対馬・壱岐を歩く

- GPS
- --:--
- 距離
- ---km
- 登り
- ---m
- 下り
- ---m
コースタイム
- 山行
- 0:00
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 0:00
17日: 6:26三根(大橋旅館)-17:34厳原(金石館)
18日: 11:13芦辺港-16:39印通寺(ニュー長州)
天候 | 16,17日:晴 18日:一時雨 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2015年04月の天気図 |
アクセス |
対馬へは22:30博多発で4:20比田勝着の夜行フェリーで移動。 壱岐へは8:50厳原発で11:05芦辺着のフェリーで移動。 唐津へは6:50印通寺発で8:30唐津東着のフェリーで移動。 |
その他周辺情報 | 比田勝、佐須奈、仁田、三根、吉田、仁位と小さな集落はあるが食堂や食料品店は殆ど無い。豊玉町、美津島町に入ると商店街に近いものがある。 厳原はコンビニも飲食店も多数あり、対馬の中心地です。 |
写真
感想
対馬、壱岐旅行の最大の目的は対馬一の宮と壱岐一の宮の徒歩巡拝である。計画段階で折角、対馬・壱岐を歩くならば、かって日本人の祖先が朝鮮半島から渡来して古代邪馬台国の地へ辿り着いたルートに思いを馳せながら歩きたいと考えた。
そして比田勝から厳原まで縦断して壱岐に渡り、末盧国(現在の唐津)、伊都国(現在の糸島)、奴国(現在の福岡)と進む計画とした。
対馬を縦断すればたっぷり海を眺められると考えたのは浅はかであった。R382は対馬の背骨の如く島の中央部を走り、山深いとまでは言わないが結構な山中である。幾つもの峠やトンネルを越える徒歩旅にはちょっとハードなルートであった。
噂には聞いていたが、対馬は韓国の旅行客が大半である。島内にはハングルがいたるところで見受ける。歴史的には古くから日本の領土であるが、地図を見れば明らかなように明らかに朝鮮半島に近い。おそらく古くから半島内では戦いが多く対馬の支配まで手が届かなかったため、日本の支配下になったと思われる。
壱岐は麦焼酎発祥の地だけあって、それらの看板や醸造所が目立ちます。壱岐が他所と最も異なると感じたのは地名である。
**触(**ふれ)と言う地名が非常に多いことです。色々と由来が言われていますが、朝鮮語の「pol(村)」や古代日本語でも集落のことを「ぷれ」「ふれ」と言っていたことに関係がありそうです。
昔から対馬と壱岐は共に本土防衛上で重要な働きをしてきたことに感謝した旅でもある。
しかし、なぜ、対馬と壱岐の人は仲が悪いのでしょうか? 今回の旅では、そのように感じることは全くありませんでした。
壱岐・対馬に関する疑問が残ったまま、本土に帰りました。両島はなぜ、佐賀県でなく長崎県に編入されたのだろうか?
コメント
この記録に関連する登山ルート
この場所を通る登山ルートは、まだ登録されていません。
ルートを登録する
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する