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順番があります。
[56][57][58][59][60][61][62]は平安時代に活躍した女性歌人たちです。
58〈有馬山 猪名の笹原 風吹けば いでそよ人を 忘れやはする〉
大弐三位(だいにさんみ)
(有馬山から、猪名川の笹原に、風が吹けば、笹の葉がそよそよと、そよ、そうよ、そうだわ、あなたのことを忘れたりするもんですか)
[大弐三位]は[紫式部]と藤原宣孝(のぶたか)の娘(賢子)、没年は定かでないものの、83~4歳頃、病気であった事が記されているそうです。
ちなみに、[56]和泉式部、[57]紫式部、[59]赤染衛門、[60]小式部内侍(和泉式部の娘)、[61]伊勢大輔(いせのたいふ)、[62]清少納言。
🚙友人から「生きてる?」と電話。
「明日、どっか行かへん。府県出んかったらええやろ。数も減ってきてるし」と。
「明日もステイホーム。数少ない(ひとり)になりたないわ」と、愛想ない返事をしました。
🚗通勤が青年と[密]なので、用心深くなっています。
お誘いお断りされたんですね〜
えらいですね〜👏👏👏
そうなんですよね〜
感染者数が減ってくると、
みんな安心してしまう気がします💦
また第二の波がきませんように・・・
私も、ステイホームとトレーニング頑張ります😅
頭の中では[自粛延長]、気持ちの上では5月6日が過ぎて、数も減ったし、[ボチボチ]になってきていることは否めません。
ただ、家に帰るまでが登山だと思うので、もう少しかな、と我が身に言い聞かせます。
何時もなら、かの友人からの誘いは、大抵の事は後回しにしてOKしているんですけどね。
私の終了宣言は[公共交通機関]での通勤可になった時かな、と考えています。
こんばんは。
どうしても山へ登らなくてはならないということも無いのでしょうが、行くなと言われれば、行きたくなってしまいますね。
わたしの登る山は自宅を出て帰ってくるまで、だれひとりとして遭う気ずかいのない山ばかりです。でも躊躇ってしまいます。いつまで続くのでしょうね。
来し方を八重の白雲隔てつつ いとど山路の遥かなるかな
和泉式部
和泉式部の歌集をパラパラめくってみましたが、〈遥かなる山路〉へのふさわしい[返し]が見つけられませんでした。
(ps.こんな歌がありました)
橋朽ちて よくべき道も なかりけり 峯よりわたる 雲ならなくに
和泉式部
先の連休、結局[ハモニカ]の練習もおぼつきませんでした。
目の前の、より良い一歩を選択して歩いて行けば、やがて、と考えています。
おはようございます。
<遥かなる山路>は私もどこに載っていたのか知りません。奥美濃の登山家で高木泰夫氏の著書「奥美濃」(ナカニシヤ出版)の前書きから引用したものです。
蛇足ですが、
わが齢(よはい)やうやく老けぬ妻子らとお花畑にまた遊ばざらむ
島木赤彦<燕岳の上>
山にゐるわれの心は幽かなり笹の葉の露に咽喉(のみど)をうるほす
島木赤彦<燕岳の上>
登山家でもあった赤彦の歌ったものですが、わたしの恩師で島木赤彦研究者の阪本幸男氏が発掘発見した歌です。どんなにいいものでも、だれかが掘り起こし、ほこりを払わなければ人の目につかないものですね。
なおわたしの文学的興味はすべて阪本先生から教えられました。
失礼ながらsolosoloさんのプロフィールを再度拝見させて頂きましたが、わたしと同い年なのですね。昭和28年生まれです。
そうでしたか。
私は、辰年、サソリ座です。
数年前、2つの事がありました。
1つ目は、ボランティアで語学留学中の台湾人の練習相手をしていました。
学校のテキストを拝見すると、[平安時代]のところを勉強中とのこと、そして、「日本人は一夫多妻でしたか?」
と質問されました。
自分は日本のことを全然知らないな、と痛感した瞬間でした。
2つ目は、映画『ちはやぶる』を観て、[百人一首]の一首も知らないわ、と。
そのあたりから、古い[物語]などを読み始めました。
もとより、[古文]は私にとっては[外国語]ですので、[現代語訳]です。
それと、[そのうちいつか]と言える年齢ではなくなりましたので、名前は知っているけど読んだことない(知らない)物語を、マンガや外国モノも含めて、読んでいます。
ようやく[百人一首]に来たところです。
ある意味、[終活]かな、と思っています。
[ヤマレコ日記]は、自分の[メモ]として書いています。
公表することによって、自分にプレッシャーを与える意味でもあります。
ていねいに、ありがとうございました。
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