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大菩薩(石丸峠)から見た、南アルプスのスケッチです。
ヤマレコ写真は、縮小されてしまうので、ここにリンクします。
↓
http://www.apluse.jp/a/sa4.jpg
この時は、前年12月31日の大晦日に湯野沢峠にテントを張り一泊。
その後小金沢連嶺を縦走し途中、狼平で更に一泊。
牛の寝通りから小菅に下山しました。
この頃は、湯の沢峠への林道も無く、初鹿野駅(現在の甲斐大和駅)からひたすら(山道を)歩くのでした。
もちろん、大菩薩湖も無かった。
今、思い返すと、なーんか、ホノボノとするんだよね。
もちろん、そんなトコを歩いてる人なんて、誰も居なかったし…。
テント・食料を背負って、雪の中を歩いて、メチャ疲れました。
(アホですね〜)
余談ですが…。
この時の山行以前に、これと同じコースを目指した事があります。
しかし、大雪で前に進めず途中敗退しています。
その時の山行はとても印象的で、紀行文を「山と渓谷」に応募して掲載されました。(このネタは、一度、ヤマレコ日記に書いています)
あー、お山に行きたい、が、まだインフルの病み上がりなので、じっとしてます。
ふぅ〜💦💦💦
追加
yamaheroさんからの推測で「雪の小金沢連嶺」を書いた時の山行年月日が気になって調べた。
当時の山行手帳を出すのも面倒だったので、索引を作っていたので、それで参照。
…で、あの時は、昭和50年(1975年)1月末であることが分かった。
林檎やさん
コンばんは
山梨が懐かしい出張オッサンずら
今名古屋ずらよ〜
明日から違う場所に行くずら
山梨に帰るのは来週
我が故郷の情報嬉しいずらよ〜
ダムが出来る時は源次郎岳光っておったワイ
Kazuhagiさん、出張おつかれズラ。
長い出張ズラね〜。
インフルに注意して、仕事してくだせー
私の昔の思い出で、インパクトが有ったのは、まだまだ有ります。
その一つが、塩山駅前の食堂で注文したカツ丼です。
ドンブリ飯の上に、刻んだキャベツが敷き詰められ、その上に、カツが鎮座しているのです。
え???煮てないの?
と、言ったら、店のオバちゃんは…
あぁ、それは、煮カツ丼ズラ〜😱
確かに、これもカツ丼だけど、トンカツ定食を無理やりドンブリに詰め込んだだけじゃん、と超焦りました。
今でも、甲州市では、カツ丼と煮カツ丼は区別されているのでしょうか?
うーん、そこんトコ、知りたいです。
では〜
ringo-yaさん、こんばんは。
山渓紀行文は「雪の小金沢連嶺」でしたっけ?
掲載されたのは1980年頃?
実際、縦走されたのは1970年代末あたりですか。
まさに40年近く前でしょうかね。
当時、私はまだ山岳会に入る前で、
ハイキングすらろくに経験してない頃でしたが、
臨場感あふれる文章に超感動しましたよ。
あーいう山歩きは憧れです。
原点というか、アルプス縦走なんかより尊いものがありますね。
yamahero さん、こんばんは♪
あはは、そう、「雪の小金沢連嶺」です。
先の日記のこのネタの時にもコメント頂いて、ありがとうございます。
掲載は1976年の1月号です。
1月号は、12月に発売されるので、実際の編集時期というのは秋頃だったのでしょう。
と、いう事は、私の山行は、更にワンシーズン前1974年では?と思います。
昔の山行手帳を引っ張りだせば、書いてあるハズです。
この紀行文を覚えてくれていた人が居る事に、驚きましたよ〜。
yamahero さんの他に、もう一人。
しかも、ちゃんと本棚に保管してあると言うのですから、マジ驚きました。
この頃の私は、お山は修行中!
近場の雪山、丹沢の沢、八ヶ岳、南アルプスの縦走等を経験して、その後、北アルプスのバリエーション・ルートへと入って行きました。
今、思うと、ちゃんと順番を踏んで、それなりに頑張って居たんだ、と感心します。
懐かしいですね〜。
やる気が半端なかったです
いつも
ringo-yaさん、こんにちは。
山名の前に引いてある直線は定規で引いたのかと思ったら、拡大するとフリーハンドで書かれていてビックリ!
