ヤマレコなら、もっと自由に冒険できる

Yamareco

記録ID: 2145343
全員に公開
ハイキング
中国

岡山県和気町 佐伯天神山〜下剋上の舞台は滑落注意の岩上な山城

2019年12月15日(日) [日帰り]
 - 拍手
Machapuchare その他1人
体力度
2
日帰りが可能
GPS
06:16
距離
7.2km
登り
587m
下り
584m
歩くペース
ゆっくり
1.71.8
ヤマレコの計画機能「らくルート」の標準コースタイムを「1.0」としたときの倍率です。

コースタイム

日帰り
山行
5:17
休憩
0:57
合計
6:14
8:18
6
河本コミュニティハウス駐車場
8:24
8:28
3
天石門別神社
8:31
8:32
18
オベリスクルート取り付き石仏
8:50
8:55
5
覗き岩
9:00
9:10
30
連れ着地地点
9:40
9:50
2
オベリスク
9:52
9:54
12
オベリスク北の岩場
10:06
10:09
12
展望岩南南西岩場
10:21
10:22
5
展望岩
10:27
10:27
16
尾根道合流点
10:43
10:43
8
天神地蔵
10:51
10:51
15
天神山城下の段
11:06
11:08
1
天神山城本丸
11:09
11:10
8
天神山城飛騨の丸(侍屋敷分岐)
11:18
11:18
20
水の手分岐
11:38
11:53
7
太鼓の丸城
12:00
12:00
11
12:11
12:11
9
和気美しい森手前フェンス(引き返し点)
12:20
12:20
6
佐伯天神山(2回目)
12:26
12:27
26
太鼓の丸城(2回目)
12:53
12:53
6
水の手分岐(2回目)
12:59
12:59
53
天神山城飛騨の丸(侍屋敷分岐)2回目
13:52
13:53
13
天瀬侍屋敷
14:06
14:06
9
天瀬侍屋敷案内板(登山口)
14:15
14:16
7
陰陽石&金精神の祠
14:23
14:23
2
オベリスクルート取り付き石仏(2回目)
14:25
14:25
7
天石門別神社(2回目)
14:32
河本コミュニティハウス駐車場
滑落注意の岩場や城跡などを楽しむコース(一般登山者にはおすすめしません)
歩行距離7km、歩行時間5時間20分、歩行数14,300歩、消費カロリー2,380Kcal
連れの滑落・捻挫によりかなり時間がかかっており、コースタイムは参考にはなりません
天候 晴れ
過去天気図(気象庁) 2019年12月の天気図
アクセス
利用交通機関:
自家用車
河本コミュニティハウスの駐車場に自動車を停めました。数台駐車可能です。また、和気美しい森駐車場も利用可能ですが、山に向かうにはフェンスを開閉する必要があります。今回はこのフェンスで引き返し、美しい森には入りませんでした。
コース状況/
危険箇所等
 今回は、登山開始から40分程で連れが高度20m、距離数十mほど滑落、標高70〜50mでログが直線になっています。
 上りのオベリスクルート(石仏<写真06>から展望岩<写真18,19>を経て尾根道に合流するまでのルート)は、整備の許可が下りず放置されており、テープや踏み跡もたまにある程度、一般登山者が登るには十分とはいえません。急斜面に加えて、ホールドもほとんどなく、ルートファインディングを間違えると、上りも地獄、下りも地獄となります。滑落すると打撲や捻挫は必至、まかり間違えばお陀仏です(>_<)岩場やルートファインディングの経験が豊富な人以外はやめましょう。もちろん、地主の許可なく整備することもできません。 
 尾根道に合流してから天瀬侍屋敷<写真52〜54>を経て侍屋敷案内板まではよく整備され、石埋まりや小石ゴロゴロがあるものの、歩きやすいです。
 これら以外はアスファルト道です。

