岡山県和気町 佐伯天神山〜下剋上の舞台は滑落注意の岩上な山城
- GPS
- 06:16
- 距離
- 7.2km
- 登り
- 587m
- 下り
- 584m
コースタイム
- 山行
- 5:17
- 休憩
- 0:57
- 合計
- 6:14
歩行距離7km、歩行時間5時間20分、歩行数14,300歩、消費カロリー2,380Kcal
連れの滑落・捻挫によりかなり時間がかかっており、コースタイムは参考にはなりません
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2019年12月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
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コース状況/ 危険箇所等 |
今回は、登山開始から40分程で連れが高度20m、距離数十mほど滑落、標高70〜50mでログが直線になっています。 上りのオベリスクルート(石仏<写真06>から展望岩<写真18,19>を経て尾根道に合流するまでのルート)は、整備の許可が下りず放置されており、テープや踏み跡もたまにある程度、一般登山者が登るには十分とはいえません。急斜面に加えて、ホールドもほとんどなく、ルートファインディングを間違えると、上りも地獄、下りも地獄となります。滑落すると打撲や捻挫は必至、まかり間違えばお陀仏です(>_<)岩場やルートファインディングの経験が豊富な人以外はやめましょう。もちろん、地主の許可なく整備することもできません。 尾根道に合流してから天瀬侍屋敷<写真52〜54>を経て侍屋敷案内板まではよく整備され、石埋まりや小石ゴロゴロがあるものの、歩きやすいです。 これら以外はアスファルト道です。 上りのオベリスクルート(石仏<写真06>から展望岩<写真18,19>を経て尾根道に合流するまでのルート)は、急斜面に加えて、ホールドもほとんどなく、ルートファインディングを間違えると、上りも地獄、下りも地獄となります。滑落すると打撲や捻挫は必至、まかり間違えばお陀仏です(>_<)岩場やルートファインディングの経験が豊富な人以外はやめましょう。 取り付きの石仏<写真06>はコンクリートの小さな階段を上ったところで、道路からも見えます。のっけからの急斜面でどう登るか悩み、私は右を選択、連れは石仏の背後の岩沿いにツタを掴んでなんとかよじ登りました。踏み跡もなかったので、まさか連れが登ってくるとは思いませんでした。 小洞穴<写真07>の下には金色のテープがありました。整備を断念なさった方がつけられたものかもしれません。ここからは細踏み跡らしきものもありましたが、大量の落ち葉でズルズル滑り、周辺の木の枝やツタを掴んでたまに岩の上を越えながら歩きやすい北東方向へ進みました。 標高60m近くから西北西に進路を変え、しばらくするとセメントのようなもので補強してある岩場が現れました。階段状なので登りやすく、登った先に覗き岩<写真08,09>がありました。 覗き岩<写真08,09>から引き返し、東を巻けばよかったようですが、そのまま北上してしまいました。頭上の岩場を避けて西へ移動、標高70m辺りで岩の右(東)を巻こうとしましたが、落ち葉の急斜面で少しもたつきました。下で待機していた連れが、右上の岩の側面に赤いペンキマーク2つと金色のテープが見えるような気がすると言い出しました。目が悪いので、見間違いの可能性も十分ありますが、そこまで登ろうということになりました。このとき、連れは私がいる左上よりも右方向のほうが歩きやすそうだと思ったそうです。しかし、とりあえず私のいる急斜面へと一歩踏み出した途端、落ち葉で滑り、覗き岩<写真08,09>の南西、標高50m辺りまで滑落する羽目になりました。最後はほぼ垂直の高さ数mの岩場から落下したそうです。