01釣り公園駐車場
千町川(せんちょうがわ)沿いに釣り公園があり、そこの駐車場に自動車を停めました。(写真貼り付け位置は撮影場所の橋の上です。)この時季はヘラブナの釣りスポットのようですが、ある動物が泳いでいました…<写真02>へ
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01釣り公園駐車場
千町川(せんちょうがわ)沿いに釣り公園があり、そこの駐車場に自動車を停めました。(写真貼り付け位置は撮影場所の橋の上です。)この時季はヘラブナの釣りスポットのようですが、ある動物が泳いでいました…<写真02>へ
02千町川のヌートリア
千町川を横切るようにして、1匹のヌートリアが遊泳していました。とても泳ぎ上手で表情がカピバラチックで、山行前に癒されました。
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02千町川のヌートリア
千町川を横切るようにして、1匹のヌートリアが遊泳していました。とても泳ぎ上手で表情がカピバラチックで、山行前に癒されました。
03大雄山登山口!?
最初の分岐で大雄山方面は東方面(向かって左)を指していました。どうもこれは自動車のための道標(?)のようで、矢印とは逆に少し西に進むと…<写真04>へ
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03大雄山登山口!?
最初の分岐で大雄山方面は東方面(向かって左)を指していました。どうもこれは自動車のための道標(?)のようで、矢印とは逆に少し西に進むと…<写真04>へ
04大雄山本当の登山口
歩いて上る登山口で「猫の鼻登山口」と書いてありました。コースタイムや距離も表記されています。ちなみに、猫の鼻は大雄山への尾根途中にあり、麓からだと猫の鼻のように突き出て見えるそうです。
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04大雄山本当の登山口
歩いて上る登山口で「猫の鼻登山口」と書いてありました。コースタイムや距離も表記されています。ちなみに、猫の鼻は大雄山への尾根途中にあり、麓からだと猫の鼻のように突き出て見えるそうです。
05四合目台景観
低山なので、すぐに四合目に着きました。ちょっとした展望地となっており、瀬戸内市邑久町の田園風景が広がっているのが見えました。周辺にいくつか石が露出し、少しこんもりしているので、この辺りが猫の端(はな)古墳(現名称は豊原東山1号墳)なのかもしれません。
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05四合目台景観
低山なので、すぐに四合目に着きました。ちょっとした展望地となっており、瀬戸内市邑久町の田園風景が広がっているのが見えました。周辺にいくつか石が露出し、少しこんもりしているので、この辺りが猫の端(はな)古墳(現名称は豊原東山1号墳)なのかもしれません。
06馬のせ
「馬のせ」という看板が掲げられていました。“せ”がひらがなで書かれているのが気になりましたが、“乗せ”と“の背”をかけているのでしょうか。この少し手前には「馬の背」と書かれたのがありました。飛び石状に石が埋まっているのが見えます。
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06馬のせ
「馬のせ」という看板が掲げられていました。“せ”がひらがなで書かれているのが気になりましたが、“乗せ”と“の背”をかけているのでしょうか。この少し手前には「馬の背」と書かれたのがありました。飛び石状に石が埋まっているのが見えます。
07飛馬石(ヒューマストーン)看板
道から少し東に逸れる踏み跡に入ると、「馬は熊山より飛来した。村人の信頼厚く昇天後“飛馬石”と呼ばれこの地に祀る」と書かれていました。神社に奉納された神馬なのか、農耕馬なのか、宇喜多家の軍馬なのか詳細は不明です。さて、肝心の飛馬石は…<写真08>へ
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07飛馬石(ヒューマストーン)看板
道から少し東に逸れる踏み跡に入ると、「馬は熊山より飛来した。村人の信頼厚く昇天後“飛馬石”と呼ばれこの地に祀る」と書かれていました。神社に奉納された神馬なのか、農耕馬なのか、宇喜多家の軍馬なのか詳細は不明です。さて、肝心の飛馬石は…<写真08>へ
08飛馬石
うーん、馬が飛んでいる!?ということにしましょう(*_*;
周辺にはしめ縄のようなものが張られていたので、これらは意図的に配置されたものかもしれません。
