自宅からは伊勢街道を走る。写真は街道の街並みが良く残る市場庄の集落。
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5/30 7:52
自宅からは伊勢街道を走る。写真は街道の街並みが良く残る市場庄の集落。
ガイドマップにも無かった石碑を発見。神楽寺に入る角なのでその関係かな?
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5/30 7:58
ガイドマップにも無かった石碑を発見。神楽寺に入る角なのでその関係かな?
松阪市日野町の和歌山街道の始点。伊勢街道との分岐点でもある
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5/30 8:06
松阪市日野町の和歌山街道の始点。伊勢街道との分岐点でもある
左さんぐう道、右わかやま道の道標
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5/30 8:06
左さんぐう道、右わかやま道の道標
浄土宗樹敬寺。本居一族の菩提寺。宣長が説教をよく聴きに行ったお寺で、境内には宣長の「参り墓」と春庭の墓などがある。
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5/30 8:07
浄土宗樹敬寺。本居一族の菩提寺。宣長が説教をよく聴きに行ったお寺で、境内には宣長の「参り墓」と春庭の墓などがある。
酒屋さんの倉庫と思ったら新良酒造という日本酒醸造所。以前は「千代の松」という銘柄がメインだったが、90年代中頃から純米酒醸造専門になった。「夢窓」という濃醇辛口がメイン。
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5/30 8:10
酒屋さんの倉庫と思ったら新良酒造という日本酒醸造所。以前は「千代の松」という銘柄がメインだったが、90年代中頃から純米酒醸造専門になった。「夢窓」という濃醇辛口がメイン。
永代常夜燈、村中安全、五穀成就と刻まれている
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5/30 8:11
永代常夜燈、村中安全、五穀成就と刻まれている
中部台公園にあるSL
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5/30 8:23
中部台公園にあるSL
大河内神社、乳神大明神とある。
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5/30 8:41
大河内神社、乳神大明神とある。
松阪牛より有名になった鳥焼肉の前島食堂
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5/30 8:46
松阪牛より有名になった鳥焼肉の前島食堂
伊勢自動車道の近くの左大師道の石碑。大師とは多気町の丹生大師を指す
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5/30 8:50
伊勢自動車道の近くの左大師道の石碑。大師とは多気町の丹生大師を指す
辻原橋の上流に架かる小橋の端に建つ石碑。多気道との分岐を示す。正面に大日如来が彫られている。「右あゝらき多気、左紀州道、右まつ坂 左たきあゝらき道」と刻まれている
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5/30 9:00
辻原橋の上流に架かる小橋の端に建つ石碑。多気道との分岐を示す。正面に大日如来が彫られている。「右あゝらき多気、左紀州道、右まつ坂 左たきあゝらき道」と刻まれている
瀬戸峠の案内板
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5/30 9:05
瀬戸峠の案内板
七曲、ここから未舗装道に入る
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5/30 9:06
七曲、ここから未舗装道に入る
鹿除けのゲート。アブがまとわりついてきた。
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5/30 9:07
鹿除けのゲート。アブがまとわりついてきた。
竹林を走る。伊賀街道の伊賀市中之瀬から荒木に通じる道と同じような感じ。
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5/30 9:10
竹林を走る。伊賀街道の伊賀市中之瀬から荒木に通じる道と同じような感じ。
未舗装道の終点。ここから街道は途切れるので国道366号に迂回する
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5/30 9:21
未舗装道の終点。ここから街道は途切れるので国道366号に迂回する
北谷池の前に途中で途切れている街道の出口があった。国土地理院の地図で見ると確かに道がある。次回リベンジ。
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5/30 9:21
北谷池の前に途中で途切れている街道の出口があった。国土地理院の地図で見ると確かに道がある。次回リベンジ。
小片野町の和歌山街道(左)と伊勢本街道(右)の合流点。
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5/30 9:23
小片野町の和歌山街道(左)と伊勢本街道(右)の合流点。
道標があった。
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5/30 9:23
道標があった。
大石神社あたり、櫛田川沿いを走る
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5/30 9:33
大石神社あたり、櫛田川沿いを走る
大石神社入口。明治41年の政令により、大石(おいし)地区の大石、小片野、六呂木に祀られていた各地区の村社、境内社等19社を合祀し、大石(おいし)神社と名付けた。
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5/30 9:34
大石神社入口。明治41年の政令により、大石(おいし)地区の大石、小片野、六呂木に祀られていた各地区の村社、境内社等19社を合祀し、大石(おいし)神社と名付けた。
