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大規模な航空支援もないまま行われた(航空消耗戦ですり減ったり、米英に比べ第5飛行師団の搭乗員・軍用機の質も数も落ちた)、インパール作戦。インパールは高地であり、ただでさえ車両での移動も難しい、いわば過酷な登山の中で…当初、運搬車両代わりに連れていけると言われた水牛(ジンギスカン作戦と)は、河や険しい山を登れず途中で失くしたか?食したか?兵士が持つ糧秣もたしか米わずか7日分。乾燥味噌とわずかな缶詰のみだったらしい。それでも小銃や弾薬など合わせると20kg以上の重さを抱えて、補給も途切れているのに…インパール目の前まで登山を強いられた。チンドウィン川は亜熱帯だが…インパールはアラカン山脈(山脈内の丘陵地標高も1500〜2000m)という天然の要害を進まなければならなかった。雨季の亜熱帯から…山岳地の寒冷を糧秣もない中で進まざるを得なかった帝国の兵士たち。
この動画にて証言してくれた105歳の方に感謝したい。インパール作戦に参加した三師団の一つである第三十一師団長佐藤幸徳中将の第十五軍への抗命(無断撤退)がなければ…この方も生きて祖国に帰れなかったのかもしれない。
長くなりましたが…先々週に帰還者たちの記念ミュージアムにも行きました。戦前の記憶がすべて輝かしい、日本がすべて正しかったわけではないことを、戦争を体験していない我々も記憶の片隅に置いたほうが良いと感じました。
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