 上りのオベリスクルート(石仏<写真06>から展望岩<写真18,19>を経て尾根道に合流するまでのルート)は、急斜面に加えて、ホールドもほとんどなく、ルートファインディングを間違えると、上りも地獄、下りも地獄となります。滑落すると打撲や捻挫は必至、まかり間違えばお陀仏です(>_<)岩場やルートファインディングの経験が豊富な人以外はやめましょう。
 取り付きの石仏<写真06>はコンクリートの小さな階段を上ったところで、道路からも見えます。のっけからの急斜面でどう登るか悩み、私は右を選択、連れは石仏の背後の岩沿いにツタを掴んでなんとかよじ登りました。踏み跡もなかったので、まさか連れが登ってくるとは思いませんでした。
 小洞穴<写真07>の下には金色のテープがありました。整備を断念なさった方がつけられたものかもしれません。ここからは細踏み跡らしきものもありましたが、大量の落ち葉でズルズル滑り、周辺の木の枝やツタを掴んでたまに岩の上を越えながら歩きやすい北東方向へ進みました。
 標高60m近くから西北西に進路を変え、しばらくするとセメントのようなもので補強してある岩場が現れました。階段状なので登りやすく、登った先に覗き岩<写真08,09>がありました。
 覗き岩<写真08,09>から引き返し、東を巻けばよかったようですが、そのまま北上してしまいました。頭上の岩場を避けて西へ移動、標高70m辺りで岩の右(東)を巻こうとしましたが、落ち葉の急斜面で少しもたつきました。下で待機していた連れが、右上の岩の側面に赤いペンキマーク2つと金色のテープが見えるような気がすると言い出しました。目が悪いので、見間違いの可能性も十分ありますが、そこまで登ろうということになりました。このとき、連れは私がいる左上よりも右方向のほうが歩きやすそうだと思ったそうです。しかし、とりあえず私のいる急斜面へと一歩踏み出した途端、落ち葉で滑り、覗き岩<写真08,09>の南西、標高50m辺りまで滑落する羽目になりました。最後はほぼ垂直の高さ数mの岩場から落下したそうです。両手足打撲と左足首痛ですんでなによりでした。
 連れの落下地点までヒヤヒヤしながら下り、舗装道路に下りようとしましたが、周辺はコンクリート壁で下りられず、本人が歩けると言うので登りなおすことにしました。幸い、自治体が施した岩の落下防止措置の際のピンクテープや踏み跡がすぐ側にあり、10分程はそれを辿って東に進みました。標高40m辺りまで下った、ちょうど石仏<写真06>の北に小さめの柱状の岩があり、それの落下防止措置の際のものだったようです。側まで下ってオベリスク<写真10>ではないことが確認できたので引き返し、標高55m辺りから歩きやすいところを選んでいると、いつの間にかまた北西に進んでいました。
 標高60m辺りでこの明らかな踏み跡が覗き岩<写真08,09>に向かうルートだったことに気づき、今度は右(東)に行ってみることにしました。標高70m辺りから岩を巻いて北北東へ、標高85m辺りで明らかな踏み跡に合流、西に向かうとオベリスク<写真10>がありました。
 オベリスク<写真10>から適当に北上、標高110m辺りから傾斜が緩やかで落ち葉も少なく、歩きやすくなりました。標高115m辺りからは断続的な岩場登りとなり、北東に進みました。
 標高150m辺りで落石防止のフェンスが現れ、それを避けて北西に進路を変えました。すぐにワイヤーで固定された石の脇を通ってワイヤー沿いに進みましたが、ツツジの枝が少し邪魔になったので、少し上を通った方がよかったようです。ワイヤーに導かれた先は展望岩<写真18,19>でした。
 ここから先はまた適当に上を目指し、標高175m辺りで歩きやすい尾根道に無事合流できました。
その他周辺情報 吉井川沿いに南下すると、和気鵜飼谷(うがいだに)温泉があります。日帰り入浴(9:00〜21:00)やレストランなどでの食事もできます。
01佐伯町ふる里会館
昭和7年に完成し、昭和8年から昭和30年まで、山田村役場として使用されていました。その後は佐伯町農協本所、農協山田支所となり、さらに昭和57年に天神山城跡が県指定史跡となり、それを記念して昭和60年に「ふるさと会館」が発足しました。会館内は天神山城跡の出土品と町内有志の方々からの寄贈委託された約160点の民俗資料があります。
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01佐伯町ふる里会館
昭和7年に完成し、昭和8年から昭和30年まで、山田村役場として使用されていました。その後は佐伯町農協本所、農協山田支所となり、さらに昭和57年に天神山城跡が県指定史跡となり、それを記念して昭和60年に「ふるさと会館」が発足しました。会館内は天神山城跡の出土品と町内有志の方々からの寄贈委託された約160点の民俗資料があります。
02天石門別神社鳥居
天石門別神(あまのいわとわけのかみ)は、日本神話に登場する神です。元々この宮は天神山山嶺にあって、通称天津社<写真31>と呼ばれていましたが、1533年、浦上宗景が築城するため山麓の地(岩戸)に移し天神様と称したといわれています。狛犬の右側に対になっている人物らしき像に近づいてみると・・・<写真03へ>
