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柴崎芳太郎率いる陸軍参謀本部陸地測量部(現在の国土地理院)が、明治40年に剱岳の初登頂を果たした時に、剱岳山頂で銅錫杖頭と短剣を発見します。錫杖と短剣は、奈良時代後期〜平安前期のものと推測されていて、当時も大きなニュースになりました。後に重要文化財に指定されます。ラッキーなことに、今年から撮影可となったとのことなので、写真も添付します(写真1、写真2)。
日本山岳史で最大のミステリー。最難関の剱岳に初登頂したのはいったい誰なのか。近代登山による初登頂の1000年以上前に、草鞋と軽装の山伏がすでに剱岳に登頂していたのか、それとも後の時代に誰かがその時代の錫杖と短剣を納めたのか。同様に、明治期に大日岳で発見された銅錫杖頭も平安期のものであるとされています。この銅錫杖頭も横に飾ってありました(写真3)。この錫杖にはリングがあり、私たちが思い浮かべるシャカシャカと音の鳴る錫杖に一致していますが、剱岳の錫杖にはリングがない。しかも、実際見てみると想像していたよりは大きく、実際に杖の頭に付けるには、無理があるのではと思いました。おそらく、剱岳の錫杖頭(しゃくじょうとう)は、登頂の証として、特別にデザインされた錫杖頭を置いていったのではないかと思いました。
平安初期が、飛鳥時代の役行者(えんのぎょうじゃ)に代表されるような山岳信仰に奈良時代の仏教的要素が加わった神仏習合の時代であると考えると、やはりこの時代にマロリー的な山伏が「そこに劔があるから」といって、登っていったのではないかなあと勝手な妄想をしています(笑)。ちなみに陸地測量部が発見した銅錫杖頭の明治期の新聞が、立山博物館から徒歩2分ほどの山岳集古未来館(無料)にあります。銅錫杖頭が実物大にスケッチされて、陸地測量部の活躍と共に説明されていました(撮影不可のため写真なし)。
みなさんも立山に行くときは、是非、立山美術館に立ち寄って、あれこれ古のロマンを感じてみてください。
<立山博物館>3Dで銅錫杖頭が見れます。
https://tatehaku.jp/facility/kyokai/collection/cultural_property/
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