黒井駅近くの踏切からスタート。横は貨物駅になっていました。
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5/4 6:41
黒井駅近くの踏切からスタート。横は貨物駅になっていました。
黒井宿入口付近の黒井神社にあった道路元標。おそらく移設されたものでしょう。
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5/4 6:46
黒井宿入口付近の黒井神社にあった道路元標。おそらく移設されたものでしょう。
北国街道は右へ。左は江戸初期までの北国街道の道筋で直江津へと続いています。また左手には明治天皇聖跡があります。
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5/4 6:49
北国街道は右へ。左は江戸初期までの北国街道の道筋で直江津へと続いています。また左手には明治天皇聖跡があります。
芭蕉句碑。
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5/4 7:01
芭蕉句碑。
黒井宿は潟町砂丘の西の端に位置していてここから暫くは海沿いに進んでいきます。この地域では製塩が盛んだったようです。
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5/4 7:02
黒井宿は潟町砂丘の西の端に位置していてここから暫くは海沿いに進んでいきます。この地域では製塩が盛んだったようです。
順徳天皇御駐輦所の碑。明治天皇より前の碑は珍しいですね。鎌倉時代の天皇で佐渡への道中での休憩場所になります。
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5/4 7:13
順徳天皇御駐輦所の碑。明治天皇より前の碑は珍しいですね。鎌倉時代の天皇で佐渡への道中での休憩場所になります。
若干交通量は多め。上越妙高行きのバスもよく見かけました。
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5/4 7:26
若干交通量は多め。上越妙高行きのバスもよく見かけました。
後ろを振り返ると妙高の山々が見えました。雪はまだまだあるようです。
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5/4 7:50
後ろを振り返ると妙高の山々が見えました。雪はまだまだあるようです。
象潟付近で浜側に寄り道すると雪穴がありました。これは明治になってからのものですが冬の雪を秋まで持たせて魚を運ぶ際の鮮度を保つ際に使われたといいます。
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5/4 7:58
象潟付近で浜側に寄り道すると雪穴がありました。これは明治になってからのものですが冬の雪を秋まで持たせて魚を運ぶ際の鮮度を保つ際に使われたといいます。
お台場の跡。高田藩が市振から青海川にかけての22か所の台場を設置したうちの一つです。
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5/4 8:01
お台場の跡。高田藩が市振から青海川にかけての22か所の台場を設置したうちの一つです。
街道に戻って明治天皇聖跡。
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5/4 8:17
街道に戻って明治天皇聖跡。
新堀川は水はけをよくするために江戸中期に作られた水路。新潟では潟が付く地名を見かけますが潟と湖の違いは内陸に水が貯まった池が湖で潟は元々は海の一部だったものが堆積した砂などで仕切られて湖になったものになります。
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5/4 8:21
新堀川は水はけをよくするために江戸中期に作られた水路。新潟では潟が付く地名を見かけますが潟と湖の違いは内陸に水が貯まった池が湖で潟は元々は海の一部だったものが堆積した砂などで仕切られて湖になったものになります。
振り返って右斜めから合流してくる道は旧道っぽく見えるですがいかがでしょう?資料では違うみたいですが非常に怪しかったです。
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5/4 8:42
振り返って右斜めから合流してくる道は旧道っぽく見えるですがいかがでしょう?資料では違うみたいですが非常に怪しかったです。
潟町宿。この付近は砂辺の道だったので歩く際は不便な上に隣の宿場は離れすぎていたことから設置された宿場町。隣とは設置に50年もの差があります。
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5/4 9:08
潟町宿。この付近は砂辺の道だったので歩く際は不便な上に隣の宿場は離れすぎていたことから設置された宿場町。隣とは設置に50年もの差があります。
米山道道標。この付近から柏崎周辺にかけては米山信仰が盛んで米山に向けた信仰道がいくつも伸びていました。
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5/4 9:09
米山道道標。この付近から柏崎周辺にかけては米山信仰が盛んで米山に向けた信仰道がいくつも伸びていました。
地図を見ると山側には潟が多くあることがわかります。昔は宿場周辺は広大な低湿地帯でもありました。
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5/4 9:16
地図を見ると山側には潟が多くあることがわかります。昔は宿場周辺は広大な低湿地帯でもありました。
どんとの石井戸。綺麗な水が湧きだす井戸があり横には小さな池があります。砂丘の合間にあるオアシス的な存在だったようです。かつては水車を備えた酒店がありました。
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5/4 9:19
どんとの石井戸。綺麗な水が湧きだす井戸があり横には小さな池があります。砂丘の合間にあるオアシス的な存在だったようです。かつては水車を備えた酒店がありました。