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02天石門別神社鳥居
天石門別神(あまのいわとわけのかみ)は、日本神話に登場する神です。元々この宮は天神山山嶺にあって、通称天津社<写真31>と呼ばれていましたが、1533年、浦上宗景が築城するため山麓の地(岩戸)に移し天神様と称したといわれています。狛犬の右側に対になっている人物らしき像に近づいてみると・・・<写真03へ>
03天石門別神社
    狛和気清麻呂⁉
狛犬ならぬ“狛清(コマキヨ)”⁉さすが和気にある神社です。足元のイノシシは、道鏡の刺客たちから清麻呂公を守りながら宇佐八幡宮まで道案内した神のお使いです。
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03天石門別神社
    狛和気清麻呂⁉
狛犬ならぬ“狛清(コマキヨ)”⁉さすが和気にある神社です。足元のイノシシは、道鏡の刺客たちから清麻呂公を守りながら宇佐八幡宮まで道案内した神のお使いです。
04天石門別神社
   拝殿&本殿&稲荷社
神紋(しんもん)に梅鉢(うめばち)があることから、学問の神、菅原道真も祭神として祀られているようです。さらにお稲荷様も祀られていました。
04天石門別神社
   拝殿&本殿&稲荷社
神紋(しんもん)に梅鉢(うめばち)があることから、学問の神、菅原道真も祭神として祀られているようです。さらにお稲荷様も祀られていました。
05天石門別神社戦没者慰霊碑
砲弾ですか(*_*;
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05天石門別神社戦没者慰霊碑
砲弾ですか(*_*;
06オベリスクルート
      取り付き石仏
オベリスク<写真10>を経由するルートの登山口ですが、のっけからどう登るか悩み、私は右を選択、連れは石仏の背後の岩沿いになんとかよじ登りました。
06オベリスクルート
      取り付き石仏
オベリスク<写真10>を経由するルートの登山口ですが、のっけからどう登るか悩み、私は右を選択、連れは石仏の背後の岩沿いになんとかよじ登りました。
07小洞穴
登り始めてすぐに数十cmですが洞穴が出てきました。期待が増します。
07小洞穴
登り始めてすぐに数十cmですが洞穴が出てきました。期待が増します。
08覗き岩
補強してある岩場を登ったところです。この岩と岩の間を通り抜けると、すばらしい景観が見られます。通り抜けて視界が広がるところを動画に撮りました。
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08覗き岩
補強してある岩場を登ったところです。この岩と岩の間を通り抜けると、すばらしい景観が見られます。通り抜けて視界が広がるところを動画に撮りました。
09覗き岩越しに南南東方面
覗き岩は見るアングルで印象が異なります。“天神槍”と呼びたくなりました。ここで引き返し、東を巻けばよかったようですが、そのまま北上して頭上の岩場を避けて西へ移動、連れが滑落する羽目に(>_<)
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09覗き岩越しに南南東方面
覗き岩は見るアングルで印象が異なります。“天神槍”と呼びたくなりました。ここで引き返し、東を巻けばよかったようですが、そのまま北上して頭上の岩場を避けて西へ移動、連れが滑落する羽目に(>_<)
10オベリスク
東へ向かう踏み跡に合流、辿るとここに着きました。オベリスクとは古代エジプトの太陽神に捧げた石柱のような記念碑のことです。もちろん、この石柱は自然に造られたものです。天神山でもっとも存在感があります。連れの滑落後、ここまで登り返した甲斐がありました。
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10オベリスク
東へ向かう踏み跡に合流、辿るとここに着きました。オベリスクとは古代エジプトの太陽神に捧げた石柱のような記念碑のことです。もちろん、この石柱は自然に造られたものです。天神山でもっとも存在感があります。連れの滑落後、ここまで登り返した甲斐がありました。
11オベリスク越しに
     竜ヶ鼻&吉井川
天神山の頂上および尾根上からは見ることができない景観です。動画も撮りました。
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11オベリスク越しに
     竜ヶ鼻&吉井川
天神山の頂上および尾根上からは見ることができない景観です。動画も撮りました。
12オベリスクより南東岩斜面
吉井川から天神山城を攻めるのはいかに困難であるかを物語っています(-_-;)ここからしばしばルートファインディング。
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12オベリスクより南東岩斜面