両手足打撲と左足首痛ですんでなによりでした。 連れの落下地点までヒヤヒヤしながら下り、舗装道路に下りようとしましたが、周辺はコンクリート壁で下りられず、本人が歩けると言うので登りなおすことにしました。幸い、自治体が施した岩の落下防止措置の際のピンクテープや踏み跡がすぐ側にあり、10分程はそれを辿って東に進みました。標高40m辺りまで下った、ちょうど石仏<写真06>の北に小さめの柱状の岩があり、それの落下防止措置の際のものだったようです。側まで下ってオベリスク<写真10>ではないことが確認できたので引き返し、標高55m辺りから歩きやすいところを選んでいると、いつの間にかまた北西に進んでいました。 標高60m辺りでこの明らかな踏み跡が覗き岩<写真08,09>に向かうルートだったことに気づき、今度は右(東)に行ってみることにしました。標高70m辺りから岩を巻いて北北東へ、標高85m辺りで明らかな踏み跡に合流、西に向かうとオベリスク<写真10>がありました。 オベリスク<写真10>から適当に北上、標高110m辺りから傾斜が緩やかで落ち葉も少なく、歩きやすくなりました。標高115m辺りからは断続的な岩場登りとなり、北東に進みました。 標高150m辺りで落石防止のフェンスが現れ、それを避けて北西に進路を変えました。すぐにワイヤーで固定された石の脇を通ってワイヤー沿いに進みましたが、ツツジの枝が少し邪魔になったので、少し上を通った方がよかったようです。ワイヤーに導かれた先は展望岩<写真18,19>でした。 ここから先はまた適当に上を目指し、標高175m辺りで歩きやすい尾根道に無事合流できました。 |
その他周辺情報 | 吉井川沿いに南下すると、和気鵜飼谷(うがいだに)温泉があります。日帰り入浴(9:00〜21:00)やレストランなどでの食事もできます。 |
写真
装備
個人装備 |
長袖シャツ
ズボン
靴下(厚手)
防寒具
手袋(防水加工)
軍手
雨具
日よけ帽子とフード
雨用帽子
登山靴(防水加工)
靴ひも予備
サブザック
ザックカバー
地形図
コンパス
マップケース
筆記用具
携帯
時計(防水)
タオル
カメラ
飲料水(スポドリ&茶)
水筒(保温)
非常食(栄養補助食品)
スマホ(山使用可能)
eTrex30(GPSナビゲーター)
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感想
今回は、登山開始から40分程で連れが高度20m、距離数十mほど滑落、標高70〜50mでログが直線になっています。連れにとっては人生初捻挫の思い出深い山行となりました。
上りのオベリスクルート(尾根道に合流するまでのルート)は整備の許可が下りず放置されており、テープや踏み跡もたまにある程度、一般登山者が登るには十分とはいえません。急斜面に加えて、ホールドもほとんどなく、ルートファインディングを間違えると、上りも地獄、下りも地獄となります。滑落すると打撲や捻挫は必至、まかり間違えばお陀仏です(>_<)岩場やルートファインディングの経験が豊富な人以外はやめましょう。
もちろん、地主の許可なく整備することもできません。
“ロック(岩)の聖地⁉”
佐伯(さえき)天神山は吉井川を見下ろし、戦国時代の象徴である山城の遺構がたくさん残っている歴史(戦国時代)ファン垂涎の地です。河本(こうもと)コミュニティハウスに自動車を停め、天神山の北西斜面を望むと、たくさんの魅力的な奇岩群が見えます<写真61>。そこで思い切って、この奇岩群を登ることにしました。
このオベリスクルートは許可が下りず十分に整備されなかったルートらしく、事前の記録はほとんどありませんでした。予定ルートを考えていきましたが、現場は季節柄、落ち葉でよく滑る急斜面、しかもホールドもほとんどなく、その場でルート判断せざるを得ないこともしばしばで、ヤブコギはないもののかなり困難な登りを強いられました。ルートファインディングを間違えると、上りも地獄、下りも地獄となります。