黒松の砂防林。1700年代に佐渡の黒松の苗木を植えたもので紆余曲折の末に植林に成功したとあります。
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5/4 9:26
黒松の砂防林。1700年代に佐渡の黒松の苗木を植えたもので紆余曲折の末に植林に成功したとあります。
人魚塚。ここの人魚とは当地と佐渡を行き来する小説に出てくる話。近くの鵜の浜温泉は昭和33年に出来た新しい温泉で石油天然ガス試掘の時に沸いています。
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5/4 9:38
人魚塚。ここの人魚とは当地と佐渡を行き来する小説に出てくる話。近くの鵜の浜温泉は昭和33年に出来た新しい温泉で石油天然ガス試掘の時に沸いています。
一里塚っぽいですが資料にありません。
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5/4 9:49
一里塚っぽいですが資料にありません。
ここは左。
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5/4 9:55
ここは左。
上下浜集落。
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5/4 9:59
上下浜集落。
街道はここで左に下りて急坂を下っていきます。
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5/4 10:09
街道はここで左に下りて急坂を下っていきます。
旧道はこの先で土道になります。
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5/4 10:13
旧道はこの先で土道になります。
この辺りで消滅。
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5/4 10:15
この辺りで消滅。
ここが消滅した旧道の合流地点。右の建物の敷地に旧道の名残があります。
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5/4 10:21
ここが消滅した旧道の合流地点。右の建物の敷地に旧道の名残があります。
直海浜。ここから旧道は現道の少し左側に沿ってあったのですが消滅しています。ただ旧道上には電柱が並んでいるのでどこに旧道があったかは大体わかります。
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5/4 10:37
直海浜。ここから旧道は現道の少し左側に沿ってあったのですが消滅しています。ただ旧道上には電柱が並んでいるのでどこに旧道があったかは大体わかります。
この電線に沿って旧道があったのでしょう。
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5/4 10:36
この電線に沿って旧道があったのでしょう。
この先では線路で街道が分断しているので右に曲がって迂回するのが無難です。
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5/4 10:45
この先では線路で街道が分断しているので右に曲がって迂回するのが無難です。
ちなみにこの先はこんな感じになっています。旧道のように見える道筋は新道で本来の旧道は先ほどの直海浜の旧道と同じく左側に平行してあったと思われます。
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5/4 10:50
ちなみにこの先はこんな感じになっています。旧道のように見える道筋は新道で本来の旧道は先ほどの直海浜の旧道と同じく左側に平行してあったと思われます。
一応線路は渡れるように見えますが自己責任でお願いします。
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5/4 10:52
一応線路は渡れるように見えますが自己責任でお願いします。
柿崎宿の手前。ここを右。
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5/4 10:53
柿崎宿の手前。ここを右。
ここを左。消滅しているので大体の場所で曲がります。
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5/4 10:54
ここを左。消滅しているので大体の場所で曲がります。
この辺りは区画整理されています。直進すると川にぶつかります。
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5/4 10:55
この辺りは区画整理されています。直進すると川にぶつかります。
この辺りが旧橋の位置。対岸が柿崎宿です。
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5/4 11:00
この辺りが旧橋の位置。対岸が柿崎宿です。
対岸に渡って旧橋の位置まで進み左に入ります。
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5/4 11:06
対岸に渡って旧橋の位置まで進み左に入ります。
すぐに左に曲がります。
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5/4 11:06
すぐに左に曲がります。
西の枡形周辺。突き当りで右に曲がります。
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5/4 11:08
西の枡形周辺。突き当りで右に曲がります。
柿崎宿は戦国武将柿崎景家の出身地。ここまで長く続いてきた砂浜沿いの道はここで終わり。山沿いへと進んでいきます。
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5/4 11:14
柿崎宿は戦国武将柿崎景家の出身地。ここまで長く続いてきた砂浜沿いの道はここで終わり。山沿いへと進んでいきます。
親鸞聖人をしぶしぶ泊めた旅館扇屋の跡地に建つ浄善寺。一風変わった本殿は昭和3年のもの。