吉井川から天神山城を攻めるのはいかに困難であるかを物語っています(-_-;)ここからしばしばルートファインディング。
13オベリスク北の岩場より
          妙見山
正面に妙見山系と北西から南西に蛇行する吉井川のすばらしい景観を望むことができます。
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13オベリスク北の岩場より
          妙見山
正面に妙見山系と北西から南西に蛇行する吉井川のすばらしい景観を望むことができます。
14オベリスク北の岩場より
        オベリスク
我等がオベリンを見下ろしてみました。うーん、オベリスク<写真10>のてっぺんにはどこからアプローチをしても登れない(´・ω・`)
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14オベリスク北の岩場より
        オベリスク
我等がオベリンを見下ろしてみました。うーん、オベリスク<写真10>のてっぺんにはどこからアプローチをしても登れない(´・ω・`)
15オベリスク北の岩場より
        西南西方面
奇岩が途絶えることなく続きます。ここを過ぎると落ち葉は少なくなり、その分、歩きやすくなりました。
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15オベリスク北の岩場より
        西南西方面
奇岩が途絶えることなく続きます。ここを過ぎると落ち葉は少なくなり、その分、歩きやすくなりました。
16展望岩南南西岩場より
         展望岩
3〜4人は座れる平らな岩場から展望岩<写真18,19>を見上げると、上の岩が落ちないように補強されていました。動画も撮りました。
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16展望岩南南西岩場より
         展望岩
3〜4人は座れる平らな岩場から展望岩<写真18,19>を見上げると、上の岩が落ちないように補強されていました。動画も撮りました。
17展望岩見上げて
一番上の岩がワイヤーで固定されていました。あの上を目指します。
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17展望岩見上げて
一番上の岩がワイヤーで固定されていました。あの上を目指します。
18展望岩より妙見山&吉井川
広角ではないので伝わりにくですが、吉井川が大きく蛇行しているロケーションを間近で見ることができます。動画も撮りました。
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18展望岩より妙見山&吉井川
広角ではないので伝わりにくですが、吉井川が大きく蛇行しているロケーションを間近で見ることができます。動画も撮りました。
19展望岩より南西方面
天神山の尾根上からは決して見ることができない絶景です!(^^)!
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19展望岩より南西方面
天神山の尾根上からは決して見ることができない絶景です!(^^)!
20天神地蔵
標高175m辺りで歩きやすい尾根道に合流、東に進むと大きな岩の下に、小さなお地蔵さんが座り、そこに御賽銭が置かれていました。意外にも尾根上ではここが一番のビュースポットです。
20天神地蔵
標高175m辺りで歩きやすい尾根道に合流、東に進むと大きな岩の下に、小さなお地蔵さんが座り、そこに御賽銭が置かれていました。意外にも尾根上ではここが一番のビュースポットです。
21天神山城下の段
隠曲輪で西方より侵入してきた敵を上から攻撃する郭です。五十騎一備(戦闘単位)の桝形です。ここから山城の遺構のオンパレードです。
21天神山城下の段
隠曲輪で西方より侵入してきた敵を上から攻撃する郭です。五十騎一備(戦闘単位)の桝形です。ここから山城の遺構のオンパレードです。
22天神山城西櫓台
佐伯平野の見張りと本丸・竜ヶ鼻城との連絡場とされていました。
22天神山城西櫓台
佐伯平野の見張りと本丸・竜ヶ鼻城との連絡場とされていました。
23天神山城三の丸
天神山城は連郭式で、本丸と二の丸、三の丸を並列して並べたものです。この場合、三の丸から攻められた場合は防御力がありますが、本丸の脇や背後が露出してしまうのが難点です。
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23天神山城三の丸
天神山城は連郭式で、本丸と二の丸、三の丸を並列して並べたものです。この場合、三の丸から攻められた場合は防御力がありますが、本丸の脇や背後が露出してしまうのが難点です。
24天神山城鍛冶場
城の拡張工事に必要な器具の製造、修理、武具・武器の確保のために鍛冶職人を常駐させていたといわれています。周辺はこんもりしており、小さな祠がありました。
