1月22日の雨模様の中、千葉県佐原市の伊能忠敬記念館を訪れた。
忠敬(「ただたか」、佐原では「ちゅうけい」というらしい)は、江戸時代に日本地図を測量で作成した偉人くらいには知っていたが、それはとんでもない思い違いであった。日本の誇るべき測地学者、天文学者、数学者、経済学者、経営者・・・である。
養子となった忠敬は、伊能家の経済を立て直し50才で江戸に出ると、幕府天文方暦局で32才と年下の高橋至時の門下生となり猛勉強、「推歩先生(星を測る先生)」と呼ばれたりした。
55才の時、オランダからの知識で地球が丸いことは知っていたが、大きさを詳しく知りたいと、遠い蝦夷地まで出かけ緯度1度を観測により確定することにし、3年かけて実測と計算の結果、地球の外周約4万キロメートル(現在判っているものと千分の一の誤差)を割り出した。
この観測のため、幕府には、日本地図をつくるという名目で許可を得たが、その実測地図の精密さから幕府に蝦夷ばかりでく四国や九州を含む西日本の地図作成を命じられ全国を歩くことになる。
この測量結果は、日本最初の実測地図「大日本沿海輿地(よち)全図」として大成(200枚以上の地図)された。
ちなみに、忠敬が測量を終えたのは70才で、15年かけて約4万キロメートル(地球一周分)歩いたことになるという。
この地図の精密さに、忠敬の死後訪れたイギリス艦隊も驚愕したり、地図の国外持ち出しなどの「シーボルト事件」などとも関係したのだという。
いずれにしても、50才からの天体など科学への向学心や、徒歩による実測で日本地図を完成してしまったなど、生涯現役、生涯勉強のとてつもなく大きな日本の誇るべき偉人であったことに驚嘆した。
還暦近い私でも、まだまだ何か少しは(山歩きを含め様々なこと)できるかなと考えさせられた一日であった。
この日は、佐原市内散策の後、香取神宮と利根川対岸の鹿島神宮もお参りして帰宅した。
ahiru-papaさんお早うございます、伊能忠敬記念館はまだ一度も訪れたことはありませんで素通りしていました、
時たまテレビなどで「伊能忠敬」のことを報じているのを見て業績等は知っていましたが、
確かに当時のあの年齢からの行動としては驚愕するべき事ですね、
その後に香取神宮と鹿島神宮を訪れたようですが、感じ方はどうでしたか、
新築し直したような綺麗な香取神宮と古風な歴史と落ち着きを感じる鹿島神宮、
成田近辺に用事がありますから香取神宮はその後何回か訪れましたが、鹿島神宮はご無沙汰です、
今、鹿島神宮のことを調べてみましたが、写真で見ますと私が訪れた時と違ってやはり綺麗に直しているようですね、
別子銅山ahiru-papaさんはじめましておはようございます。
今、勤め先の佐原(現在は香取市佐原です)からメッセージを
送っています。
私も仕事柄興味があり、特別展などがある時に伊能忠敬記念館に足を運びます。
佐原はこの震災で古い街並みにかなりの被害があり
御覧の通り復興中ですが、あやめの時期の6月が
とても良いので、また足をお運びください。
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