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08飛馬石
うーん、馬が飛んでいる!?ということにしましょう(*_*;
周辺にはしめ縄のようなものが張られていたので、これらは意図的に配置されたものかもしれません。
09飛馬石の謎の祠
飛馬石の近くにあった、謎の祠が気になりました。看板もなく、何も書いてありませんので、謎のままで終わりました。馬を祀ったものでしょうか。
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09飛馬石の謎の祠
飛馬石の近くにあった、謎の祠が気になりました。看板もなく、何も書いてありませんので、謎のままで終わりました。馬を祀ったものでしょうか。
10大雄山頂上展望台
標高わずか175mの頂上でフラットな地形です。地形図の地点よりも少し北にありました。中央に映った自分の影を見て「足、長っ!」と、優越感に浸るひと時を過ごしました(^^♪
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10大雄山頂上展望台
標高わずか175mの頂上でフラットな地形です。地形図の地点よりも少し北にありました。中央に映った自分の影を見て「足、長っ!」と、優越感に浸るひと時を過ごしました(^^♪
11大雄山頂上展望台より芥子山
備前富士と呼ばれるだけあって、このアングルから見ると、確かに富士山のように見えなくもありません。条件がよければ大山まで見えるそうです。
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11大雄山頂上展望台より芥子山
備前富士と呼ばれるだけあって、このアングルから見ると、確かに富士山のように見えなくもありません。条件がよければ大山まで見えるそうです。
12大雄山御旅所の地蔵尊
毎年4月29日に行われる大智明権現(だいちみょうごんげん)<写真20>の権現祭では、各地区のだんじりがしゃぎり(お囃子)に合わせて大賀島寺(おおがしまじ)<写真15>とここの間を往復します。入口には緩やかな舗装スロープがあり、だんじりを曳いて上るには便利です。
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12大雄山御旅所の地蔵尊
毎年4月29日に行われる大智明権現(だいちみょうごんげん)<写真20>の権現祭では、各地区のだんじりがしゃぎり(お囃子)に合わせて大賀島寺(おおがしまじ)<写真15>とここの間を往復します。入口には緩やかな舗装スロープがあり、だんじりを曳いて上るには便利です。
13宇喜多一門供養之塔
大賀島寺(おおがしまじ)は、和泉守であった宇喜多能家が住んでいた砥石城の近くにあったため、宇喜多家の菩提寺となりました。そのため、宇喜多一門の墓碑をここに集めて祀っています。
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13宇喜多一門供養之塔
大賀島寺(おおがしまじ)は、和泉守であった宇喜多能家が住んでいた砥石城の近くにあったため、宇喜多家の菩提寺となりました。そのため、宇喜多一門の墓碑をここに集めて祀っています。
14ツバキ
多くが落花していました。サザンカが花弁をバラバラに落とすのに対し、ツバキは花の形を保ったまま落ちます。首が落ちるので宇喜多氏のような武将にとってはあまり縁起がよくないように思えますが、菩提寺である大賀島寺本堂の脇で一生懸命咲いていました。
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14ツバキ
多くが落花していました。サザンカが花弁をバラバラに落とすのに対し、ツバキは花の形を保ったまま落ちます。首が落ちるので宇喜多氏のような武将にとってはあまり縁起がよくないように思えますが、菩提寺である大賀島寺本堂の脇で一生懸命咲いていました。
15大賀島寺本堂
大賀島寺(おおがしまじ)本堂は、奈良時代前期、聖武天皇の時代に開創されたと伝えられています。瀬戸内市指定重要文化財に指定されており、岡山県下では最大級の規模をもつ本堂です。
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15大賀島寺本堂
大賀島寺(おおがしまじ)本堂は、奈良時代前期、聖武天皇の時代に開創されたと伝えられています。瀬戸内市指定重要文化財に指定されており、岡山県下では最大級の規模をもつ本堂です。
16大賀島寺本堂鬼瓦1
鬼瓦のルーツはパルミラ(シリア)にあるそうです。入口の上にメドゥーサを厄除けとして設置していた文化がシルクロード経由で中国に伝来し、日本では奈良時代に唐文化を積極的に取り入れはじめた頃、急速に普及したようです。
