埼玉県唯一の村、東秩父村に鎮座する大内神社。初めて平氏を賜った高望王の弟、恒望王の創建と伝わります。
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3/24 7:47
埼玉県唯一の村、東秩父村に鎮座する大内神社。初めて平氏を賜った高望王の弟、恒望王の創建と伝わります。
細かないきさつはこちらで。後に正善寺の金剛童子社が合祀されるも、神仏分離で再び戻された。しかし、その後も奥社として信仰されたそう。
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細かないきさつはこちらで。後に正善寺の金剛童子社が合祀されるも、神仏分離で再び戻された。しかし、その後も奥社として信仰されたそう。
石燈籠は「慶応二年寅十一月吉日(1866)」
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3/24 7:51
石燈籠は「慶応二年寅十一月吉日(1866)」
主祭神は天明玉命(アメノアカルタマノミコト)。右の境内社は金刀比羅宮。
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3/24 7:52
主祭神は天明玉命(アメノアカルタマノミコト)。右の境内社は金刀比羅宮。
本殿の彫刻、スサノウノミコト?
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3/24 7:56
本殿の彫刻、スサノウノミコト?
柱の昇り龍。降り龍
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3/24 7:56
柱の昇り龍。降り龍
青石の大黒天「大正十五年四月(1926)」、石工銘「真下七□」
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3/24 7:57
青石の大黒天「大正十五年四月(1926)」、石工銘「真下七□」
少し歩いた所に御嶽山の登拝碑。埼玉丸尾講の登拝に参加していたみたい。「東秩父御嶽大神例大祭十月三日」とあります。地元の方によれば、先の台風で社が倒壊してしまい、仕舞われたそうです。「建設者栗原晃一 石工真下菊芳」
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3/24 8:04
少し歩いた所に御嶽山の登拝碑。埼玉丸尾講の登拝に参加していたみたい。「東秩父御嶽大神例大祭十月三日」とあります。地元の方によれば、先の台風で社が倒壊してしまい、仕舞われたそうです。「建設者栗原晃一 石工真下菊芳」
社務所らしい建物が残っています、その傍らに倒壊した建物、トイレ跡などがあります。おそらくこの辺りには三座神の石塔もあったのかな?
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3/24 8:07
社務所らしい建物が残っています、その傍らに倒壊した建物、トイレ跡などがあります。おそらくこの辺りには三座神の石塔もあったのかな?
山の方に歩いて行くと「禁葷酒」、こちらが旧参道らしい。
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3/24 8:18
山の方に歩いて行くと「禁葷酒」、こちらが旧参道らしい。
曹洞宗 大澤山 高円寺
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3/24 8:20
曹洞宗 大澤山 高円寺
そして臨済宗妙心寺派 金剛山 正善寺です。
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3/24 8:23
そして臨済宗妙心寺派 金剛山 正善寺です。
あちらが大内神社の奥社的存在の金剛童子社(右)。
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3/24 8:24
あちらが大内神社の奥社的存在の金剛童子社(右)。
その手前の覆屋には天神様?でしょうか。
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3/24 8:24
その手前の覆屋には天神様?でしょうか。
正善寺の下方の杜に建屋が見えたので行ってみると山ノ神のお宮でした。明治二十七年の棟札に「奉再建」、平成二年の物には「大内神社宮司栗晃一 御嶽中教生野口守衛」と連名されていました。
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3/24 8:36
正善寺の下方の杜に建屋が見えたので行ってみると山ノ神のお宮でした。明治二十七年の棟札に「奉再建」、平成二年の物には「大内神社宮司栗晃一 御嶽中教生野口守衛」と連名されていました。
山ノ神が祀られている杜
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3/24 8:40
山ノ神が祀られている杜
こちらが本来の参道のようです。入口に御地蔵様。
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3/24 8:43
こちらが本来の参道のようです。入口に御地蔵様。
吉祥地蔵菩薩。やけに目元、口元がハッキリしています。向かいには水姫社の祠もあります。
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3/24 8:43
吉祥地蔵菩薩。やけに目元、口元がハッキリしています。向かいには水姫社の祠もあります。
花桃の里の順路に沿って歩くと、集会所の向かいに庚申塔「宝暦十一辛巳天三月吉日(1761)白石中」
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3/24 8:53
花桃の里の順路に沿って歩くと、集会所の向かいに庚申塔「宝暦十一辛巳天三月吉日(1761)白石中」
隣の覆屋には巳待供養塔。年号は判読困難「□□二壬□天十月吉日」ですが、
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3/24 8:56
隣の覆屋には巳待供養塔。年号は判読困難「□□二壬□天十月吉日」ですが、
「大内沢村講中二十一人」とあります。
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3/24 8:58
「大内沢村講中二十一人」とあります。
そしてその主尊は弁財天様。わずかに朱が残っています。
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3/24 8:59
そしてその主尊は弁財天様。わずかに朱が残っています。
ノーゼン公園、小さな公園がありました。
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3/24 9:03
ノーゼン公園、小さな公園がありました。
その谷筋から展望台峰を見上げる。
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3/24 9:04
その谷筋から展望台峰を見上げる。
残念ながらメダカはいませんでした。
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3/24 9:07
残念ながらメダカはいませんでした。
やらお堂がありました。中には「慈雲堂」の額と木造の地蔵尊などが安置、地蔵堂のようです。その傍らにその建立に関する石塔がありました。
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3/24 9:10
やらお堂がありました。中には「慈雲堂」の額と木造の地蔵尊などが安置、地蔵堂のようです。その傍らにその建立に関する石塔がありました。
「奉修造地蔵堂願王七尊供養塔 享保十四己酉天中春如意日(1729) 施主神田笑左衛門 同長左衛門」「奉再興地蔵堂 文化十四丁丑年中秋如意日(1817)願主恭壽」