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5/4 11:50
親鸞聖人をしぶしぶ泊めた旅館扇屋の跡地に建つ浄善寺。一風変わった本殿は昭和3年のもの。
東の枡形。ここを左へ。道標があります。
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5/4 11:57
東の枡形。ここを左へ。道標があります。
右 山みち 左 奥州道
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5/4 11:58
右 山みち 左 奥州道
信越本線と平行して進みます。
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5/4 12:12
信越本線と平行して進みます。
右手には米山の山容が見えます。
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5/4 12:18
右手には米山の山容が見えます。
旧道の痕跡。
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5/4 13:09
旧道の痕跡。
米山駅の手前。ここを左へ。
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5/4 13:11
米山駅の手前。ここを左へ。
学校の校庭で分断されていますが分断した先で再び旧道が復活しています。
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5/4 13:14
学校の校庭で分断されていますが分断した先で再び旧道が復活しています。
復活した旧道は再び国道と合流して米山駅前を進みます。
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5/4 13:18
復活した旧道は再び国道と合流して米山駅前を進みます。
米山三里の難所の入口にある鉢崎宿へ。左へ。
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5/4 13:25
米山三里の難所の入口にある鉢崎宿へ。左へ。
聖ケ鼻が左手に見えます。山と海に囲まれ関所を設置するに相応しい場所です。
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5/4 13:26
聖ケ鼻が左手に見えます。山と海に囲まれ関所を設置するに相応しい場所です。
関所跡。鉢崎宿は御金荷が輸送1日目に泊まる場所で御金蔵が置かれていました。
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5/4 13:36
関所跡。鉢崎宿は御金荷が輸送1日目に泊まる場所で御金蔵が置かれていました。
昔の道筋がよくわかります。
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5/4 13:37
昔の道筋がよくわかります。
関所を過ぎての上り坂。右へ。
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5/4 13:42
関所を過ぎての上り坂。右へ。
鉢崎宿を俯瞰できます。
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5/4 13:46
鉢崎宿を俯瞰できます。
本来の道は左ですが先は通行止めになってるので右に曲がってトンネルに迂回します。
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5/4 13:53
本来の道は左ですが先は通行止めになってるので右に曲がってトンネルに迂回します。
通行止め箇所はこのように崩落してしまっています。
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5/4 13:57
通行止め箇所はこのように崩落してしまっています。
トンネルは歩道があるので安全です。
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5/4 14:10
トンネルは歩道があるので安全です。
トンネルの出口で旧道が合流します。
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5/4 14:16
トンネルの出口で旧道が合流します。
旧道は自然に返りつつありますね。
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5/4 14:17
旧道は自然に返りつつありますね。
上輪集落へと下ります。左へ。米山三里と呼ばれる難所では川(谷)を横切る度にアップダウンを繰り返しています。現代の国道は高い鉄橋で直線で進むのとは対照的です。
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5/4 14:21
上輪集落へと下ります。左へ。米山三里と呼ばれる難所では川(谷)を横切る度にアップダウンを繰り返しています。現代の国道は高い鉄橋で直線で進むのとは対照的です。
上輪集落が見えます。本来ならヘアピンでなく直線状で下りていたと思われますが地形が変わっていて痕跡が見当たりません。
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5/4 14:26
上輪集落が見えます。本来ならヘアピンでなく直線状で下りていたと思われますが地形が変わっていて痕跡が見当たりません。
上輪集落中心部に入らずに山に沿って進みます。右へ。
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5/4 14:35
上輪集落中心部に入らずに山に沿って進みます。右へ。
大きな特長的な岩。傍らには石仏があります。
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5/4 14:36
大きな特長的な岩。傍らには石仏があります。
信越本線を越えます。元々の旧道は信越本線の手前で坂を上っていたようですが完全に消滅しているようです。
