NHK-BS の「英雄たちの選択」の再放送で「流転!足利義満が愛した秘宝」を見ました。
今回のテーマは水墨画の最高傑作といわれる「瀟湘(しょうしょう)八景図」という一風変わった趣向でした。
その番組の中で登場した山水画に、あまりにも自然に風景を写し取ったかのような感覚を抱きました。
もちろん数百年前に書かれた水墨画なので、決して最新のカメラで撮影したような写実的な自然ではなく、白黒の自然です。
それでいて「自然な自然」と感じた自分に驚きました。
もしかすると山水画の魅力が分かり始めたきっかけは、登山を始めて山の上から全方位を遠景で見る機会が増えたことと連動していると考えています。
触れるほど距離のアートなら、当然「細かいところ」に目が行くと思います。
一方、山の上から見る自然の景色はおぼろげながら全体を俯瞰せざるをえず、言い方を変えれば「鳥の視点」しか持ちようがないということになります。
自然には微生物の営みのような見えないレベルでの微細な世界もあれば、生態系のような大きなシステムもあります。
水墨画などに使われている(はずと私が勝手に思う)細部の芸術手法は、あえて見るものに「大きく朧気に見せるため」に使われているのかもしれません。
私は英語の先生なので、これを英語に置き換えて考えてました。
まずは一つ一つの単語からスタートしますが、レベルアップすると複雑な文法構造などを含む文でも、いくつかのカラクリ仕掛けがある全体図として受け取れる瞬間がやってきます。
あまり信じてもらえないかもしれませんが、視界に入った英文はそのままわかります。
そのときに英単語のスペルなどまったく考えてもいなくなります。
日本語でも四字熟語を一つ一つ読まないこと、そして「海」のサンズイが本当に3つあるのか?と目を凝らさないのと同じです。
最近始めたフランス語では、英語のレベルに追い付いていませんが、単語よりも音をメロディーとしてつなげることで、旋律として文章を受け取る重要性に気づきました。
英語ももちろん音がつながるのですが、フランス語に比べたら急加速&急減速が多くて口の動きにストレスがたまりやすいことに、フランス語をやり始めて気づきました。
英語も単語と単語の間をつなげば、そのまま「ネイティブっぽい」発音になりますが、フランス語はそうはいきません。
単語同士のつながりによって音が消えたり、連結によって生まれる音もあります。
とにもかくにも音がつながり、流れるメロディのようなところがフランス語の大きな特徴です。
欧米系の人たちが "French is beautiful." と口々に言う理由はこのメロディ感なのかなと思います。
私がこれまで見てきたの「名画」と言うと美術館や手元の画面といった「近距離」でみるものが多すぎるたのかもしれません。
言語も自然も芸術も「大きなものは大きなまま」受け止める感性は大切な気がしています。
このような感性は、もしかすると登山でのような大自然を体験することによって鋭くなるのかもしれないとちょっと感じました。
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