不動院の馬頭観音。今から250余年ほど前の文化年間、現在国道166号線と旧道とに半々に分かれただらだら坂におせんの茶屋があり、おせん坂と呼ばれていた。この坂で、馬が荷物の重さにうずくまってしまった 。馬主は怒って「こんなことで松阪まで行かれるか」と手綱で馬の鼻面を打った。打たれた馬は急に起き上がり、ものすごい勢いで馬方に跳びかかり、馬方が逃げても逃げても追いかけ、ついに馬方は櫛田川に押し沈められて死んだ。その後馬は飼い主の所に返されたが、人を殺した馬として処分された。この馬を供養し祀つたのが「馬頭観音」。毎年4月18日不動院住職により供養される。
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5/30 9:36
不動院の馬頭観音。今から250余年ほど前の文化年間、現在国道166号線と旧道とに半々に分かれただらだら坂におせんの茶屋があり、おせん坂と呼ばれていた。この坂で、馬が荷物の重さにうずくまってしまった 。馬主は怒って「こんなことで松阪まで行かれるか」と手綱で馬の鼻面を打った。打たれた馬は急に起き上がり、ものすごい勢いで馬方に跳びかかり、馬方が逃げても逃げても追いかけ、ついに馬方は櫛田川に押し沈められて死んだ。その後馬は飼い主の所に返されたが、人を殺した馬として処分された。この馬を供養し祀つたのが「馬頭観音」。毎年4月18日不動院住職により供養される。
ほうろく岩の案内板。
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5/30 9:37
ほうろく岩の案内板。
これがほうろく岩
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5/30 9:37
これがほうろく岩
ほうろく岩張り付くムカデラン群落の案内板。この群落はラン科植物で全国でも珍しく 、昭和2年(1927年)国の天然記念物に指定された。ムカデ蘭は蘭科の植物で、葉と枝は硬く、細長い根をあちこちから出し、水分が少なくても枯れることが無い。形状がムカデに似ていることから、ムカデ蘭と呼ばれる。春に白い新しい根をはり、7月下旬に米粒程のピンクの、小さい可愛い花をつける。
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5/30 9:37
ほうろく岩張り付くムカデラン群落の案内板。この群落はラン科植物で全国でも珍しく 、昭和2年(1927年)国の天然記念物に指定された。ムカデ蘭は蘭科の植物で、葉と枝は硬く、細長い根をあちこちから出し、水分が少なくても枯れることが無い。形状がムカデに似ていることから、ムカデ蘭と呼ばれる。春に白い新しい根をはり、7月下旬に米粒程のピンクの、小さい可愛い花をつける。
石勝山金常寺不動院は、弘法大師空海上人が開創と伝え、今から約1,200年前の弘仁 3年(812年)に建立された真言宗の寺。本尊の不動明王像は、弘法大師が当地を訪れた時、当地の青石を刻んで安置したと伝えられる。東海三十六不動尊霊場第25番札所・三重四国八十八ヵ所霊場74番札所。現在の本堂は、今から400年以上前の慶長 7年(1602年)当時の住職政音和尚(しょういんおしょう)の時、松阪城主古田重勝公が再建。
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石勝山金常寺不動院は、弘法大師空海上人が開創と伝え、今から約1,200年前の弘仁 3年(812年)に建立された真言宗の寺。本尊の不動明王像は、弘法大師が当地を訪れた時、当地の青石を刻んで安置したと伝えられる。東海三十六不動尊霊場第25番札所・三重四国八十八ヵ所霊場74番札所。現在の本堂は、今から400年以上前の慶長 7年(1602年)当時の住職政音和尚(しょういんおしょう)の時、松阪城主古田重勝公が再建。
緑色の縁の櫛田川
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5/30 9:39
緑色の縁の櫛田川
飯南町夏明(深野)への分岐。深野には日本棚田百選に選ばれた深野の棚田がある
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飯南町夏明(深野)への分岐。深野には日本棚田百選に選ばれた深野の棚田がある
大石宿真ん中あたりの案内板
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大石宿真ん中あたりの案内板
庚申堂の正面石垣に組み込まれている。「大石宿。これより宮川へ七里 はせよりここまで十五里半」と刻まれている。
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庚申堂の正面石垣に組み込まれている。「大石宿。これより宮川へ七里 はせよりここまで十五里半」と刻まれている。
案内板の2軒西。
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案内板の2軒西。
石垣の中に小さな祠がある「
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石垣の中に小さな祠がある「
石尊大権現。石尊とは宝暦9年(1759)相模国(現神奈川県伊勢原市)の大山寺から勧請され、この道標の北西4kmのところにある白猪山に祀られた「白猪石尊」のこと。大山寺は奈良時代の高僧良弁の開基。良弁は晩年故郷の相模の国を訪れた際、大山の峰に登り、地中から五色の光が出ているのを見て、岩を掘り出してみると石像の不動明王が出現した。不動明王からこの山が弥勒菩薩の浄土であり、法を守護し、衆生を利益するため、この地に出現したという託宣を受けた良弁は、聖武天皇から勅願寺の宣下を賜り、この地に住して伽藍を調えた。第3世として弘法大師が住職を務め、石尊大権現の名称など数々の霊所が開かれた。この白猪山に勧請された経緯について、『石尊勧請縁起』は宝泉寺第10世法誉上人の弟子随潭(第11世形誉上人)が江戸芝増上寺において修行中のこと、師弟ともに大山寺の石尊権現から霊告を受け、不思議を感じた随潭が大山寺に参詣して霊代を授かり、宝暦9年(1759)3月15日、この地に鎮座供養したと伝える。当初、石尊・不動尊は同じ祠に安置されていたが、明和7年(1770)大山寺に習って山頂に石尊、下に不動尊を分離して安置され、その後、石尊信仰は地元夏明のみならず近郊にまで流布し、3月15日・7月15日に行われる会式は松坂・津・伊勢など広く知られる盛大な祭であった。