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5/4 14:39
信越本線を越えます。元々の旧道は信越本線の手前で坂を上っていたようですが完全に消滅しているようです。
亀割坂の石仏群。
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5/4 14:48
亀割坂の石仏群。
亀割峠。
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5/4 14:59
亀割峠。
弁慶茶屋跡。この辺りは上輪新田集落で間の宿でした。
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5/4 15:00
弁慶茶屋跡。この辺りは上輪新田集落で間の宿でした。
国の登録有形文化財になっている六宜閣は安政2年(1855)の建物で明治11年には明治天皇が休憩されたとして碑が立てられています。
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5/4 15:05
国の登録有形文化財になっている六宜閣は安政2年(1855)の建物で明治11年には明治天皇が休憩されたとして碑が立てられています。
旧道は左へ。ただし途中から激藪なので直進して迂回したほうが無難です。
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5/4 15:06
旧道は左へ。ただし途中から激藪なので直進して迂回したほうが無難です。
このような状態で中越沖地震の影響で路肩が崩れている可能性もあるので侵入は控えておいたほうがいいかもしれません。
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5/4 15:09
このような状態で中越沖地震の影響で路肩が崩れている可能性もあるので侵入は控えておいたほうがいいかもしれません。
迂回路から旧道を振り返って眺めるとこんな感じです。道筋はしっかり残ってるように見えます。
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5/4 15:13
迂回路から旧道を振り返って眺めるとこんな感じです。道筋はしっかり残ってるように見えます。
ここを左へ。
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5/4 15:22
ここを左へ。
牛ヶ首。不規則に褶曲した地層は層内楷曲といわれるもので海底火山活動で海底地滑りによって形成された珍しいものだそうです。下に見えるトンネルは信越本線の旧線です。
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5/4 15:24
牛ヶ首。不規則に褶曲した地層は層内楷曲といわれるもので海底火山活動で海底地滑りによって形成された珍しいものだそうです。下に見えるトンネルは信越本線の旧線です。
笠島駅付近。眼下に集落を眺めながら進みます。
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5/4 15:32
笠島駅付近。眼下に集落を眺めながら進みます。
海沿いに出ました。この時は風が非常に強く歩きづらかったです。
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5/4 15:47
海沿いに出ました。この時は風が非常に強く歩きづらかったです。
米山インターを過ぎてのパーキングは旧道の痕跡です。
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5/4 15:56
米山インターを過ぎてのパーキングは旧道の痕跡です。
ここは右へ。すぐに左に曲がって旧道に入ります。
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5/4 16:03
ここは右へ。すぐに左に曲がって旧道に入ります。
旧道を進んで再び国道と交差します。
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5/4 16:07
旧道を進んで再び国道と交差します。
交差した先の旧道風情。青海川の集落です。
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5/4 16:09
交差した先の旧道風情。青海川の集落です。
明治天皇青海川行在所の碑。
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5/4 16:10
明治天皇青海川行在所の碑。
国道と交差する左手前から急坂を下ります。
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5/4 16:12
国道と交差する左手前から急坂を下ります。
眼下に青海川駅。中越沖地震ではこの左手の斜面が崩れて信越本線を埋めています。
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5/4 16:13
眼下に青海川駅。中越沖地震ではこの左手の斜面が崩れて信越本線を埋めています。
ぐんぐん下っていきます。
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5/4 16:17
ぐんぐん下っていきます。
県道と交差する辺りで今回のゴールとしました。駅は左手すぐの場所にあります。
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5/4 16:18
県道と交差する辺りで今回のゴールとしました。駅は左手すぐの場所にあります。
青海川駅は海に近いことで全国的に有名で歩いてここに来れたのは感慨深いものがあります。
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5/4 16:26
青海川駅は海に近いことで全国的に有名で歩いてここに来れたのは感慨深いものがあります。
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