24天神山城鍛冶場
城の拡張工事に必要な器具の製造、修理、武具・武器の確保のために鍛冶職人を常駐させていたといわれています。周辺はこんもりしており、小さな祠がありました。
25天神山城
  大手門跡&桜の馬場
連郭式山城最大の曲輪で、西側に帯曲輪・腰曲輪・犬走りなどがあります。中央北側に大手門があったようです。
25天神山城
  大手門跡&桜の馬場
連郭式山城最大の曲輪で、西側に帯曲輪・腰曲輪・犬走りなどがあります。中央北側に大手門があったようです。
26カゴノキ
まるでバンビのような模様となった剥がれた樹皮を元の場所に当てはめてみると、ジグソーパズルのようで楽しめます。
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26カゴノキ
まるでバンビのような模様となった剥がれた樹皮を元の場所に当てはめてみると、ジグソーパズルのようで楽しめます。
27天神山城長屋の段
こんもりした部分を上ると長屋の段です。倉庫があり、鉄砲櫓(やぐら)、食料櫓、武器櫓などがあったようです。右(南)に巻き道がありました。
27天神山城長屋の段
こんもりした部分を上ると長屋の段です。倉庫があり、鉄砲櫓(やぐら)、食料櫓、武器櫓などがあったようです。右(南)に巻き道がありました。
28天神山城二の丸
本丸の近くに設けられていました。三の丸<写真23>が突破されたら、二の丸で防ぐのでしょう。
28天神山城二の丸
本丸の近くに設けられていました。三の丸<写真23>が突破されたら、二の丸で防ぐのでしょう。
29天神山城空堀
水がなく、断面がV字形です。本丸防衛のための堀割です。二の丸と本丸の間ですが、幅が広いので写真では伝わりにくいです。
29天神山城空堀
水がなく、断面がV字形です。本丸防衛のための堀割です。二の丸と本丸の間ですが、幅が広いので写真では伝わりにくいです。
30天神山城本丸
天神山337m峰に設けられています。ここに城主の浦上宗景がいたのでしょう。戦になった場合はここが本陣となります。家臣の宇喜多直家に攻められ、落城しました。
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30天神山城本丸
天神山337m峰に設けられています。ここに城主の浦上宗景がいたのでしょう。戦になった場合はここが本陣となります。家臣の宇喜多直家に攻められ、落城しました。
31天津社
天文2年(1533年)本丸築城の際に、山麓に遷宮しました。それが今の天石門別神社<写真02〜05>です。
31天津社
天文2年(1533年)本丸築城の際に、山麓に遷宮しました。それが今の天石門別神社<写真02〜05>です。
32天神山城飛騨の丸
浦上宗景の重臣明石飛騨守景親の屋敷跡です。天瀬侍屋敷<写真52〜54>経由で下りるルートの入り口には道標がありました。
32天神山城飛騨の丸
浦上宗景の重臣明石飛騨守景親の屋敷跡です。天瀬侍屋敷<写真52〜54>経由で下りるルートの入り口には道標がありました。
33天神山城飛騨の丸野面積み
振り返って見たところです。ほとんど未加工の石を積んだ野面積みです。鎌倉時代末期に現れ、本格的に用いられたのは戦国時代になってからです。
33天神山城飛騨の丸野面積み
振り返って見たところです。ほとんど未加工の石を積んだ野面積みです。鎌倉時代末期に現れ、本格的に用いられたのは戦国時代になってからです。
34天神山城馬屋の段
本丸で通常使用する馬屋で、戦争のときは、三の丸<写真23>に臨時につきます。
34天神山城馬屋の段
本丸で通常使用する馬屋で、戦争のときは、三の丸<写真23>に臨時につきます。
35天神山城南櫓台
太鼓の丸<写真41>と本丸との連絡と、城外と城内を見守る目的がありました。落ち葉でズルズル滑りながら下りたら、西側に巻き道がありました。
35天神山城南櫓台
太鼓の丸<写真41>と本丸との連絡と、城外と城内を見守る目的がありました。落ち葉でズルズル滑りながら下りたら、西側に巻き道がありました。
36天神山城南櫓
隠曲輪(かくしぐるわ)で敵が城内に侵入してきた際に、堀切の敵を上から攻撃する曲輪です。
36天神山城南櫓
隠曲輪(かくしぐるわ)で敵が城内に侵入してきた際に、堀切の敵を上から攻撃する曲輪です。
37天神山城堀切
山城に用いる空堀の一つで、特にここは形がはっきりと遺っていました。
37天神山城堀切
山城に用いる空堀の一つで、特にここは形がはっきりと遺っていました。
38天神山城亀の甲
敵がもし塁をよじ登ってきた際には、山積み(甲羅積み)された石を落としたのでしょう。
38天神山城亀の甲
敵がもし塁をよじ登ってきた際には、山積み(甲羅積み)された石を落としたのでしょう。
39天神山城下の石門
石埋まりの間を登っていくと下の石門があります。普段は通路ですが、いざ戦となれば閉じられる門の役割を果たしたのでしょう。
39天神山城下の石門
石埋まりの間を登っていくと下の石門があります。普段は通路ですが、いざ戦となれば閉じられる門の役割を果たしたのでしょう。
40天神山城上の石門