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石尊大権現。石尊とは宝暦9年(1759)相模国(現神奈川県伊勢原市)の大山寺から勧請され、この道標の北西4kmのところにある白猪山に祀られた「白猪石尊」のこと。大山寺は奈良時代の高僧良弁の開基。良弁は晩年故郷の相模の国を訪れた際、大山の峰に登り、地中から五色の光が出ているのを見て、岩を掘り出してみると石像の不動明王が出現した。不動明王からこの山が弥勒菩薩の浄土であり、法を守護し、衆生を利益するため、この地に出現したという託宣を受けた良弁は、聖武天皇から勅願寺の宣下を賜り、この地に住して伽藍を調えた。第3世として弘法大師が住職を務め、石尊大権現の名称など数々の霊所が開かれた。この白猪山に勧請された経緯について、『石尊勧請縁起』は宝泉寺第10世法誉上人の弟子随潭(第11世形誉上人)が江戸芝増上寺において修行中のこと、師弟ともに大山寺の石尊権現から霊告を受け、不思議を感じた随潭が大山寺に参詣して霊代を授かり、宝暦9年(1759)3月15日、この地に鎮座供養したと伝える。当初、石尊・不動尊は同じ祠に安置されていたが、明和7年(1770)大山寺に習って山頂に石尊、下に不動尊を分離して安置され、その後、石尊信仰は地元夏明のみならず近郊にまで流布し、3月15日・7月15日に行われる会式は松坂・津・伊勢など広く知られる盛大な祭であった。
ここら辺は松阪牛の育成地でもある
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5/30 9:46
ここら辺は松阪牛の育成地でもある
深野集落にある酒屋の大五商店
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5/30 9:47
深野集落にある酒屋の大五商店
柿野小学校近くにあった石碑。これもガイドマップに無かった
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柿野小学校近くにあった石碑。これもガイドマップに無かった
旧飯南郵便局庁舎
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旧飯南郵便局庁舎
庁舎の案内板
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庁舎の案内板
酒夢蔵かわぶ
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酒夢蔵かわぶ
飯南町郷土資料館。写真だけで通過してしまった
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5/30 10:13
飯南町郷土資料館。写真だけで通過してしまった
横野への案内板
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横野への案内板
このような川沿いの道
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5/30 10:16
このような川沿いの道
右から道標、常夜燈、庚申祠
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5/30 10:17
右から道標、常夜燈、庚申祠
石碑と説明ポール。「者世(はせ)より是迄十四り、是より宮川へ八り半」すがの村行悦
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5/30 10:18
石碑と説明ポール。「者世(はせ)より是迄十四り、是より宮川へ八り半」すがの村行悦
横野の西端にある常夜燈。明治初期のもので「両宮献燈」と刻まれている
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横野の西端にある常夜燈。明治初期のもので「両宮献燈」と刻まれている
下仁柿の立派な旧家
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下仁柿の立派な旧家
家の前の燈籠
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家の前の燈籠
上仁柿の集落には屋号が掲げられている
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上仁柿の集落には屋号が掲げられている
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5/30 10:22
長瀬
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長瀬
仁柿小学校手前。手前の常夜燈は文久3年(1863)とある
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仁柿小学校手前。手前の常夜燈は文久3年(1863)とある
左が長瀬不動尊の御堂。右が弘法大師の御堂
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左が長瀬不動尊の御堂。右が弘法大師の御堂
子安地蔵の碑。天保5年(1834)と刻まれている
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子安地蔵の碑。天保5年(1834)と刻まれている
神名原(しでわら)の集落への分岐にある石碑
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神名原(しでわら)の集落への分岐にある石碑
この道も国道368号線
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5/30 10:36
この道も国道368号線
赤松塚の案内板
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5/30 10:36
赤松塚の案内板
赤松塚の案内板の向いの自動車整備店
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赤松塚の案内板の向いの自動車整備店
右が国道368号線、伊勢本街道は左に進む
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右が国道368号線、伊勢本街道は左に進む
手積の石垣がある水田
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5/30 10:38
手積の石垣がある水田
