7月に利尻山に登ってきました。"ここには熊がいない"ので、新調したヘッドランプの性能テストも兼ねて夜明け前の2時過ぎに出発、山の中をヘッドランプで歩く経験は初めてでした。
因みに羊蹄山も熊がいないとのこと。
とにかく、山に入るときは熊を意識します。熊鈴はもちろんのこと、笛を首から下げます。ラジオはちょっとうるさいので敬遠しますが、大声を出したりもします。最近、熊よけスプレーも購入しました(これ結構重たくて350mLのビール缶とほぼ同じくらいの重さです)。
さて、本題ですが、知床では観光客による餌やりに近い行為が問題となっていますが、これが続くと熊も人間を避けるだけでなく、餌をねだる対象として意識し始めかねません。
そうなったら、自分が認識している「熊よけの鈴」は「熊よせの鈴」になりかねません。もしそうなったら、もう山に入れなくなります。単独で知床の山に入って、さて鈴をザックに着けようか、それとも、そっと静かに歩こうか、なんて考えることを想像するだけでぞっとします。
先日、北海道博物館の訪問者向けアンケート調査で熊を"退治してほしい"、"退治しなくていい"、"どちらともいえない、わからない"の三択問いかけに対して、"退治しなくていい"は"退治してほしい"の約2.5倍という結論になっていました。誘導的ではなく公平な立場での問いかけなので、市民(子供たちの比率が多いかな)の一般的な感覚かと思います。
しかし、"退治する"は恣意的で"減ってほしい"だったらもっと票は伸びたのかなと思います。
熊についての先人の知恵を調べました。
・火より煙を嫌う → いざというとき発煙筒は有効かもしれない
・ヘビがきらい → だからロープも嫌う(はず)、アイヌの知恵
・長いものがきらい → トレッキングポールも嫌って欲しい
・基本的に人間を避ける → ラジオや大声は効果がある(はず)
熊恐怖症の前期高齢者のたわごとでした
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