岐阜駅始発の西鏡島行きのバスに乗る
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3/27 6:09
岐阜駅始発の西鏡島行きのバスに乗る
バスの天井は御殿の天井を模したものだろうか
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3/27 6:14
バスの天井は御殿の天井を模したものだろうか
河渡橋で長良川を渡る
長良川は平成6年に河口堰ができるまで本流に堰の無い河川だった
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3/27 6:34
河渡橋で長良川を渡る
長良川は平成6年に河口堰ができるまで本流に堰の無い河川だった
橋の下流側が河渡の渡跡
遠く鉄塔の向こうに雪の残る伊吹山が見える
伊吹山の向こう側は琵琶湖、京が近くなってきた
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橋の下流側が河渡の渡跡
遠く鉄塔の向こうに雪の残る伊吹山が見える
伊吹山の向こう側は琵琶湖、京が近くなってきた
橋を渡り右岸側の土手を下流に歩くと馬頭観音、このあたりが河渡の渡跡だ
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3/27 6:43
橋を渡り右岸側の土手を下流に歩くと馬頭観音、このあたりが河渡の渡跡だ
【54 河渡宿着 】
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【54 河渡宿着 】
河渡の一里塚跡 江戸日本橋より百七里目
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河渡の一里塚跡 江戸日本橋より百七里目
馬場の追分と地蔵堂
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3/27 7:23
馬場の追分と地蔵堂
本田(ほんでん)地蔵堂、地蔵堂が多いのは川の渡しと関係があるのだろうか?
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本田(ほんでん)地蔵堂、地蔵堂が多いのは川の渡しと関係があるのだろうか?
本田仲町の秋葉神社 このあたりの秋葉神社門扉があるのが特徴
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本田仲町の秋葉神社 このあたりの秋葉神社門扉があるのが特徴
本田代官所跡 解説版がある
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本田代官所跡 解説版がある
高札場跡 解説版だけある
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3/27 7:37
高札場跡 解説版だけある
正面に伊吹山を見ながら進む。五六川は美江寺が日本橋を含め56番目の宿だったことからなずけられたそうだ。 この川を渡ると美江寺
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3/27 7:44
正面に伊吹山を見ながら進む。五六川は美江寺が日本橋を含め56番目の宿だったことからなずけられたそうだ。 この川を渡ると美江寺
【55 美江寺着】
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3/27 7:58
【55 美江寺着】
美江寺一里塚跡 江戸日本橋より百八里目
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美江寺一里塚跡 江戸日本橋より百八里目
美江神社 境内に高札場が復元されている
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3/27 8:14
美江神社 境内に高札場が復元されている
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旧庄屋和田家
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3/27 8:14
旧庄屋和田家
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美江寺宿本陣跡 石柱のみ
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3/27 8:18
美江寺宿本陣跡 石柱のみ
西枡形 美江寺宿の京(西)口 大垣道追分
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西枡形 美江寺宿の京(西)口 大垣道追分
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美江寺観音堂
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美江寺観音堂
浄土宗西山派 千躰寺
小さな観音像が千体納められている
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3/27 8:27
浄土宗西山派 千躰寺
小さな観音像が千体納められている
緩やかに蛇行する犀川下流
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3/27 8:30
緩やかに蛇行する犀川下流
神明神社 桜が咲き始めた
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3/27 8:32
神明神社 桜が咲き始めた
新月橋から犀川上流を望む
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3/27 8:41
新月橋から犀川上流を望む
大月浄水場公園内の遊歩道から長護寺橋で長護寺川を渡る。上流には伊吹山
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3/27 9:05
大月浄水場公園内の遊歩道から長護寺橋で長護寺川を渡る。上流には伊吹山
菜の花で黄色に染まった土手から伊吹山が顔を出す
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3/27 9:14
菜の花で黄色に染まった土手から伊吹山が顔を出す
揖斐川を鷺田橋で渡る
揖斐川・木曽川・長良川が木曽三川
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3/27 9:23
揖斐川を鷺田橋で渡る
揖斐川・木曽川・長良川が木曽三川
浄土宗浄住山即心院
入口に地蔵堂があるが本堂はこの奥にあるようだが入りずらい