建設中の国道368号線のバイパス
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5/30 10:43
建設中の国道368号線のバイパス
櫃坂道の入口、ここから山道。お伊勢参りしてこわいとこどこか、櫃坂(ひっさか)、飼坂(かいさか)、鞍取坂(くらとりさか)
と恐れられた。
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5/30 10:44
櫃坂道の入口、ここから山道。お伊勢参りしてこわいとこどこか、櫃坂(ひっさか)、飼坂(かいさか)、鞍取坂(くらとりさか)
と恐れられた。
櫃坂道の案内板
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5/30 10:44
櫃坂道の案内板
右の櫃坂道を進む、この山道は櫃坂道新道で元の古坂は歴史街道ガイドマップでは平成23年に復旧とあるが国土地理院の地図にはまだ反映されていない。
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5/30 10:44
右の櫃坂道を進む、この山道は櫃坂道新道で元の古坂は歴史街道ガイドマップでは平成23年に復旧とあるが国土地理院の地図にはまだ反映されていない。
ちゃんとベンチもあるが全く人が歩いている痕跡がない
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5/30 10:48
ちゃんとベンチもあるが全く人が歩いている痕跡がない
町ごとにある案内板。朽ちて読めない
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5/30 10:48
町ごとにある案内板。朽ちて読めない
これから登りになるので杖置きがあった
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5/30 10:49
これから登りになるので杖置きがあった
四丁の案内板
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5/30 10:50
四丁の案内板
道はしっかり整備されている
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5/30 11:00
道はしっかり整備されている
朱鉄の滝。
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朱鉄の滝。
ピーク手前の切通
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5/30 11:02
ピーク手前の切通
国道368号線との合流点に近づいてきた
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5/30 11:09
国道368号線との合流点に近づいてきた
杖の返却・貸出箱
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5/30 11:10
杖の返却・貸出箱
国道368号線沿いの案内板
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5/30 11:10
国道368号線沿いの案内板
櫃坂道のピーク
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5/30 11:11
櫃坂道のピーク
ピークにはお茶屋が並んでいた
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5/30 11:12
ピークにはお茶屋が並んでいた
茶屋の位置図。残っているものは無い
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5/30 11:12
茶屋の位置図。残っているものは無い
ピークを過ぎると、いくつもの橋を渡る。これは不動橋。飯南(松阪市)と美杉(津市)の境界
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5/30 11:13
ピークを過ぎると、いくつもの橋を渡る。これは不動橋。飯南(松阪市)と美杉(津市)の境界
道路向いにある多気不動尊
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道路向いにある多気不動尊
道路の左右に石碑があった。紀元二千までは読めた
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5/30 11:13
道路の左右に石碑があった。紀元二千までは読めた
反対側の石碑
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5/30 11:14
反対側の石碑
お地蔵さん
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5/30 11:16
お地蔵さん
open cafe mamaの案内板
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5/30 11:18
open cafe mamaの案内板
店が見えて来た
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5/30 11:18
店が見えて来た
右のプレハブハウスで調理、販売
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5/30 11:23
右のプレハブハウスで調理、販売
イノシシコロッケサンドを注文。ドリンクセットで550円とお値打ち
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イノシシコロッケサンドを注文。ドリンクセットで550円とお値打ち
本業はログハウス販売でカフェは週末営業
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5/30 11:46
本業はログハウス販売でカフェは週末営業
ちゃんと自転車ハンガーもある
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5/30 11:47
ちゃんと自転車ハンガーもある
「櫃坂は崖の道朴の花 一歩」の句碑