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3/24 9:12
「奉修造地蔵堂願王七尊供養塔 享保十四己酉天中春如意日(1729) 施主神田笑左衛門 同長左衛門」「奉再興地蔵堂 文化十四丁丑年中秋如意日(1817)願主恭壽」
お堂の近くには倒壊した木祠と風化の進んだ三面の馬頭観音がありました。
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3/24 9:13
お堂の近くには倒壊した木祠と風化の進んだ三面の馬頭観音がありました。
花桃と展望台峰
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3/24 9:15
花桃と展望台峰
山際の道を辿ると浅間神社。獅子舞があるようです。
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3/24 9:22
山際の道を辿ると浅間神社。獅子舞があるようです。
モクレンと展望台峰、その向こうに笠山も見えます。
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3/24 9:28
モクレンと展望台峰、その向こうに笠山も見えます。
大通領神社。日本武尊が祀られているみたいです。
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3/24 9:32
大通領神社。日本武尊が祀られているみたいです。
お隣は成田山勧請の不動尊堂。石像が安置されているようですが、お顔までは拝見できませんでした。
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3/24 9:33
お隣は成田山勧請の不動尊堂。石像が安置されているようですが、お顔までは拝見できませんでした。
以前は荒神様と見立てましたが、三面の馬頭尊のようですね。「寛政六…十月吉日(1794)」
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3/24 9:43
以前は荒神様と見立てましたが、三面の馬頭尊のようですね。「寛政六…十月吉日(1794)」
折角ですのでこちらの御嶽大神にもご挨拶。以前お花見に来た時に偶然見つけました。今回はあっさりとご紹介。
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3/24 9:47
折角ですのでこちらの御嶽大神にもご挨拶。以前お花見に来た時に偶然見つけました。今回はあっさりとご紹介。
「(中)御嶽山大神(右)八海山大神(左)三笠山大神」(明治二十六年第九月吉日、1893)「大里郡樋春村樋春講 槻川村大字大内澤」「皆谷石工吉田鶴吉」
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3/24 9:48
「(中)御嶽山大神(右)八海山大神(左)三笠山大神」(明治二十六年第九月吉日、1893)「大里郡樋春村樋春講 槻川村大字大内澤」「皆谷石工吉田鶴吉」
「摩利支天」と覚明霊神碑
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3/24 9:48
「摩利支天」と覚明霊神碑
一心、普寛霊神碑もあります。
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3/24 9:52
一心、普寛霊神碑もあります。
諏訪神社に参拝した後は、車道登山で皇鈴山へ向かいました。
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3/24 9:58
諏訪神社に参拝した後は、車道登山で皇鈴山へ向かいました。
別荘地にある馬頭観世音「文化十四丁丑年八月吉祥日(1817)武州秩父郡大内澤村」道標銘もありました。「右 のかみ 左 大宮 たの」
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3/24 10:24
別荘地にある馬頭観世音「文化十四丁丑年八月吉祥日(1817)武州秩父郡大内澤村」道標銘もありました。「右 のかみ 左 大宮 たの」
新しく整備されてからは初めてです。
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3/24 10:45
新しく整備されてからは初めてです。
旧来の山頂風景。山名板と東屋に句碑、木祠が並んでいます。
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3/24 10:47
旧来の山頂風景。山名板と東屋に句碑、木祠が並んでいます。
皇鈴山679m、以前の七峰ハイキング(記念大会)以来かな。
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3/24 10:48
皇鈴山679m、以前の七峰ハイキング(記念大会)以来かな。
霞んでいますが、和名倉〜雁坂、破風、木賊、甲武信、三宝山、
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3/24 10:51
霞んでいますが、和名倉〜雁坂、破風、木賊、甲武信、三宝山、
さらに両神、毘沙門、小鹿野二子山まで見えます。
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3/24 10:51
さらに両神、毘沙門、小鹿野二子山まで見えます。
お気に入りの山並みを眺めながら休憩にしました。
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3/24 10:54
お気に入りの山並みを眺めながら休憩にしました。
眼下には花桃の里が一望できますが、なんだかお花が寂しいような感じです。
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3/24 11:04
眼下には花桃の里が一望できますが、なんだかお花が寂しいような感じです。
虎山の千本桜あたりもまだ全然のようです。
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3/24 11:04
虎山の千本桜あたりもまだ全然のようです。
皇鈴山からの下山はバリも覚悟していましたが、何と道標まである旧ハイキング道のようでした。
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3/24 11:09
皇鈴山からの下山はバリも覚悟していましたが、何と道標まである旧ハイキング道のようでした。
使い物にならない木階段もありました。
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3/24 11:16
使い物にならない木階段もありました。
旧ハイキング道から分かれて尾根筋を進みました。463峰には特に何もなし。
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3/24 11:32
旧ハイキング道から分かれて尾根筋を進みました。463峰には特に何もなし。
ここで旧道に復帰。所々ベンチも残っていました。
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3/24 11:38
ここで旧道に復帰。所々ベンチも残っていました。
こちらに出ました。小奇麗な東屋がありました。
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3/24 11:43
こちらに出ました。小奇麗な東屋がありました。
置物のようがキジさん。
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3/24 11:48
置物のようがキジさん。
何桜でしょうか?