角度まで合わせてあるとは!
ringo-yaさんはA型ですか?
きっと山頂の間隔も狂いはないでしょうね!
狼平でテン泊か〜
きっと素敵な夜だったでしょうね
あの笹原好きだな〜
ringo-yaさんの青春は私の青春とは違い過ぎますよ
makotoさん、こんばんは。
えへへ、フリーハンドですね。
ロットリングと言う、製図用のペンで書いて、鉛筆で仕上げしています。
仕事柄、この程度は、慣れたものです。
私は二重人格のAB型です😅
この時の南アルプスは、北から南側までハッキリ見えて、感動しました。
その気持ちが、このパノラマ図を描かせたのでしょうね。
狼平、良いところですね。
私も好きです。
しかし、この時は、一面の雪原で吹きさらし…とても寒かったです。
テントも大昔の家型テント、隙間風だらけでした。
水筒の水は、抱えて寝袋に入らないと、凍ってしまいます。
テントの内側は湿気が凍って、キラキラ光って居て、テントに居ながらにして満天の星空の様でした。
今は、装備も良くなり、昔とは雲泥の差がありますが、当時はそれでも楽しかったです。
紀行文の掲載は、文章力がなければまず駄目でしょうし、山行内容が面白く(興味深く)て、その内容が書き手である自分が感動した体験でないと読み手の心にも響かないんだろうな〜
ringo-yaさんのペンがスラスラと走ったんですね〜
すごいな〜、自分にとってもいい記念にもなりますね。
スケッチの山を指す直線は定規かと思ってましたが、マコトさんのご指摘のとおり、よく見ると確かにフリーハンドですね 。
拡大して見たけど定規かと思ってました
doritosさん、おはようございます。
紀行文は、文章力と言うより、体験談みたいな感じです。
そんなに、うまい文章ではないと思います。
当時は、自分の文章が「活字」になった事が嬉しかったです。
ワープロはまだ、珍しい機械の時代でしたからねー。
山名説明の引き出し線、お褒めいただいて嬉しいです。
仕事柄、線を引くのは得意です。
近年は、CAD を使って居ますので、肉筆の線を引く事は少なくなりました。
技術力は、相当低下してるかと…😱
ringo-yaさん おはようございます。初めまして。
小金沢連嶺懐かしくって、古いエアリアマップ(昭和61年発行)を見ながら、自分が歩いたルートを眺めてました。
さすがに冬山はやっていなかったので、たぶん5月ごろに、鶏冠山〜(丸川峠泊)〜大菩薩嶺〜小金沢連嶺〜焼山沢林道を下って、初鹿野まで歩きました。
山岳会の諸先輩に連れまわされて?、駆け出しの女の子?としては、ロングルートでへとへとになった記憶が蘇りました。
あの頃を思い出すと、私も「ほのぼの」します。
お金はなかったけど、たっぷりと自分の時間があった気がします。
諸先輩方のコメントのやり取りも、「ほのぼの」読ませて頂きましたって、自分のがちょっと若いって決めてるし
jikyoonさん、初めまして…こんにちわ♪
jikyoonさんも、お山は復活・出戻りだったのですね。
鶏冠山(落合?はたまた、柳沢峠からスタート?)から初鹿野までって、随分距離がありますね?
一気に、全部通して歩いたんですね〜。
こりゃー凄いです。
当時、私に、そこを一発で通そう、って発想は無かったですね。
若さですね。
良い想い出となったのでしょう!
素晴らしいです。
貧乏だったけど、心は豊かな時代…。
貧弱な装備も、若さで乗り切れたんですね。
昭和ですよね〜。
初鹿野って、駅名も好きだったです。
出戻り後は、北アルプスへの遠征も行ってる様ですね。
(北アは、私の青春真っ盛りのお山でしたね〜。)
今の私は、奥多摩・奥秩父が精一杯かな。
気をつけて山行を楽しんで下さい。(私自身にも…)
こんにちワン!
南アルプスのスケッチ、とてもキレイに書けてマスね♪
紀行文が「山と渓谷」に掲載って、スゴイデス!
インフル、お大事にして下さいね。
shippokuruさん、こんにちワン
スケッチ、褒めてくれてアリガトわん🐶
インフルは、もう治ったのですが、なんとなーく調子がイマイチです。
お山に行きたいのですが、まだ、ちょっと怖いです
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