
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