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山の本であって、山の本では無い
ヤマレコユーザーなら、バリエーションルートはご存知だろう。が、小説に登場するルートは、バリエーションルートとも言えない登山。登山と言うより、ワンダーフォーゲル(彷徨う)
芥川賞の受賞作品は、難解なものが大いにので、読み進めていくと、え?これが芥川賞?直木賞の間違いじゃない?と思える程、珍しく読みやすい
自然の描写はさすが。
自分も、単独で山に入る方なので、平日のマイナーな山にはいると、誰にも会わない時がある。登山道であっても、その圧倒的な人気の無さに、音、崖に秘境感を感じる事は多い。また、近道?とルートを外して踏み跡をたどっていくと踏み跡は無くなり、傾斜は急になり、ますます引き返せなくなり登山道に出た時は、どれだけ安心したかとか。その辺の描写は裏切らない。
が、これは社会的な小説だと感じた。
妻鹿さんは、昔の加藤文太郎の様な香りを出しているけれど。多田は、終盤、そこに真っ向から「本物の危険は、山じゃない街ですよ、生活ですよ」と切り込む。そして2人の関係は、あっけなく切れてしまう。
妻鹿は、何故、会社を去ったのかとか、バリ山行を続けているのかとかの答えは見つからない。
そして多田も、あれほど執着していた会社での立場も、薄れていく。それも答えが出たからでも、妻鹿に傾倒した訳でもない。このもやもやっとした終わり方が小説の重さをかもし出している感じ
バリ山行は、登山を趣味とするならば、褒められる山行スタイルでは無い。何かあれば捜索に迷惑をかけるし、自然も荒らす。
小説としては、面白かったが