野崎駅→西那須野駅 一駅歩きと温泉、明治の軍人に思いを至らせる


- GPS
- 03:23
- 距離
- 8.9km
- 登り
- 19m
- 下り
- 0m
コースタイム
天候 | 曇り |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2025年10月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車
自宅最寄り駅→品川駅→宇都宮駅→野崎駅 【帰り】 西那須野駅→宇都宮駅→自宅最寄り駅 秋の乗り放題きっぷ使用 行き、自宅最寄り駅→野崎駅 3740円 帰り、西那須野駅→宇都宮駅 770円 宇都宮駅→自宅最寄り駅 3080円 合計 7520円 |
その他周辺情報 | 乃木温泉 |
写真
感想
秋の乗り放題切符、2日目は朝ちょっと起きるのが遅かったために、「1駅シリーズとなった。」かつて、西那須野駅から黒磯駅まで歩いたことがあったので、この赤線につながるような場所を歩きたい、と思ったのでした。というわけで、今回の目的は「野崎駅→西那須野駅」。どうやら、西那須野駅近くには安く入れる温泉もあるようで、当初は、その温泉を目指して歩くというような目的になっていました。
しかしながら、この歩きの中で、3名の歴史的有名人に思いを馳せることになるのです。
1人目は那須与一。源頼朝に仕えていた弓の名人。屋島の戦いで、相手側の扇子を打ち落としたことでよく知られている。源平合戦後に五箇所で荘園を運営した。全国に何箇所も、那須与一の墓があると言われている。ちなみに「与一」という名前の意味は、「十人よりも一人与分の能力」という意味で、十人力よりも強いという意味だそうだ。この時代「与一」と言われた武士は、他にも数人いるようで、「頼朝の三与一」とも言われている。
2人目は大山巌、明治から大正期にかけて活躍した陸軍元帥である。陸軍大臣、陸軍参謀総長、文部大臣、元老、貴族院議員等の肩書きを持つ。西郷隆盛のいとこ。寺田屋事件で一度失脚するが薩英戦争で復権する。黒田清隆らと砲術を学んだ。戊辰戦争後、欧米に留学。帰国後、西南、戦争や日清日露戦争に従軍。日清戦争では、第二軍長官。日露戦争では満州軍総司令官を務めた。「陸の大山、海の東郷」と言われ、日本の勝利に大いに貢献した。大正5年に亡くなった。
3人目は乃木希典。明治に活躍した陸軍大将。明治天皇に殉じて死を選んだ。日露戦争で旅順包囲戦・奉天会戦を指揮した。投降した敵指揮官に紳士的な対応で処遇することで、世界から賞賛される。その後、昭和天皇が学ぶ時期の学習院院長などを務めた。全国に「乃木神社」や「乃木坂」など名前を残す。
野崎駅前に那須与一像あり、さすが那須塩原市?!と思ったら、ここは大田原市でした。大田原市は、イメージ的にはよく将棋の王将戦が開催されている場所というイメージしかなく、「よく知らない街」である。野崎駅は大田原市の端っこだが、こんど市内の観光営所を巡ってみたいとも思う。栃木百名山に選ばれている山もあるみたいですし。
今回は一駅歩きだが、途中で大田原市から那須塩原市に変わる、しかし、どこで変わったのかはわからない。約7km程を歩き西那須野駅に到着した。ここで終わりにしてもよいのだが、近くにある大山巌墓所、そして乃木温泉に行くことにした。
大山巌、乃木希典両氏については先に記載した通り、特に乃木希典氏に関しては乃木坂、乃木神社、小説「こころ」、漫画「めぞん一刻」などでも出てきたなあと思い、それなりに知っているつもりだ。殉死なんてできないああ・・・日本で様々な殉死や後追い自殺などが今までに報じられたが、個人的には同情できない。
温泉は、露天風呂はないがいい湯だったと思う。450円という価格もよいではないか。
駅に戻ると、お祭をやっていた。しかし、半分くらい店じまいしているようで、結局何も買わず、何も食べず、駅に戻ってGPSを切った。
宇都宮駅近くで、百名店のラーメン屋さんに行き食べ、高級感を味わい。電車酒場へと突入する。残念ながら、前半は寝てしまった、大宮あたりまでは寝てしまったと思う。その後、少しだけ本を読み、地元駅にたどり着いた。
秋の乗り放題切符、もう1日ある。仕事終わりにどこか乗りに行けないかなあ?もう十分元は取っているんだが・・・。
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