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16大賀島寺本堂鬼瓦1
鬼瓦のルーツはパルミラ(シリア)にあるそうです。入口の上にメドゥーサを厄除けとして設置していた文化がシルクロード経由で中国に伝来し、日本では奈良時代に唐文化を積極的に取り入れはじめた頃、急速に普及したようです。
17大賀島寺本堂鬼瓦2
鬼瓦は屋根の大棟の両端に設置されているのが通常ですが、軒先にもありました。しかも大棟に設置されているものよりも恐ろしい形相です。
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17大賀島寺本堂鬼瓦2
鬼瓦は屋根の大棟の両端に設置されているのが通常ですが、軒先にもありました。しかも大棟に設置されているものよりも恐ろしい形相です。
18向拝正面の頭貫と木鼻
木鼻とは、木端ともあらわされる様に「木の端」を意味しています。複数の縦柱を横に貫いている頭貫(かしらぬき)という柱や虹梁(こうりょう)等の端の突き出た部分で、彫刻が施されていることが多いようです。これは竜の頭部でしょう。
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18向拝正面の頭貫と木鼻
木鼻とは、木端ともあらわされる様に「木の端」を意味しています。複数の縦柱を横に貫いている頭貫(かしらぬき)という柱や虹梁(こうりょう)等の端の突き出た部分で、彫刻が施されていることが多いようです。これは竜の頭部でしょう。
19昇り龍&降り龍?
本堂の軒下に立派な龍の彫刻が施されていました。昇り龍、降り龍でしょうか?強運・厄除けの龍として思わず拝んでしまいました。
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19昇り龍&降り龍?
本堂の軒下に立派な龍の彫刻が施されていました。昇り龍、降り龍でしょうか?強運・厄除けの龍として思わず拝んでしまいました。
20大智明権現鳥居
大賀島寺(おおがしまじ)境内脇には大智明権現(だいちみょうごんげん)があり、神仏習合の形態をとっています。
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20大智明権現鳥居
大賀島寺(おおがしまじ)境内脇には大智明権現(だいちみょうごんげん)があり、神仏習合の形態をとっています。
21大智明権現紅葉
神社の鳥居をくぐるとすぐにトウカエデ?の紅葉が見られました。まさかの紅葉にびっくりです。
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21大智明権現紅葉
神社の鳥居をくぐるとすぐにトウカエデ?の紅葉が見られました。まさかの紅葉にびっくりです。
22大智明権現堂
大智明権現(だいちみょうごんげん)は、大山の山岳信仰と修験道が融合した神仏習合の神であり、地蔵菩薩を本地仏とします。神仏分離・廃仏毀釈(きしゃく)が行われる以前は、伯耆国角磐山大山寺から勧請されて全国の智明権現社で祀られました。
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22大智明権現堂
大智明権現(だいちみょうごんげん)は、大山の山岳信仰と修験道が融合した神仏習合の神であり、地蔵菩薩を本地仏とします。神仏分離・廃仏毀釈(きしゃく)が行われる以前は、伯耆国角磐山大山寺から勧請されて全国の智明権現社で祀られました。
23大智明権現本殿
神仏習合を廃して神仏分離を押し進める廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)が江戸時代の池田光政の治世や明治時代に進められましたが、ここは何とか残りました。
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23大智明権現本殿
神仏習合を廃して神仏分離を押し進める廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)が江戸時代の池田光政の治世や明治時代に進められましたが、ここは何とか残りました。
24大山寺縁の牛の守護神?
神馬舎の側に同じような建物があり、中をのぞくとこうなっていました。神牛舎とでもいうのでしょうか。天神社には牛の像が多いそうですが、こちらは大山寺(だいせんじ)縁の牛?牛の霊を慰めるための像ではなく、神格化されたもののようです。
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24大山寺縁の牛の守護神?
