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この昔話はよくある
神道が主流だった西暦600年までとその後急速に広がっていく仏教という対比
なのだけれど
忘れてはならないのは593年に聖徳太子が摂政についたこの時期、
日本という国は保守派の神道派の物部守屋と革新派の仏教派の蘇我氏が対立、
聖徳太子は蘇我氏につき物部氏を破っている。
伝説では戦の最中に聖徳太子は仏に祈り、この戦に勝てたら寺を建ててまつる、と誓願したという
戦に勝利した聖徳太子が約束通り立てたのが日本初の仏教寺院、四天王寺である
日本の統治機構が神道から仏教に移行する時期であったということを押さえておきたい
この移行は聖武天皇が国分寺を建立し国の平安を願うこととし、
国分寺国分尼寺の総本山として東大寺と奈良の大仏を造立したことにより仏教による統治が確定的なものとなる
小学校で習う「聖徳太子」「聖武天皇と大仏」を背景に金剛山を紐解くとこうなる
そして実際転法輪寺に祀られている法起菩薩は仏教的にも非常に古い仏様である
5つの目、額の目はヒンズー教を思わせる
確かにここには日本に来て間もない仏教の芽が現在に連なっている
そして私はお寺の境内に立つ雪の日の お不動さん 不動明王 が大好きなのである
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