振り返ってみました。下の石門<写真39>と共に二重の門として防御したのでしょう。
40天神山城上の石門
振り返ってみました。下の石門<写真39>と共に二重の門として防御したのでしょう。
41太鼓の丸城
太鼓の丸城の狼煙台があった所です。南北47m、最大幅17mほどの太鼓丸は、南端が自然地形の影響で一段下がっている他は、基本的に単郭構造となっています。佐伯天神山に築かれた最初の城です。
41太鼓の丸城
太鼓の丸城の狼煙台があった所です。南北47m、最大幅17mほどの太鼓丸は、南端が自然地形の影響で一段下がっている他は、基本的に単郭構造となっています。佐伯天神山に築かれた最初の城です。
42太鼓の丸城より
    天神山城鳥瞰図1
横にかなり長いので写真1枚におさまりませんでした。天正初年(1573年)頃の復元図で下の段<写真21>から亀の甲<写真38>まで写っています。
42太鼓の丸城より
    天神山城鳥瞰図1
横にかなり長いので写真1枚におさまりませんでした。天正初年(1573年)頃の復元図で下の段<写真21>から亀の甲<写真38>まで写っています。
43太鼓の丸城より
    天神山城鳥瞰図2
南櫓(やぐら)台<写真35>から根小屋<写真49>まで写っています。
43太鼓の丸城より
    天神山城鳥瞰図2
南櫓(やぐら)台<写真35>から根小屋<写真49>まで写っています。
44太鼓の丸城より三保高原
数ある山城跡の中で、ここが一番展望が効くスポットです。連れの左足首は、このときはまだアキレス腱周辺が少し赤いだけで、腫れてはいませんでした。
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44太鼓の丸城より三保高原
数ある山城跡の中で、ここが一番展望が効くスポットです。連れの左足首は、このときはまだアキレス腱周辺が少し赤いだけで、腫れてはいませんでした。
45太鼓の丸城より
      田土集落棚田
秋には800枚にも及ぶ棚田が黄色く色づいているのが見られます。天神山城主浦上家の家臣たちは普段はこの集落に住んでいたようです。
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45太鼓の丸城より
      田土集落棚田
秋には800枚にも及ぶ棚田が黄色く色づいているのが見られます。天神山城主浦上家の家臣たちは普段はこの集落に住んでいたようです。
46天神山城軍用石
上ってくる敵に向かって落とすためのものだといわれていますが、かなり大きな石です。動かすのは大変でしょう。人力ではなくテコの力で動かした⁉
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46天神山城軍用石
上ってくる敵に向かって落とすためのものだといわれていますが、かなり大きな石です。動かすのは大変でしょう。人力ではなくテコの力で動かした⁉
47佐伯天神山頂上三角点
        「天神山」
標高408.9mの佐伯天神山頂上三角点<点名:天神山>です。展望は効きませんが、周辺は平らなので、城を築くにはちょうどよかったのでしょう。西に本丸<写真30>が造られるまではこの周辺が本丸で、太鼓の丸城といいました。
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47佐伯天神山頂上三角点
        「天神山」
標高408.9mの佐伯天神山頂上三角点<点名:天神山>です。展望は効きませんが、周辺は平らなので、城を築くにはちょうどよかったのでしょう。西に本丸<写真30>が造られるまではこの周辺が本丸で、太鼓の丸城といいました。
48天神山城土塁
敵の侵入を防ぐために造られたのでしょうが、長年の自然の影響のせいか、周りに比べてほんのわずか盛り上がっている程度でした。
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48天神山城土塁
敵の侵入を防ぐために造られたのでしょうが、長年の自然の影響のせいか、周りに比べてほんのわずか盛り上がっている程度でした。
49天神山城根小屋
スルーして和気美しい森のフェンスまで行ってしまい、引き返したらありました。浦上家の家臣団その他の従属する人々の居住地があったと思われます。
49天神山城根小屋
スルーして和気美しい森のフェンスまで行ってしまい、引き返したらありました。浦上家の家臣団その他の従属する人々の居住地があったと思われます。
50天神山城郭
郭(くるわ)とは軍事的・政治的な意図を持って、削平・盛土された空間です。ここは規模が小さく、具体的な役割が不明なのでしょう。
50天神山城郭
郭(くるわ)とは軍事的・政治的な意図を持って、削平・盛土された空間です。ここは規模が小さく、具体的な役割が不明なのでしょう。
51天神山城石門
もっとも攻めやすい南東尾根には石門が何重にも設けられています。往路で気づいてはいたのですが、復路でのこのアングルのほうがよかったです。
51天神山城石門
