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(苗場スキー場で)
「北越雪譜」のこと
赴任した頃は、夏の終わりでしたが、秋の訪れが早く感じていました。
雪国の生活にワクワクしていたところ、教えていただいた本が、雪国の生活
を表した、鈴木牧之の「北越雪譜」。
江戸後期における越後魚沼の雪国の生活を書写した書籍で初編3巻、二編4巻
の計2編7巻。雪の結晶のスケッチから雪国の風俗、暮らし、方言、産業、奇
譚まで雪国の暮らしを豊富な挿絵も交えて書かれています。
鈴木牧之記念館は、平成元年(1989)創立されてようなのですが、塩沢に牧之
通りという、雁木通りにあるようです(今回は訪れていませんが)。
牧之通りも景観を配慮した町並みになっているようです。
30年も昔なので、記憶が定かではありませんが、鈴木牧之記念館を訪れてい
るので今の建物ではないはずで、建て替えられたのかも知れませんね。
この「北越雪譜」、全てを読んだわけではないのですが、初編巻之上には、
雪の成因・雪の結晶のスケッチなど科学的考察とも云うのでしょうか詳しく
書かれてあります。
次いで江戸などの「暖国」と雪国の違いを様々な例を挙げて説明されていま
す。
雪中洪水や熊が雪中に人を助けた逸話など、「暖国」の人々の興味を誘う内
容になっています。
雪が降る季節に洪水とは、雪が降らない地方の人にとっては奇異に感じます
ね。
北越雪譜では、「水揚(みずあがり)」と書かれていて、夜中に突如、水が
家の中に押し寄せる恐ろしさを描かれています。
雪や雪崩で川が塞がれ、溜まった川の水が一気に決壊して押し寄せるのです
が、いまは、これを防止するために川の水を水路に引き、水流の力で雪の塊
を押し流すしくみがあります。
流雪溝ですね、消雪パイプと合わせて有効な現代の雪消し方法なのですが、
大雪が降ると、家族総出で雪かきや雪下ろしをするため、水量に比べて雪の
量が極端に多くなると歩道に雪が山積みになってしまいます。
道路は消雪パイプがあるので、雪が積もってはいないのですが、水溜まりが
できているので、歩道を歩くのが通常なのですが、しばしば雪で歩道が分断
されていて、迂回するため、車道を歩くことになります。
歩いてきた道を戻るのですが、足跡か30cmも離れていなかったのに流雪溝
に嵌まってしまい、臑に傷を持ってしまいました(笑)。
傷は痛むは、車に泥水を掛けられるは散々な思い出があります。
話が逸れてしまいましたが、現在でも川や流雪溝が詰まってしまうと、川や
流雪溝が溢れ、水害が起きます、このような水害のことを「水つき」と云う
のだそうです。
巻之中は、越後魚沼(塩沢)の名産品であった縮(ちぢみ)に関する話が中心
となって縮の素材や機織り方法、縮のさらし、縮の流通などが詳述されてい
ます。
そして、信濃国境に近い秋山郷(現津南市)の様子も詳しく記載されていま
す。
以前に秋山郷に訪れましたが、掘っ立て小屋のような温泉がありました。
当時は、シャワー施設もなく、3大薬湯の一つと書いてありましたが、鉄分
が多くタオルは使い物にならなくなり、置いていきましたが、今は立派な温
泉施設になっています。
巻之下は、渋海川の珍蝶や鮭に関する考察、越後に伝わる様々な奇譚、山岳
地方の方言、など博物学的な内容となっています。
褶曲谷(しゅうきょくだに)を縫うようにして流れる渋海川は、古くから蛇
行部分を耕地に変える「瀬替え」(せがえ)によって独特の景観がつくられ
ています。
信濃川流域で最長の支流であるこの川には、まだまだ豊かな自然と神秘の魅
力がいっぱいです。
「渋海川(しぶみがわ)の流れ」十日町観光協会から
秋の紅葉が素晴らしいところです。
昔と今と比べながら、「北越雪譜」全てをゆっくりと時間をかけて読んでみ
たいものです。
魚沼といえば、魚沼産コシヒカリ
お米おいしーですね。
美味しいお米です。
住んでいる時は、知り合いの農家で分けていただ
いていました。
特に塩沢石打地区のコシヒカリが美味しいですね。
分けていただいたのも、塩沢石打地区の農家から
でした。
鈍感な人間ですが、帰阪して直ぐは、関西近郊の
お米は美味しくありませんでしたね。
塩沢石打IC近くの、レストランで塩沢産の御飯を
食べましたが、やっぱり美味しかったです。
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