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5/30 11:51
「櫃坂は崖の道朴の花 一歩」の句碑
宗田橋たもとの道標。左やまの道には民家無
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5/30 11:52
宗田橋たもとの道標。左やまの道には民家無
「鶯の水飲みに寄る茸狩り 一歩」の句碑
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5/30 11:53
「鶯の水飲みに寄る茸狩り 一歩」の句碑
鶯の水。味はまろやか
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5/30 11:54
鶯の水。味はまろやか
鶯の水の向いはオフロードランド美杉。エンジン音がこだましていた
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5/30 11:53
鶯の水の向いはオフロードランド美杉。エンジン音がこだましていた
鶯の水近く案内板
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5/30 11:55
鶯の水近く案内板
サカムカエ場の説明板。坂向と書く。代参者による伊勢参宮が盛んになると、土地の人々はあらかじめ酒宴をもうけ代参者を待ち、帰ってくると盛大に出迎え共同飲食をしていたとされる場所。
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5/30 11:58
サカムカエ場の説明板。坂向と書く。代参者による伊勢参宮が盛んになると、土地の人々はあらかじめ酒宴をもうけ代参者を待ち、帰ってくると盛大に出迎え共同飲食をしていたとされる場所。
祠がある
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5/30 11:58
祠がある
旅籠車屋。文政年間に創業後頃に廃業されるまで参宮道者で大変賑わった。
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5/30 12:00
旅籠車屋。文政年間に創業後頃に廃業されるまで参宮道者で大変賑わった。
車屋玄関
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5/30 12:00
車屋玄関
鳥谷屋
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5/30 12:01
鳥谷屋
車屋を振り返る
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5/30 12:01
車屋を振り返る
ようかんの東屋
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5/30 12:04
ようかんの東屋
手作り羊羹を製造、販売
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5/30 12:05
手作り羊羹を製造、販売
店の中
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5/30 12:05
店の中
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ガラスの金文字がレトロ
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ガラスの金文字がレトロ
うずら豆で手作り
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5/30 12:08
うずら豆で手作り
入口の案内塔
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5/30 12:09
入口の案内塔
ここ上仁柿から南の丹生俣の境界の峠の花硯峠に関す歌。花硯とは皆昔やんごとない人が桜花を愛でて、歌を詠もうとこの峠に立っていたところ、桜の花びらが硯に落ちたところから、「花硯」との名が付けられたという説と、もう一つには丹生俣・川上の人々が、大石・松阪方面に出向く際、大いに利用されていたのであるが、大きな荷物を牛の背中にして急な坂を上ると、牛の鼻が地面に擦れるほどであったところから、「鼻すすり峠」と呼ばれるようになったという2説がある。
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5/30 12:12
ここ上仁柿から南の丹生俣の境界の峠の花硯峠に関す歌。花硯とは皆昔やんごとない人が桜花を愛でて、歌を詠もうとこの峠に立っていたところ、桜の花びらが硯に落ちたところから、「花硯」との名が付けられたという説と、もう一つには丹生俣・川上の人々が、大石・松阪方面に出向く際、大いに利用されていたのであるが、大きな荷物を牛の背中にして急な坂を上ると、牛の鼻が地面に擦れるほどであったところから、「鼻すすり峠」と呼ばれるようになったという2説がある。
六部供養碑の案内板
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5/30 12:13
六部供養碑の案内板
真ん中が六部供養碑
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5/30 12:13
真ん中が六部供養碑
多気宿の案内板
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5/30 12:14
多気宿の案内板
北海道の名づけ親の松浦武四郎もここを通った
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5/30 12:15
北海道の名づけ親の松浦武四郎もここを通った
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りっぱな旧家
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りっぱな旧家
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町屋公民館
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町屋公民館
結城屋旅館
