運河駅→利根運河 ミニ歴史散歩[千葉]
- GPS
- 04:28
- 距離
- 17.7km
- 登り
- 11m
- 下り
- 11m
コースタイム
- 山行
- 0:00
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 0:00
出発8:15…眺望の丘8:30…トンボ公園(仮称)8:50…柏大橋(R16)8:55…藤棚公園(仮称)9:15…運河閘門9:30…利根運河遊歩公園9:45…柏大橋(R16)10:15…10:30理窓自然公園11:10…浮き橋11:25…運河河口公園(江戸川合流地点)12:00…におとり公園(公衆トイレ)12:15…浮き橋12:35…12:45運河駅
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出発時刻/高度: 08:15 / 21m
到着時刻/高度: 12:43 / 21m
合計時間: 4時間28分
合計距離: 17.71km
最高点の標高: 25m
最低点の標高: 3m
累積標高(上り): 0m
累積標高(下り): 0m
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天候 | 2月24日(火) 曇り |
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過去天気図(気象庁) | 2015年02月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車
<利根運河 ハイキング> 運河駅⇒14:55<東武野田線¥200−>15:08⇒柏駅⇒15:15<JR常磐線¥220−>15:29⇒取手駅 |
その他周辺情報 | 理窓自然公園 http://www.risoukai.com/risoukai/activities/anniversary/anv_100.php |
写真
感想
利根運河の歴史を知る上で 運河水辺公園にある「運河のいわれ」が簡潔に記されていたので ここに それを整理しました。
利根運河のいわれ
徳川家康が江戸に して最初に手がけた事業は利根川、江戸川の大改修であった。
この二ッの河川は、関宿を分水点として銚子と江戸へ流れを変えたので航路として重視された。
この川筋の町々は、物資の集散地として一躍脚光をあびるようになった。
江戸末期になると利根川中流の野田ー関宿間に中州ができたため、柏から流山の間は陸送となり、ここに開さくする機運が芽生えていった。
明治になると、運河開削の運動は具体化し茨城県会の広瀬誠一郎と茨城県令(知事)人見寧の二人が中心となって活躍しました。
時の政府や千葉県庁にも強い要請が行われ、政府はオランダ人技師ムルデルを派遣して運河の設計にあたらせた。
明治二十一年五月、事業は株式を公募して民間事業の方法で工事が始まった。
総工費五十万円、実に二百二十万人の労働者を動員して、明治二十三年六月全工区が竣工した。
ムルデルは西深井の民家を宿舎として全工事を監督したという。
総延長八キロメートル余、河底幅十八メートル平均水深は、十.六メートルであった。
利根運河が完成すると水運は益々活発になり、ピークには、年間三万七千余隻一日平均百三隻もの船がここを利用した。
しかし、大栄華をきわめた利根運河は、時の流れにとり残されていった。
昭和十六年の大洪水によって運河は国に買収され、治水および利水上重要な枠割りを果たしながら、四季折々に緑豊かで静かなたたずまいを見せている。
その栄光の歴史は明治四十一年河口に建てられた一基の石碑が教えてくれた。
利根運河のあゆみを振返り、後世にその”あかし”を伝える為この石碑は昭和五十六年三月、運河橋のたもとに移された。
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