覗き岩<写真08,09>からオベリスク<写真10>に向かう途中、標高70m辺りで連れが足を滑らせ(The上りの地獄)、落ち葉の急斜面を滑り落ちていく途中で姿が消えました。ここで止まろうと下手に手をつくと骨折の恐れがありますが、連れ唯一の必殺技「無抵抗」が炸裂、手足を伸ばしたまま最後はほぼ垂直の高さ数mの岩場から落下、仰向けにひっくり返り、落ち葉からわずかにのぞいた石の上でバウンド、大の字に着地したそうです。幸い、ザックを下にして落ちたので、擦り傷や打撲は見事に両手足に集中、左足首が少し痛いが歩けるとのことでした。虫のように手足を縮めて丸まっていたら怪我はなかったかもしれません。
この辺りかと覗き込んでも姿が見えなかったので、この日はもうやめようかとも思い、とりあえず慎重にルートを選び連れの落下地点まで下りました(The下りの地獄)。下山する気満々だったのですが、周辺はコンクリート壁で下りられず、本人が歩けると言うので再度ルートを変えて登りなおすことにしました。幸い、自治体が施した岩の落下防止措置の際のピンクテープや踏み跡がすぐ側にあり、10分程はそれを辿れました。そこからはルートファインディング、数分でルートに合流し、さっきとは逆方向(東)に進み事なきを得ました。
写真や動画で紹介していますように、ロケーション的には佐伯天神山でもっとも魅力的なコースですが、同時にもっとも危険を伴うコースでもあります。ヤブコギはなく登るにつれ落ち葉は少なくなりますが、尾根道に出るまで踏み跡はあったりなかったりです。山行経験の浅い方や、ルートファインディングに慣れていない方にはこのオベリスクルートはお薦めできません。
尾根道と天神山城本丸近くから侍屋敷跡経由で下りるコースは傾斜の緩い歩きやすいコースでした。もっとも、石埋まりの上を下りたり、落ち葉の下の小石を踏んだりするたびに、連れは足首が痛いを連発、太鼓の丸城での休憩時には腫れはなかったのですが、下りで完全に左足首を捻挫してしまいました(-_-;)
アンタがあっちこっち攻め込むからこんな山城ができるんだと宇喜多直家(城下町岡山の基礎を築いたのに岡山市民にも嫌われています)に八つ当たりし、爆笑するだけの元気はあったのでよしとしましょう(^_^)ちなみに、天神山城主浦上宗景は直家の主君であり、彼に攻め込まれないようにこの地に築城したわけではありません。
“下剋上の舞台、天神山城”
尾根に出てからの山城跡は想像以上に大きく、のべ1.5km近くにわたって、山城のさまざまな遺構が見られました。さすが岡山県指定史跡です。
1531年(享禄4年)に浦上宗景がこの地に移って天神山城を築いてから、浦上与次郎(宗景の嫡男)が家臣だった宇喜多直家(出たぁ時の人!)に毒殺され、落城するまでの45年あまりの間、戦国時代を象徴する下剋上の舞台となりました。
山城は、防御に有利な地形に築くことが望ましく、佐伯天神山のように険しい山<写真61>はその条件を十分満たします。岩だらけの斜面の上にそびえるさまはまさに“岩上(がんじょう)な”山城でした。
しかし、そこに住むには不便であり、守るべき対象である家臣の居住地は麓(天瀬と田土地区)にあり、山から少し離れています。したがって、天神山城はあくまで防御専用として造られたのでしょう。城主や兵士は、平時には麓に住民と共に住み、敵が来襲すると、田土集落に住む者は水の手で水を汲み、食料と一緒に馬で上がり、本丸&水の手分岐を経由して、太鼓の丸城<写真41>に立て籠もったのかもしれません。そんな古の時代に思いを馳せながら、一つ一つ歴史の足跡を辿りました。
次回はお手軽ゆるゆるコースを歩くのだと連れが力強く宣言、目的地はお任せしようと思います。土道で石段のないルートが見つかるといいのですが(^_^)
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