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3/24 11:50
何桜でしょうか?
ここにも立派な馬頭観世音「文政三庚辰歳三月吉日(1820)當所講中」
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3/24 11:56
ここにも立派な馬頭観世音「文政三庚辰歳三月吉日(1820)當所講中」
その向かいの道を行くと303峰、
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3/24 11:57
その向かいの道を行くと303峰、
愛宕神社がありました。
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3/24 11:59
愛宕神社がありました。
お隣には「大山祇大神 高島鳥大神 大正十年正月十七日(1921)根岸彦次郎 仝亀太郎建」と
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3/24 12:01
お隣には「大山祇大神 高島鳥大神 大正十年正月十七日(1921)根岸彦次郎 仝亀太郎建」と
織姫大神「大正十年三月 信徒二十六人」
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3/24 12:01
織姫大神「大正十年三月 信徒二十六人」
堂平より皇鈴山を望む。集落の中央に赤い屋根のお堂が見えました。
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3/24 12:05
堂平より皇鈴山を望む。集落の中央に赤い屋根のお堂が見えました。
堂内には石造の如意輪観音と地蔵尊。
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3/24 12:10
堂内には石造の如意輪観音と地蔵尊。
愛宕社の杜はみかん山の上にあります。
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3/24 12:12
愛宕社の杜はみかん山の上にあります。
大内神社に直下する道は荒れ気味でした。
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3/24 12:20
大内神社に直下する道は荒れ気味でした。
帰ってきました。
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3/24 12:24
帰ってきました。
交通安全地蔵尊。昭和38年、当地で連続して死亡事故が起き、それを憂いた駐在さんが彫った地蔵尊が安置されています。
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3/24 12:32
交通安全地蔵尊。昭和38年、当地で連続して死亡事故が起き、それを憂いた駐在さんが彫った地蔵尊が安置されています。
本当に久しぶりにタイミングがあった『ラジュモハン』、キッチンカーでの出店をメインにしているのか、営業を縮小しているようです。
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3/24 12:51
本当に久しぶりにタイミングがあった『ラジュモハン』、キッチンカーでの出店をメインにしているのか、営業を縮小しているようです。
カレーの種類もチキン、キーマ、スペシャルの3種のみ。マトンや以前この季節に食べたのらぼう菜のカレーもなくなっていました。
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3/24 12:54
カレーの種類もチキン、キーマ、スペシャルの3種のみ。マトンや以前この季節に食べたのらぼう菜のカレーもなくなっていました。
チキンカレーセット(1045円)
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3/24 13:04
チキンカレーセット(1045円)
ホットチャイ。こちらのイベントに出店するそうです。この後は秩父の恒持神社へ向かいます。
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3/24 13:13
ホットチャイ。こちらのイベントに出店するそうです。この後は秩父の恒持神社へ向かいます。
恒望王の話も伝承の域を出ませんが、それにちなんだ地名や信仰が現在まで引き継がれているということには歴史のロマンを感じますね。八王子丘陵にも親王宮があったんですね。まだしっかり歩いたことがないので、その節はお訪ねしたいと思います。
お巡りさんの御地蔵さんは、その話を聞いた地域の方々が浄財を出し合ってお堂を建てたようです。ホント昭和なエピソードです。 それからあの外食自粛は本当に飲食業界に多大な影響を与えましたね。営業してくれているだけでも儲けものです。それでは。 godohan
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