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3/27 9:35
浄土宗浄住山即心院
入口に地蔵堂があるが本堂はこの奥にあるようだが入りずらい
呂久川の渡しで舟年寄りを務めた馬淵家の長屋門
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3/27 9:37
呂久川の渡しで舟年寄りを務めた馬淵家の長屋門
呂久川の渡跡
呂久川は河川改修で揖斐川となった
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3/27 9:45
呂久川の渡跡
呂久川は河川改修で揖斐川となった
ガードレールのある所が豊後川(旧呂久川)
瑞穂市と安八郡(あんぱちぐん)神戸(ごうど)町境
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3/27 9:48
ガードレールのある所が豊後川(旧呂久川)
瑞穂市と安八郡(あんぱちぐん)神戸(ごうど)町境
神明神社と神戸町標柱
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3/27 9:49
神明神社と神戸町標柱
地蔵堂を見ながら橋を渡る
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3/27 9:53
地蔵堂を見ながら橋を渡る
柳瀬の一里塚跡 江戸日本橋より百九里目
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3/27 10:03
柳瀬の一里塚跡 江戸日本橋より百九里目
左の土手が大垣輪中の土手
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3/27 10:07
左の土手が大垣輪中の土手
赤花町分岐 右手の土手に守られた大垣輪中
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3/27 10:16
赤花町分岐 右手の土手に守られた大垣輪中
薬師堂
弘法大師が爪で彫った「弘法大師爪彫薬師如来像」の碑があるが御堂がだいぶ傷んでいる
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3/27 10:30
薬師堂
弘法大師が爪で彫った「弘法大師爪彫薬師如来像」の碑があるが御堂がだいぶ傷んでいる
集落ごとに必須の秋葉神社
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3/27 10:32
集落ごとに必須の秋葉神社
道標を兼ねた聖観世音菩薩像
像には「右ぜんこうじ道 左谷汲山 ごうど いび近道」と刻まれている
西国三十三観音霊場の満願寺谷汲山華厳寺はここより南に約四里
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3/27 10:41
道標を兼ねた聖観世音菩薩像
像には「右ぜんこうじ道 左谷汲山 ごうど いび近道」と刻まれている
西国三十三観音霊場の満願寺谷汲山華厳寺はここより南に約四里
道標を兼ねた加納薬師如来
薬師如来像には「左かのふ村 やくし」と刻まれている
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3/27 10:56
道標を兼ねた加納薬師如来
薬師如来像には「左かのふ村 やくし」と刻まれている
近鉄養老線東赤坂駅
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3/27 10:59
近鉄養老線東赤坂駅
村社 白山神社 (大垣市 枝郷)
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3/27 11:09
村社 白山神社 (大垣市 枝郷)
池尻の一里塚(青木の一里塚・枝郷の一里塚) 江戸日本橋より百十里目
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3/27 11:12
池尻の一里塚(青木の一里塚・枝郷の一里塚) 江戸日本橋より百十里目
美濃路追分 道標には「左なかせんどう 右おおがきみち」
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3/27 11:22
美濃路追分 道標には「左なかせんどう 右おおがきみち」
【56 赤坂宿着】
源氏ボタルのいる杭瀬川にかかる赤坂大橋は架け替え中
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3/27 11:23
【56 赤坂宿着】
源氏ボタルのいる杭瀬川にかかる赤坂大橋は架け替え中
赤坂宿御使者場跡
参勤交代の大名が通る時、宿役人や名主が送迎した赤坂宿の江戸側入口
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3/27 11:28
赤坂宿御使者場跡
参勤交代の大名が通る時、宿役人や名主が送迎した赤坂宿の江戸側入口
白い建物は、赤坂港会館は明治八年(1875)に中山道と谷汲街道の分岐点に建てられた警察屯所を復元
常夜燈の下に赤坂港跡が復元されている
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3/27 11:28
白い建物は、赤坂港会館は明治八年(1875)に中山道と谷汲街道の分岐点に建てられた警察屯所を復元
常夜燈の下に赤坂港跡が復元されている
赤坂港跡が復元
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3/27 11:29
赤坂港跡が復元
浅間神社は赤坂港の守護神
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3/27 11:31
浅間神社は赤坂港の守護神
街中にお昼を食べるところがないので杭瀬川沿いに北へ500m程歩き
昼食、福一ラーメンで昼食 ランチメニュー(台湾ラーメン+麻婆豆腐 750円)台湾ラーメン系のお店は安い
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3/27 11:47
街中にお昼を食べるところがないので杭瀬川沿いに北へ500m程歩き
昼食、福一ラーメンで昼食 ランチメニュー(台湾ラーメン+麻婆豆腐 750円)台湾ラーメン系のお店は安い
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3/27 12:24
西濃鉄道市橋線 赤坂本町駅跡
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3/27 12:26
西濃鉄道市橋線 赤坂本町駅跡
踏切の無い鉄路を横断しなければ入れない茶舗
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3/27 12:27
