熊野古道 小辺路(高野山〜熊野本宮大社)
- GPS
- 56:00
- 距離
- 58.4km
- 登り
- 3,666m
- 下り
- 4,422m
コースタイム
- 山行
- 10:15
- 休憩
- 0:45
- 合計
- 11:00
- 山行
- 8:10
- 休憩
- 0:20
- 合計
- 8:30
過去天気図(気象庁) | 2019年04月の天気図 |
---|---|
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
|
コース状況/ 危険箇所等 |
伯母子峠の上西家側が道路崩壊のため通行できませんでした。伯母子峠から伯母子岳の頂上経由の迂回路を使用することになります。 |
写真
感想
前日(4月27日)
高野山まで移動し、奥之院、金剛峯寺、壇上伽藍、大門等を観光し宿坊の本覚院で宿泊。高野山は大変寒く、部屋には暖房が入っていた。
当初の計画では、朝食を宿坊で食べてから出発する予定だったが、そうすると目的地の伯母子峠には、夕方5時過ぎに到着することになるので、朝食を食べずに出発できないかと思い、お寺の人に確認すると大丈夫だったので、朝のお務めと朝食をパスさせてもらって、翌朝5時過ぎに出発することにする。
1日目(4月28日)
朝5時過ぎに宿坊の本覚院を出発し、千手院橋の交差点を渡り、金剛三昧院入り口を曲がる。金剛三昧院に入る手前に小辺路の案内板があり、そこを右に曲がり、小辺路への一歩を歩み始める。
しばらく登ると、ろくろ峠、ここから薄(すすき)峠までは緩やかな登り、薄峠から赤い鉄橋のかかる御殿(おど)川までは、ひたすら下る。橋を渡ると登りになり、一旦車道に出て大滝集落の民家の脇を抜けて上りつづけると、高野龍神スカイラインに合流する。しばらく車道を、車に気をつけて歩く。
水ヶ峰分岐から車道を離れ、しばらく登り、林道と合流すると長い下りが再び始まる。東屋を過ぎ、平辻という所から林道を離れて古道に入るのだったが、ここで間違って林道を真っ直ぐ進んでしまう。林道をしばらく下って間違いに気がついたが、かなり下ってきていたため戻る気力もなく不安になる。地図で確認すると、幸い林道を下っても小辺路の古道と合流するので、そのまま林道を下り、古道に無事合流。ひたすら大股の集落まで下り続ける。大股には、トイレと水場がある。この周辺には宿泊施設があるので一泊目をここで休む人も多いようだ。一休みし、伯母子岳への登りに備える。
いよいよ、伯母子岳へのきつい登りが始まる。急な上り坂を登り続け、約50分で萱小屋跡、跡とは言うが立派な小屋があるうえ、水場もあり宿泊もできるそうだ。さらに、ひたすら登って桧峠、峠を越えても登りが続き、大股から約2時間半で伯母子岳分岐に到着。ここに新しい注意書きがあり、伯母子峠の上西側で崩落があったため頂上方向の迂回路を行くように書いてあった。今日の宿泊は伯母子峠の避難小屋の横にテントを張るつもりだったが、勘違いしてしまい、注意書きに従い、先に伯母子岳に登っておこうと頂上へ向かう。
13時17分に日本二百名山の一つである。伯母子岳に到着。頂上は開けており、360度のパノラマが広がっている。北には今日出発した高野山の山々、東には大峰山、南にはこれから向かう山々、西には護摩壇山と、神々が鎮まう紀伊山地の山々が一面に広がっている。
ここから、頂上にあった迂回路の案内板に従って下り始める。伯母子峠の小屋までは10分くらいで着くはずだが、いくら下っても小屋らしいものは見られない。少しおかしいなと思ったが、登山者ともすれ違い、明瞭な赤布などもあったので下り続けると正規の小辺路に出る。ここから伯母子峠への道は通行止めになっており、どうやら、峠の南側で崩落があり、その迂回コースが頂上経由になっていたようだ。今更、伯母子峠の小屋に戻るために頂上まで登り返す元気もなく、とりあえず行けるところまで下ることにする。足は既にボロボロで、疲れ果ててはいるが、どうしようもない。昔の旅籠の上西家跡を過ぎ、しばらく下るとご夫婦で登山道の補修をしていらっしゃる方に合い話をすると、弘法大師の座像付近が水場と広い場所がありテントが張れると聞いて、そこを目指してみる。途中小さな水場と弘法大師の座像の近くに少し広場があったが、どうもここにテントを張る気にならず、一気に三浦の集落まで下ることにする。疲れた足に鞭打って、延々と続く下りを、挫けそうになりながら、16時25分、どうにか伯母子岳登山口に到着する。三浦の集落の入り口付近の人に確認し、テントの張れそうな場所にテントを張る。テント指定地ではないが、綺麗なトイレもあり助かった。
宿坊で朝食をパスして3時間くらい早く出たことが幸いした。今日一日で約35キロ山道を歩いたことになる。ストレッチをして、傷む足をケアし、夕食を食べて休む。
2日目(4月29日)