もっとも攻めやすい南東尾根には石門が何重にも設けられています。往路で気づいてはいたのですが、復路でのこのアングルのほうがよかったです。
52天瀬侍屋敷中の段
天瀬侍屋敷は山腹の東側に上の壇・中の壇・下の段、西にぐるみの壇、土壘の壇と大きな壇が築かれています。
52天瀬侍屋敷中の段
天瀬侍屋敷は山腹の東側に上の壇・中の壇・下の段、西にぐるみの壇、土壘の壇と大きな壇が築かれています。
53天瀬侍屋敷上の段
上の段は中の段のすぐ近くにあります。
53天瀬侍屋敷上の段
上の段は中の段のすぐ近くにあります。
54天瀬侍屋敷石塁
下方は石塁が東西50m程、西側は垂直に石塁が伸び、内部には壇が築かれています。
54天瀬侍屋敷石塁
下方は石塁が東西50m程、西側は垂直に石塁が伸び、内部には壇が築かれています。
55天瀬侍屋敷案内板
下りでこのルートを辿ったので、案内板を見るまでは、全容がつかめませんでした。最後は石がゴロゴロしており、連れの左足首はとどめを刺されて腫れ上がりました(>_<)普段ならなんでもないコースなのですが。ここからアスファルトの片鉄ロマン街道を歩きます。
55天瀬侍屋敷案内板
下りでこのルートを辿ったので、案内板を見るまでは、全容がつかめませんでした。最後は石がゴロゴロしており、連れの左足首はとどめを刺されて腫れ上がりました(>_<)普段ならなんでもないコースなのですが。ここからアスファルトの片鉄ロマン街道を歩きます。
56モチツツジ
一般的な開花時期は4〜5月です。さすがに花は3つだけでした。なぜか旭川より西には見られません。
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56モチツツジ
一般的な開花時期は4〜5月です。さすがに花は3つだけでした。なぜか旭川より西には見られません。
57片鉄ロマン街道
    天神山1号トンネル
この道路は旧片上鉄道で現在サイクリングロードとして利用されています。このトンネルを通り抜けてすぐの階段を上がると・・・<写真58へ>
57片鉄ロマン街道
    天神山1号トンネル
この道路は旧片上鉄道で現在サイクリングロードとして利用されています。このトンネルを通り抜けてすぐの階段を上がると・・・<写真58へ>
58陰陽石
トンネル<写真57>の上の方にありました。陰陽石は夫婦岩とも呼ばれています。よろず生産の神、また子宝の神として信仰されたのでしょうか。
58陰陽石
トンネル<写真57>の上の方にありました。陰陽石は夫婦岩とも呼ばれています。よろず生産の神、また子宝の神として信仰されたのでしょうか。
59金精神の祠
天狗のような鼻をした男性像が祀られていました。陰陽石<写真58>のそばなので、金精神(こんせいしん)だと思います。子宝や下の病気にご利益があるとされています。実は、当初予定ではここに下りてくるはずでした。
59金精神の祠
天狗のような鼻をした男性像が祀られていました。陰陽石<写真58>のそばなので、金精神(こんせいしん)だと思います。子宝や下の病気にご利益があるとされています。実は、当初予定ではここに下りてくるはずでした。
60トビvsハシブトガラス
天神山上空で繰り広げられていたバトルです。動画も撮りました。攻撃的なカラスは宇喜多直家、退散していくトビは浦上宗景といったところでしょうか(*_*;
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60トビvsハシブトガラス
天神山上空で繰り広げられていたバトルです。動画も撮りました。攻撃的なカラスは宇喜多直家、退散していくトビは浦上宗景といったところでしょうか(*_*;
61河本集落より佐伯天神山
振り返って見ると、すごい岩場を登ってきたことを実感しました。中央の大きな岩場がオベリスク南東の岩斜面<写真12>、その下が覗き岩<写真08,09>、そこから斜め左上にオベリスク<写真10>、さらに左上稜線近くに展望岩<写真18,19>が見えています。
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61河本集落より佐伯天神山
振り返って見ると、すごい岩場を登ってきたことを実感しました。中央の大きな岩場がオベリスク南東の岩斜面<写真12>、その下が覗き岩<写真08,09>、そこから斜め左上にオベリスク<写真10>、さらに左上稜線近くに展望岩<写真18,19>が見えています。
62オベリスクズーム
ついでにオベリスク<写真10>をズームしてみました。存在感のある奇岩です。
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62オベリスクズーム
ついでにオベリスク<写真10>をズームしてみました。存在感のある奇岩です。
63展望岩ズーム
この展望岩<写真18,19>のてっぺんがいかに素晴らしい展望台であるかがわかります。
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63展望岩ズーム
この展望岩<写真18,19>のてっぺんがいかに素晴らしい展望台であるかがわかります。