踏切の無い鉄路を横断しなければ入れない茶舗
本陣跡は工事中
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3/27 12:28
本陣跡は工事中
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3/27 12:30
四辻から北へ西国33番霊場(満願)谷汲山華厳寺への「たにくみ道道標」
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3/27 12:32
四辻から北へ西国33番霊場(満願)谷汲山華厳寺への「たにくみ道道標」
南へは伊勢へ通じる「養老街道」
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3/27 12:33
南へは伊勢へ通じる「養老街道」
本陣を勤めた矢橋家住宅、天保四年(1833)建築、国登録有形文化財
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3/27 12:34
本陣を勤めた矢橋家住宅、天保四年(1833)建築、国登録有形文化財
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3/27 12:34
脇本陣跡 脇本陣跡を示す標柱と古い解説版がある
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3/27 12:35
脇本陣跡 脇本陣跡を示す標柱と古い解説版がある
お嫁入り普請探訪館 休館
皇女和宮通行に際して、見栄えを良くする為に表側だけが二階建にした。幕府より借金をし改装したが、明治維新により返さなくてよくなった
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3/27 12:36
お嫁入り普請探訪館 休館
皇女和宮通行に際して、見栄えを良くする為に表側だけが二階建にした。幕府より借金をし改装したが、明治維新により返さなくてよくなった
史跡赤坂宿御使者場跡 赤坂宿の京(西)口で
参勤の大名や公家通行の際、宿役人や名主が送迎を行った所
石段の上に兜塚
関ケ原の合戦の前の戦いで戦死した東軍中村隊の武将野一色頼母をここに葬り、その鎧兜を埋めた
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3/27 12:44
史跡赤坂宿御使者場跡 赤坂宿の京(西)口で
参勤の大名や公家通行の際、宿役人や名主が送迎を行った所
石段の上に兜塚
関ケ原の合戦の前の戦いで戦死した東軍中村隊の武将野一色頼母をここに葬り、その鎧兜を埋めた
昼飯大塚古墳
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3/27 12:52
昼飯大塚古墳
長さ150mで岐阜県下最大の前方後円墳(国史跡)
古墳の上に登ると伊吹山が良く見える
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3/27 12:54
長さ150mで岐阜県下最大の前方後円墳(国史跡)
古墳の上に登ると伊吹山が良く見える
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3/27 12:59
浄土宗 花岡山阿弥陀院如来寺
善光寺分身如来と呼ばれ、昼飯善光寺とも呼ばれている
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3/27 13:03
浄土宗 花岡山阿弥陀院如来寺
善光寺分身如来と呼ばれ、昼飯善光寺とも呼ばれている
昼飯街の謂れ「善行寺如来を運ぶ人たちがここで昼飯を食べた、”ひるめし”では品がないので”ひるい”にした」
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3/27 13:04
昼飯街の謂れ「善行寺如来を運ぶ人たちがここで昼飯を食べた、”ひるめし”では品がないので”ひるい”にした」
中山道青墓宿標柱 中世東山道時代ここに青墓宿があった
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3/27 13:20
中山道青墓宿標柱 中世東山道時代ここに青墓宿があった
国分寺道標「国分寺道」「薬師如来御寶前」
中山道は真っ直ぐだが、右に曲がった所にが見られる寺がるというので寄ってみる
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3/27 13:56
国分寺道標「国分寺道」「薬師如来御寶前」
中山道は真っ直ぐだが、右に曲がった所にが見られる寺がるというので寄ってみる
浄土宗本願寺派 法雲山教覚寺
鐘楼の石垣にフズリナの化石
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3/27 13:58
浄土宗本願寺派 法雲山教覚寺
鐘楼の石垣にフズリナの化石
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青野ケ原の一里塚跡 江戸日本橋より百十一里目
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3/27 14:02
青野ケ原の一里塚跡 江戸日本橋より百十一里目
平尾御坊道道標と地蔵堂
お地蔵さんは立ち姿と座ったものの2体
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3/27 14:12
平尾御坊道道標と地蔵堂
お地蔵さんは立ち姿と座ったものの2体
喜久一九稲荷神社
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3/27 14:32
喜久一九稲荷神社
美濃路追分 「是より 右東海道大垣みち 左木曽海道たにぐみみち」
美濃路は東海道の伊勢湾東の宮宿に至る
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3/27 14:35
美濃路追分 「是より 右東海道大垣みち 左木曽海道たにぐみみち」
美濃路は東海道の伊勢湾東の宮宿に至る
【57 垂井宿着】
相川橋から上流 奥に伊吹山
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3/27 14:37
【57 垂井宿着】
相川橋から上流 奥に伊吹山
垂井町のマンホール
垂井町内を流れる相川上空の鯉のぼりと雪が残る伊吹山、堤防のソメイヨシノをデザイン
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3/27 14:17
垂井町のマンホール
垂井町内を流れる相川上空の鯉のぼりと雪が残る伊吹山、堤防のソメイヨシノをデザイン