朝4時40分に出発する。まだ薄暗い中、三浦の集落を抜けて、舟渡橋を渡り、三浦峠への登りが始まる。数件の民家の間を抜けて、吉村家跡、三十丁の水を越え、約2時間登り続けて、6時53分、三浦峠に出る。峠が見えた時にはホッとした。峠にはトイレと東屋があり、かなりのテントが張れそうな広場が広がっている。一人の登山者がテントを撤収していた(この人とは、今晩のテント場で一緒になった)。東屋で休憩し、緩やかで快適な下りを下る。
多少長いのが難点だが、三浦峠からの下りは、緩やかで快適な登山道で歩き易い。約2時間で西中バス停に9時前に到着。ここから約8キロの長い舗装路歩きとなる。バス停では数名の登山者が待っており、次のバスは10時過ぎにあるみたいだ。後1時間以上あるが、このバスに抜かれるなと思いながら歩く。単調な舗装路を車に気をつけながら、ひたすら歩く。かなり疲れた頃バスに抜かれてゆく。一抹の寂しさを感じながら、ただひたすら歩くこと2時間、11時前に、ようやく昴の郷に到着。ここでは、バスから降りた登山者が出発の準備をしていた。
昴の郷から旧道に入りトンネルを抜けて、柳本橋という吊り橋を渡る。この吊り橋は、歩くたびに揺れてかなり怖い。民家の脇を抜けて、果無(はてなし)峠登山口からは、急な石畳みの道が続く。息が上がってきつい。約30分で小辺路の中でも最も有名だと思う果無集落に到着。水田には水が張られて田植えの準備が行われており、小さな池には、ものすごい大きな鯉が。民家の中を石畳の古道が通っている。民家の縁側で休憩させてもらい。おいしい湧水を飲む。生き返る気持ちがする。
ここから観音堂までの登りがきつかった。いくら歩いても観音堂に着かない。果無集落から1時間20分かけて、13時10分ようやく観音堂に到着。観音堂の建物が見えた時には本当に安心した。
今日の夕方から明日にかけて雨の予報で、今からなら今日中に熊野まで下ることもできるが、かなり疲れていたのと、水が豊富で、トイレ(ポットン式のやや・・・)もあり、テント場も空いていたので、今日はここにテントを張ることにする。
テントを張り終え、ここにテントを張っていた2人の方と話をする。この内の一人の方は、出身県が同じだったので、びっくりした。
夕食を食べて、ゴロゴロしていると、雨が降り始める。夜半はかなりの雨だった。
3日目(4月30日)
平成最後の日、朝起きると雨がかなり激しく降っている。朝食を食べ、テント内でストレッチをして、出発の準備をする。雨の中のテントの撤収は久しぶりだ。テントがビショビショでかなり重くなっている。
5時30分に出発する。果無峠までの最後の登り、一歩一歩ゆっくりと進むが、なかなか果無峠に着かない。名前通り果無だと思ったころ、ようやく6時過ぎに果無峠に到着。前日までの疲れと雨のせいか、コースタイムよりも少し時間がかかった。
雨で滑りやすく、急な下りを注意しながら下る。途中、本宮町を一望できるところがあったが、眼下には雲が広がり、全く景色は見えなかった。数千メートルの高山にでもいる雰囲気だ。
8時前に林道出会い。八木尾バス停に出ると舗装された車道になる。雨は小降りになり、熊野川を左に見ながら、車道を歩く。約30分で道の駅「奥熊野古道ほんぐう」に到着。ここには、昨日観音堂にテントを張らずに下った方がおられた。何名かの方がここでテント泊したようだ(テント泊は禁止されているようだが)。この方は昨日遅くここに到着したらしい。ジュースを一気に飲み、しばらく休憩する。ほぼ雨はやむ。
熊野本宮大社までは後1時間くらいだ。もう登りはないだろうと歩いていたら、平岩口バス停から、小辺路は右に分岐し登り坂に入っていく。まだ上るのかと思いながら三軒茶屋跡まで登り、ようやくここから最後の下りになる。熊野古道らしい石畳の立派な道を下る。
車道に出てしばらく歩くと、熊野本宮大社の裏鳥居に出て、本宮大社に9時40分に到着し、八咫烏(やたがらす)のポストの所に出る。まず拝殿に参拝した後、御社殿の4社に参拝。その後大鳥居のある大斎(おおゆの)原に移動する。明治22年の大水害までは、ここに本宮大社があったそうだが、水害で駐車、下社が喪失し、神者の4社が今の位置に移設されたそうだ。
参拝後は、タクシーで移動し温泉にでも行って汗を流し、バスで紀伊田辺か新宮に移動して帰ろうと考えていたが甘かった。まずタクシーは殆ど予約されており、見つけることができなかった。バスで温泉に行くには便が少なすぎて不便。諦めてトイレで着替えて、一番最初の新宮行のバスに乗り新宮へ移動し、JRで名古屋へ。途中人身事故があったため名古屋には1時間半くらい遅れてついたが、この日のうちに自宅に戻ることができた。
平成最後の縦走を無事に終えることができたが、上り下りが連続し、伯母子岳、三浦峠、果無峠と千メートル級の山を三つも越える小辺路は、まさに修行という感じだった。高野山から熊野本宮大社と、密教、神道の聖地をつなぐ熊野古道小辺路は歩きがいのあるコースだった。
次は、中辺路、奥駆(おくがけ)道の南半分(北半分は既に歩いた)もあるいてみたい。令和の時代は、どこを歩こうか?
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