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結城屋旅館
趣のある格子
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趣のある格子
結城屋旅館の向いの中屋。オーナー募集中。
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結城屋旅館の向いの中屋。オーナー募集中。
大嶋屋跡
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大嶋屋跡
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町屋の集落の案内板
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町屋の集落の案内板
町屋の中心の馬場橋。北東方向から撮影。
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町屋の中心の馬場橋。北東方向から撮影。
馬場橋を渡ったところにある十字路。街道は奥から手前。
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5/30 12:24
馬場橋を渡ったところにある十字路。街道は奥から手前。
十字路を北東から撮影。上多気常夜燈。元治2年(1865)と古い。
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十字路を北東から撮影。上多気常夜燈。元治2年(1865)と古い。
常夜燈の案内板
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常夜燈の案内板
常夜燈の東向いの三木屋跡の案内板
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常夜燈の東向いの三木屋跡の案内板
三木屋跡の案内板とともにある道標
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三木屋跡の案内板とともにある道標
馬場橋を振り返る
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馬場橋を振り返る
飼坂峠の登り口にあるきぬかけ地蔵。多気の七不思議の一つで、「夜々手拭をかぶりておどるといふ」。民家の中にある。
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飼坂峠の登り口にあるきぬかけ地蔵。多気の七不思議の一つで、「夜々手拭をかぶりておどるといふ」。民家の中にある。
きぬかけ地蔵は自然石
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きぬかけ地蔵は自然石
飼坂峠の案内板
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5/30 12:41
飼坂峠の案内板
伊勢本街道の案内板
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伊勢本街道の案内板
明るい道を進む
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5/30 12:45
明るい道を進む
間伐材の搬出のようだ
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5/30 12:48
間伐材の搬出のようだ
左の流れがホトトギスの水
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5/30 12:51
左の流れがホトトギスの水
ホトトギスとは日本の特産種で主に太平洋側に自生する多年草。日陰のやや湿った斜面や崖、岩場に見られ、葉のわきに、直径2〜3cmで紫色の斑点のある花を1〜3輪上向きに8ー9月に咲かせる。
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5/30 12:51
ホトトギスとは日本の特産種で主に太平洋側に自生する多年草。日陰のやや湿った斜面や崖、岩場に見られ、葉のわきに、直径2〜3cmで紫色の斑点のある花を1〜3輪上向きに8ー9月に咲かせる。
切通。ピークはもうすぐ。
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5/30 12:54
切通。ピークはもうすぐ。
大きな枯葉
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5/30 12:59
大きな枯葉
石積みの道
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5/30 13:01
石積みの道
ピークの東屋が見えてきた
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5/30 13:03
ピークの東屋が見えてきた
ここがピーク
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5/30 13:04
ここがピーク
茶屋の跡
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5/30 13:04
茶屋の跡
伊勢本街道、飼坂峠、腰切地蔵・首切地蔵の案内板
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5/30 13:04
伊勢本街道、飼坂峠、腰切地蔵・首切地蔵の案内板
峠の下り道。土のうが積まれている。ここでこけて泥まみれになった。
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5/30 13:10
峠の下り道。土のうが積まれている。ここでこけて泥まみれになった。
腰切地蔵の案内板
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5/30 13:11
腰切地蔵の案内板
これが腰切地蔵
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5/30 13:11
これが腰切地蔵
こんな感じで建っている。
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こんな感じで建っている。