東の見附跡 相川の人足渡し跡
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3/27 14:38
東の見附跡 相川の人足渡し跡
垂井宿の街並みと桝形
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3/27 14:38
垂井宿の街並みと桝形
旅籠亀丸屋
安永六年(1777)に建てられ、今も営業している
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3/27 14:43
旅籠亀丸屋
安永六年(1777)に建てられ、今も営業している
垂井宿本陣跡 解説版のみ
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3/27 14:46
垂井宿本陣跡 解説版のみ
南宮神社の大鳥居
南宮神社は美濃國一宮、主祭神は金山彦命で全国の鉱山、金属業の総本宮
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3/27 14:47
南宮神社の大鳥居
南宮神社は美濃國一宮、主祭神は金山彦命で全国の鉱山、金属業の総本宮
旧旅籠長浜屋は現在、垂井宿お休み処
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3/27 14:50
旧旅籠長浜屋は現在、垂井宿お休み処
趣きある大衆食堂跡
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3/27 14:50
趣きある大衆食堂跡
小林家住宅(油屋卯吉家跡)
幕末の建築、油商を営み、明治以降は旅人宿亀屋
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3/27 14:53
小林家住宅(油屋卯吉家跡)
幕末の建築、油商を営み、明治以降は旅人宿亀屋
浄土真宗大谷派東光山本龍寺
門前に明治天皇垂井御小休所碑、奥に高札場復元がある
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3/27 14:54
浄土真宗大谷派東光山本龍寺
門前に明治天皇垂井御小休所碑、奥に高札場復元がある
垂井宿西見付跡 火防の神愛宕神社が祀られている
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3/27 14:57
垂井宿西見付跡 火防の神愛宕神社が祀られている
垂井の一里塚 江戸日本橋より数えて百十二里目 15:14 河渡橋から24.1km
垂井の一里塚の並びに日守の茶所
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3/27 15:14
垂井の一里塚 江戸日本橋より数えて百十二里目 15:14 河渡橋から24.1km
垂井の一里塚の並びに日守の茶所
関ケ原町(野上)へ入る
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3/27 15:21
関ケ原町(野上)へ入る
伊富岐(いぶき)神社(式内社)の鳥居
伊富岐(伊吹)山麓の豪族伊福氏の祖神を祀っており、美濃二の宮
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3/27 15:28
伊富岐(いぶき)神社(式内社)の鳥居
伊富岐(伊吹)山麓の豪族伊福氏の祖神を祀っており、美濃二の宮
野上七つ井戸
実際に水が汲めるが、その筋のお達しによりか?飲まないで下さいとのこと
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3/27 15:32
野上七つ井戸
実際に水が汲めるが、その筋のお達しによりか?飲まないで下さいとのこと
関ケ原町のマンホールは町の花・ウメ、町の木・スギ、関ヶ原の合戦のイメージの兜のデザイン
真ん中の町章も凝ったデザインで
「関ケ原町の"セ"を図案化、古戦場で有名な町のシンボルを(兜)でかたどりインターチェンジ、伊吹山ドライブウエイ等の意を含めて観光地を表現している」
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3/27 15:37
関ケ原町のマンホールは町の花・ウメ、町の木・スギ、関ヶ原の合戦のイメージの兜のデザイン
真ん中の町章も凝ったデザインで
「関ケ原町の"セ"を図案化、古戦場で有名な町のシンボルを(兜)でかたどりインターチェンジ、伊吹山ドライブウエイ等の意を含めて観光地を表現している」
松並木は天然記念物
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3/27 15:41
松並木は天然記念物
六部地蔵
宝暦十一年(1761)この地で亡くなった諸国行脚の六部を供養したもの
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3/27 15:45
六部地蔵
宝暦十一年(1761)この地で亡くなった諸国行脚の六部を供養したもの
桃配山 徳川家康最初陣地
「壬申の乱の時、大海人皇子(後の天武天皇)が陣を構え、兵士に山桃を配り戦いに勝利したとの故事からここを”桃配山”と言われた。この故事から徳川家康は関ケ原の合戦の時、最初に本陣を構えた」
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3/27 15:49
桃配山 徳川家康最初陣地
「壬申の乱の時、大海人皇子(後の天武天皇)が陣を構え、兵士に山桃を配り戦いに勝利したとの故事からここを”桃配山”と言われた。この故事から徳川家康は関ケ原の合戦の時、最初に本陣を構えた」
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雰囲気のある馬頭観音
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3/27 16:00
雰囲気のある馬頭観音
【58 関ケ原宿着 】
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3/27 16:03
【58 関ケ原宿着 】
若宮八幡神社
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若宮八幡神社
関ケ原の一里塚 日本橋より113里目 がこのあたり
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関ケ原の一里塚 日本橋より113里目 がこのあたり
関ケ原駅より今宵の宿、大垣へ向かう
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関ケ原駅より今宵の宿、大垣へ向かう
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