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夕暮れに近い鴨川の高水敷を歩いてみました。
丸太町通りから出町柳まで僅かな距離ですが。
散策する人、ジョギングする人、犬と散歩する人、サイクリングする人、
昼寝をしている人、様々ですね。
京都の人なら判るのですが、鴨川は字が変わっても賀茂川、鴨川と呼称は
変わらないです。
桂川なら、園部川、保津川、大井川(大堰川)、桂川とかわります。
大井川は、渡月橋あたりです、下流から桂川にかわります。
鴨川の左岸を秋風に吹かれて歩いていると、川の飛び石を渡っている人を
見かけました。
つい、誘われて自分も飛び石をよっこらしょと飛びながら右岸側に渡って
みました。
鴨川、荒神橋の直ぐ北にある飛び石です。
この飛び石、他に3ヵ所あります。
上流から、1番目は府立植物園あたり(ここは賀茂川)、2番目は高野川と
合流するあたり、高野川と合流すると鴨川にかわります。
源氏物語にも登場する藤袴は、環境の変化により絶滅の危機にあったので
すが、植栽されて随分増えました、花はこの辺りで撮りました。
で、3番目の飛び石が私が渡ったところ。
4番目は、二条大橋の北側にあります。
そう言えば渡ったことなど無かったような気がします。
鴨川で思い出しましたが、私が卒業した北野中学校に御土居があって、
この御土居、東西は賀茂川から紙屋川(天神川)、南北は北区の加茂川中学
校付近から南端は南区の東寺の南を囲み、その範囲は南北約8.5km、東西
約3.5kmの縦長の形をしていて、洛中と洛外を分けていたようです。
京都駅0番ホームもその史跡だそうです。
御土居は必ずしも直線状ではなく、特に西側では数箇所の凹凸があるら
しく、現在の北野中学校あたりにあった小さな凸部は「御土居の袖」と
名付けられて謎の一つとなっている様です。
昔、入学式の時に教えてもらったような気がします。
京都から他県へ。そして、関西へもどられたのですね。
わたしは、なぜだか、帷子ノ辻に衝撃を覚えました。
naminoriさん、こんばんわ。
そうです、群馬県高崎市、新潟県南魚沼市にも
住んでいましたよ。
尾瀬は、何度行っても良いところです。
新潟県からも登ってみました。
八海山の頂上から滑り降りたことも楽しい記憶
です。
帷子ノ辻は、檀林皇后の経帷子に因んだ辻です
ね、ある意味で衝撃的なことです。
広隆寺の方が知られているので、帷子ノ辻の意
味を知らない人が多いかも知れませんね。
朝夕よく散歩しましたね。
荒神橋のすぐ東に住んでいました。
今は綺麗になりすぎた。
当時は草ぼうぼう、ムシがいっぱいいました。
写真の例会に持っていく写真も
朝の散歩でゲット!
何度も賞頂きました。
仲間から「どこで撮ったの」と・・・。
写真家の原点が此処にあったんですね。
いつ頃、あんな飛び石ができたのでしょう。
朝夕の散歩には良いところですね。
中学生の頃は、白梅町付近にある木々に囲まれた
京都市の図書館の分館が私の散策場所でもあり、
隠れ家でした。
ふと、想いだしました。
いま住んでいるところは、隠れ家的な場所がない
のが残念です。
見落としてましたね、この日記
ごめんなさい、です。
鴨川…、いいですね。
学生時代も、今も通勤途中に毎日見ています。
2番目の飛び石辺り、三角州、
青春時代
strasseさん、京都の人だったんですね
heheさんごんばんわ。
見落としたからと言って、気にしなくて良い
ですよ。
こちらが恐縮しますから。
鴨川の散歩道、青春時代の思い出ですよ。
ちょっと、気恥ずかしくなるような、この歳
になってみるとすべてが懐かしい思い出です。
(歳かな、笑)
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