神馬舎の側に同じような建物があり、中をのぞくとこうなっていました。神牛舎とでもいうのでしょうか。天神社には牛の像が多いそうですが、こちらは大山寺(だいせんじ)縁の牛?牛の霊を慰めるための像ではなく、神格化されたもののようです。
25小豆島展望
一瞬、大きな山が見えると思ったら、小豆島でした。すぐ北側の塔がある少しこんもりしたところに上がると、木々が邪魔でかえってよく見えませんでした。古墳を見に行こうと思い、ここからいったん舗装道路に出てさらに南下しました。
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25小豆島展望
一瞬、大きな山が見えると思ったら、小豆島でした。すぐ北側の塔がある少しこんもりしたところに上がると、木々が邪魔でかえってよく見えませんでした。古墳を見に行こうと思い、ここからいったん舗装道路に出てさらに南下しました。
26アオキの実
ミズキ科の常緑低木で庭木にもよく利用されます。雌雄異株で、実がなるのは雌株だけです。果肉には発芽を抑制する物質が含まれており、種が熟してから野鳥などに食べて運んでもらう必要があります。
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26アオキの実
ミズキ科の常緑低木で庭木にもよく利用されます。雌雄異株で、実がなるのは雌株だけです。果肉には発芽を抑制する物質が含まれており、種が熟してから野鳥などに食べて運んでもらう必要があります。
27ツバキ
今年は暖冬でツバキもよく咲いています。この後、集会所の辺りからコンクリートの細道に入り古墳を探しに行きましたが、どこからアプローチしても竹ヤブに突っ込むのであきらめました。
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27ツバキ
今年は暖冬でツバキもよく咲いています。この後、集会所の辺りからコンクリートの細道に入り古墳を探しに行きましたが、どこからアプローチしても竹ヤブに突っ込むのであきらめました。
28日佐(おさ)神社への下山口
大智明権現<写真20>の東に南北に延びている舗装道路の脇の木の枝にありました。奥まったところにあるのでわかりづらく、一度はスルーしてしまいました。北からのアプローチだと少し振り返り気味になるのでさらに見つけにくいです。木々の間の薄暗い細道はすぐに空が見える明るい道に変わりました。
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28日佐(おさ)神社への下山口
大智明権現<写真20>の東に南北に延びている舗装道路の脇の木の枝にありました。奥まったところにあるのでわかりづらく、一度はスルーしてしまいました。北からのアプローチだと少し振り返り気味になるのでさらに見つけにくいです。木々の間の薄暗い細道はすぐに空が見える明るい道に変わりました。
29豊田丁田古墳と高砂山展望
おくの細道アルプスの大雄山麓にはいくつか古墳があるようです。手前に見えている丘陵地に豊田丁田古墳があるそうですが、詳細は不明です。向こう側にはなだらかな高砂山が見えました。この辺りから石が埋まった道になりましたが、比較的緩やかで下りやすかったです。
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29豊田丁田古墳と高砂山展望
おくの細道アルプスの大雄山麓にはいくつか古墳があるようです。手前に見えている丘陵地に豊田丁田古墳があるそうですが、詳細は不明です。向こう側にはなだらかな高砂山が見えました。この辺りから石が埋まった道になりましたが、比較的緩やかで下りやすかったです。
30大雄山権現みち登山口
円張(地名)にある大雄山の登山口です。小さな堰を巻いたところにある道標の下に「ハイキングマップは無料=タダです。おかきの畠山製菓に置かせていただいております。」と明記されていました。この東には南北に延びている一宮道がありますが、おくの細道アルプス案内図の最新版によると倒木により不通になっているようです。
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30大雄山権現みち登山口
円張(地名)にある大雄山の登山口です。小さな堰を巻いたところにある道標の下に「ハイキングマップは無料=タダです。おかきの畠山製菓に置かせていただいております。」と明記されていました。この東には南北に延びている一宮道がありますが、おくの細道アルプス案内図の最新版によると倒木により不通になっているようです。
31日佐(おさ)神社鳥居
平坦な歩きやすい道を進み、石畳が敷かれた水のない水路?を渡ると鳥居がありました。
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31日佐(おさ)神社鳥居