装備

個人装備
長袖シャツ ズボン 靴下(厚手) 防寒具 手袋(防水加工) 軍手 雨具 日よけ帽子とフード 雨用帽子 登山靴(防水加工) 靴ひも予備 サブザック ザックカバー 地形図 コンパス マップケース 筆記用具 携帯 時計(防水) タオル カメラ 飲料水(スポドリ&茶) 水筒(保温) 非常食(栄養補助食品) スマホ(山使用可能) eTrex30(GPSナビゲーター)

感想

 今回は、登山開始から40分程で連れが高度20m、距離数十mほど滑落、標高70〜50mでログが直線になっています。連れにとっては人生初捻挫の思い出深い山行となりました。
 上りのオベリスクルート(尾根道に合流するまでのルート)は整備の許可が下りず放置されており、テープや踏み跡もたまにある程度、一般登山者が登るには十分とはいえません。急斜面に加えて、ホールドもほとんどなく、ルートファインディングを間違えると、上りも地獄、下りも地獄となります。滑落すると打撲や捻挫は必至、まかり間違えばお陀仏です(>_<)岩場やルートファインディングの経験が豊富な人以外はやめましょう。
 もちろん、地主の許可なく整備することもできません。
 
“ロック(岩)の聖地⁉”
 佐伯(さえき)天神山は吉井川を見下ろし、戦国時代の象徴である山城の遺構がたくさん残っている歴史(戦国時代)ファン垂涎の地です。河本(こうもと)コミュニティハウスに自動車を停め、天神山の北西斜面を望むと、たくさんの魅力的な奇岩群が見えます<写真61>。そこで思い切って、この奇岩群を登ることにしました。
 このオベリスクルートは許可が下りず十分に整備されなかったルートらしく、事前の記録はほとんどありませんでした。予定ルートを考えていきましたが、現場は季節柄、落ち葉でよく滑る急斜面、しかもホールドもほとんどなく、その場でルート判断せざるを得ないこともしばしばで、ヤブコギはないもののかなり困難な登りを強いられました。ルートファインディングを間違えると、上りも地獄、下りも地獄となります。
 覗き岩<写真08,09>からオベリスク<写真10>に向かう途中、標高70m辺りで連れが足を滑らせ(The上りの地獄)、落ち葉の急斜面を滑り落ちていく途中で姿が消えました。ここで止まろうと下手に手をつくと骨折の恐れがありますが、連れ唯一の必殺技「無抵抗」が炸裂、手足を伸ばしたまま最後はほぼ垂直の高さ数mの岩場から落下、仰向けにひっくり返り、落ち葉からわずかにのぞいた石の上でバウンド、大の字に着地したそうです。幸い、ザックを下にして落ちたので、擦り傷や打撲は見事に両手足に集中、左足首が少し痛いが歩けるとのことでした。虫のように手足を縮めて丸まっていたら怪我はなかったかもしれません。
 この辺りかと覗き込んでも姿が見えなかったので、この日はもうやめようかとも思い、とりあえず慎重にルートを選び連れの落下地点まで下りました(The下りの地獄)。下山する気満々だったのですが、周辺はコンクリート壁で下りられず、本人が歩けると言うので再度ルートを変えて登りなおすことにしました。幸い、自治体が施した岩の落下防止措置の際のピンクテープや踏み跡がすぐ側にあり、10分程はそれを辿れました。そこからはルートファインディング、数分でルートに合流し、さっきとは逆方向(東)に進み事なきを得ました。
 写真や動画で紹介していますように、ロケーション的には佐伯天神山でもっとも魅力的なコースですが、同時にもっとも危険を伴うコースでもあります。ヤブコギはなく登るにつれ落ち葉は少なくなりますが、尾根道に出るまで踏み跡はあったりなかったりです。山行経験の浅い方や、ルートファインディングに慣れていない方にはこのオベリスクルートはお薦めできません。
 尾根道と天神山城本丸近くから侍屋敷跡経由で下りるコースは傾斜の緩い歩きやすいコースでした。もっとも、石埋まりの上を下りたり、落ち葉の下の小石を踏んだりするたびに、連れは足首が痛いを連発、太鼓の丸城での休憩時には腫れはなかったのですが、下りで完全に左足首を捻挫してしまいました(-_-;)
 アンタがあっちこっち攻め込むからこんな山城ができるんだと宇喜多直家(城下町岡山の基礎を築いたのに岡山市民にも嫌われています)に八つ当たりし、爆笑するだけの元気はあったのでよしとしましょう(^_^)ちなみに、天神山城主浦上宗景は直家の主君であり、彼に攻め込まれないようにこの地に築城したわけではありません。

“下剋上の舞台、天神山城”
 尾根に出てからの山城跡は想像以上に大きく、のべ1.5km近くにわたって、山城のさまざまな遺構が見られました。さすが岡山県指定史跡です。
 1531年(享禄4年)に浦上宗景がこの地に移って天神山城を築いてから、浦上与次郎(宗景の嫡男)が家臣だった宇喜多直家(出たぁ時の人!)に毒殺され、落城するまでの45年あまりの間、戦国時代を象徴する下剋上の舞台となりました。
 山城は、防御に有利な地形に築くことが望ましく、佐伯天神山のように険しい山<写真61>はその条件を十分満たします。岩だらけの斜面の上にそびえるさまはまさに“岩上(がんじょう)な”山城でした。
 しかし、そこに住むには不便であり、守るべき対象である家臣の居住地は麓(天瀬と田土地区)にあり、山から少し離れています。したがって、天神山城はあくまで防御専用として造られたのでしょう。城主や兵士は、平時には麓に住民と共に住み、敵が来襲すると、田土集落に住む者は水の手で水を汲み、食料と一緒に馬で上がり、本丸&水の手分岐を経由して、太鼓の丸城<写真41>に立て籠もったのかもしれません。そんな古の時代に思いを馳せながら、一つ一つ歴史の足跡を辿りました。

 次回はお手軽ゆるゆるコースを歩くのだと連れが力強く宣言、目的地はお任せしようと思います。土道で石段のないルートが見つかるといいのですが(^_^)





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ハイキング 中国 [日帰り]
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体力レベル
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