多様性とかよく耳にしたり個性の尊厳とか…
所詮生きることは組織に属する限りは陣取り合戦でしかなくて、その勢力庇護の元である程度の範囲において好き勝手やることが容認黙認されている。ところがときおり…いや、わりと頻繁に、その範囲を逸脱するヤツがいて、大抵の場合、そいつはいわゆる「身の程知らず」なので、その他の構成員が少しずつ我慢して組織全体として獲得したベネフィットを浪費しているだけだったりする。
んで、そういう輩が「組織の動きの遅さ」や「組織の硬直性」なんかを知ったげに批判してみせるのである。自分のアタマのハエも…
たしかに自由は保証されている…というより自由は生まれながらに持っている。だが、どこまでもそれを求めるならば組織に属してはいけない。組織に属する限り規律に従うことを求められる場面がある。これは労働者であろうと使役者であろうとおなじことで、その規律の内容と目的、それを逸脱し損失を与えた際の責任の範囲が異なるのみ。そもそも組織の規律は、その組織自体が「生物」でいうところの繁殖や自己増殖をおこなうための「わりあいと」効率の良いルーティンなのである。
多様性や個性を口角飛ばして主張する人たちは、たいていにおいてこの点を無視していたり無理解であったりする。したがって規律を無視し組織に損失を与えた誹りを受けると「自己責任論は時代遅れだ」などと喚きはじめる。そりゃそうだ、背景となる論理プロセスが最初っからわかってないのだから、それをおとなしく受容するハズがない。
山歩きや登山はそんなことを見つめ直したり、とことん自由を求めたり、それを自己責任においてやれるから面白い。その意味で、山は生きることそのものだと言っても過言ではないのかもしれない。
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