平坦な歩きやすい道を進み、石畳が敷かれた水のない水路?を渡ると鳥居がありました。
32日佐神社拝殿内部
創建年月日や由緒など詳しいことはわかっていません。貞享(1685年)頃に天神社と改称し、一般には日佐天神と呼ばれたそうです。明治9年10月19日、日佐神社と復号し、祭神を日佐神と改めました。おさとは、正しくは訳語、あるいは曰佐と書き、通訳を意味します。渡来人がこの地に住んでいたのかもしれません。外からのぞいてみると、中は広々としてきれいでした。
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32日佐神社拝殿内部
創建年月日や由緒など詳しいことはわかっていません。貞享(1685年)頃に天神社と改称し、一般には日佐天神と呼ばれたそうです。明治9年10月19日、日佐神社と復号し、祭神を日佐神と改めました。おさとは、正しくは訳語、あるいは曰佐と書き、通訳を意味します。渡来人がこの地に住んでいたのかもしれません。外からのぞいてみると、中は広々としてきれいでした。
33日佐神社本殿
写真の右側が本殿です。左側の小さな鳥居と祠は詳細不明です。
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33日佐神社本殿
写真の右側が本殿です。左側の小さな鳥居と祠は詳細不明です。
34日佐神社備前焼狛犬
鳥居<写真38>の前に備前焼の狛犬がありました。この辺りの神社ではよく見かけます。そのまま進むとコンクリート道に出ました。
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34日佐神社備前焼狛犬
鳥居<写真38>の前に備前焼の狛犬がありました。この辺りの神社ではよく見かけます。そのまま進むとコンクリート道に出ました。
35おくのピラミッド!?
大雄山から北北西に延びている尾根の先端を北から望むと、まるでピラミッドのように見えました。世界一高いギザのピラミッドは139mで、おくのピラミッド(勝手に命名)は130mです。
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35おくのピラミッド!?
大雄山から北北西に延びている尾根の先端を北から望むと、まるでピラミッドのように見えました。世界一高いギザのピラミッドは139mで、おくのピラミッド(勝手に命名)は130mです。
36見返りブサイクさん
カワウが突然、千町川を飛び出したかと思うと、いきなり釣り公園の橋の木の上に止まり、こちらを振り返りました。その顔がとても滑稽で笑えました(*^^*)
繁殖期に入り首や顔に白い羽毛が生えています。相手を見つけて頑張ってもらいたいです。
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36見返りブサイクさん
カワウが突然、千町川を飛び出したかと思うと、いきなり釣り公園の橋の木の上に止まり、こちらを振り返りました。その顔がとても滑稽で笑えました(*^^*)
繁殖期に入り首や顔に白い羽毛が生えています。相手を見つけて頑張ってもらいたいです。
37千町川から畠山製菓(旧校舎)
釣り公園の木製の橋の上から眺めると、公園のすぐ西側の橋越しに中央に芥子山(けしごやま)、右に豊原小学校跡地を利用して造られた畠山製菓の工場が見えます。ちなみに、公園の駐車場に戻ろうとすると、橋の土台が一部壊れて通行止めの立て札がありました。なんとか通れたのでほっとしました。
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37千町川から畠山製菓(旧校舎)
釣り公園の木製の橋の上から眺めると、公園のすぐ西側の橋越しに中央に芥子山(けしごやま)、右に豊原小学校跡地を利用して造られた畠山製菓の工場が見えます。ちなみに、公園の駐車場に戻ろうとすると、橋の土台が一部壊れて通行止めの立て札がありました。なんとか通れたのでほっとしました。
38おくの細道アルプス案内図
畠山製菓でいただいた、2014年5月25日付の最新版です。おすすめハイキングコース、主要な史跡やスポットの説明なども書かれています。周辺は戦前から邑久アルプスと呼ばれ親しまれてきた個人所有の山で、植栽の山野草をはじめ植物の採集はかたく禁じられています。
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38おくの細道アルプス案内図
畠山製菓でいただいた、2014年5月25日付の最新版です。おすすめハイキングコース、主要な史跡やスポットの説明なども書かれています。周辺は戦前から邑久アルプスと呼ばれ親しまれてきた個人所有の山で、植栽の山野草をはじめ植物の採集はかたく禁じられています。
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