峠道は国道368号線に階段で合流
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5/30 13:13
峠道は国道368号線に階段で合流
峠の出口(入口は)国道365号線の飼坂トンネルのすぐ脇にある。
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5/30 13:13
峠の出口(入口は)国道365号線の飼坂トンネルのすぐ脇にある。
国道365号線を横切り階段を降りる
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5/30 13:15
国道365号線を横切り階段を降りる
未舗装道が続く。この先200mぐらいのところに首切り地蔵もあったが通り過ぎてしまった。
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5/30 13:16
未舗装道が続く。この先200mぐらいのところに首切り地蔵もあったが通り過ぎてしまった。
曹洞宗 圓通山 正念寺
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5/30 13:19
曹洞宗 圓通山 正念寺
りっぱな山門
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5/30 13:19
りっぱな山門
常夜燈が見えてきた
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5/30 13:19
常夜燈が見えてきた
「太一」、「所願成就」と刻まれている。太一は「だいいち」と読み、伊勢神宮御用を意味し、三重県内の常夜燈だけに見られる。これも文久4年(1864)と古い
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5/30 13:20
「太一」、「所願成就」と刻まれている。太一は「だいいち」と読み、伊勢神宮御用を意味し、三重県内の常夜燈だけに見られる。これも文久4年(1864)と古い
案内板
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5/30 13:20
案内板
伊勢興津の集落に入ってきた
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5/30 13:22
伊勢興津の集落に入ってきた
カフェ葉流乃音
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5/30 13:23
カフェ葉流乃音
店内
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5/30 13:37
店内
自家焙煎の珈琲が美味しかった
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5/30 13:38
自家焙煎の珈琲が美味しかった
入口
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5/30 13:54
入口
旅籠。
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5/30 13:23
旅籠。
母屋と増築部分とがある
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5/30 13:23
母屋と増築部分とがある
増築部分の入口
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5/30 13:23
増築部分の入口
扇型のふすま、壁の梅型の窪みなど凝った造り
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5/30 13:56
扇型のふすま、壁の梅型の窪みなど凝った造り
玄関
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5/30 13:23
玄関
旅籠を振り返る
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5/30 13:23
旅籠を振り返る
出世鶴がメインの稲盛酒造。平成23年に廃業
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5/30 13:24
出世鶴がメインの稲盛酒造。平成23年に廃業
庭への丸い入口が中国風
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5/30 13:24
庭への丸い入口が中国風
興津の宿場町の中心にある宮城橋
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5/30 13:25
興津の宿場町の中心にある宮城橋
昔の宮城橋の写真
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5/30 13:25
昔の宮城橋の写真
JR名松線終点の伊勢興津駅南100mにある石碑。「左いせ新街道」とある。
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5/30 14:01
JR名松線終点の伊勢興津駅南100mにある石碑。「左いせ新街道」とある。
銀行跡の案内板
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5/30 14:03
銀行跡の案内板
伊勢興津駅
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5/30 14:37
伊勢興津駅
伊勢興津駅に飾られている蒸気機関車牽引の混合列車
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5/30 14:20
伊勢興津駅に飾られている蒸気機関車牽引の混合列車
戦前の興津の風景。ここから自宅まではロードレーサーのトレーニングコース。
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5/30 14:20
戦前の興津の風景。ここから自宅まではロードレーサーのトレーニングコース。
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