『タコピーの原罪』の作者・タイザン5が伝えたかった事は、単純な勧善懲悪や「誰が悪いのか」という問いから離れ、誰もが加害者にも被害者にもなり得る現実や、「幸せ」とは自分自身で考え、掴むしかないという人間社会の不条理を描くことにありました。
『タコピーの原罪』は可愛らしいキャラクターやファンタジー要素を持ちながらも、「いじめ」「家庭環境」「暴力の連鎖」といった重いテーマを扱っています。物語の根底に流れるメッセージとして
ー善悪の単純な区分けはできず、誰もが被害者にも加害者にもなる環境がある。ー
しずか・まりな・直樹など主要人物は、各自が「自分ではどうしようもない事情」によって苦しみ、影響を与え合っている。
暴力や不幸の連鎖は誰か一人の意志で断ち切るのが困難であるという現実。
「原罪」とは個々の犯した特定の罪のみならず、もっと広く「人間が生まれながらに背負う避けられない環境や社会の不条理」をも示唆している可能性がある。
幸せは誰かに与えられるものではなく、「自分で考え、自分で行動して掴みにいくもの」だという哲学が込められている。
タコピー自身は「ハッピー以外の感情を知らない無知な存在」でしたが、さまざまな事件や「掟」を破ることで悲しみや恐怖など多様な感情を知っていく。これは、アダムとイブが禁断の果実を食べて善悪を知ったような"原罪"の獲得にあたる。
また、作者のインタビューや作品論から「誰も悪人でなく、誰も完全には救われない世界」を見つめるという世界観が強調されています。
具体的には、物語で次々に「誰かを助けたい」純粋な善意が、結局は新たな悲劇を生み出していきます。タコピーがしずかを助けたい一心で行動しても、その結果がまりなや他の登場人物のより深い苦しみを生むのです。それぞれのキャラクターは、被害を受けた痛みから「加害の連鎖」に巻き込まれ、自分の正しさや善意が必ずしも幸福を生まない現実を突きつけられます。
その一方で「やさしさ」や「救いの願い」も、物語の希望として静かに描かれており、「誰かを本当に救うとは?」「やさしさとはなにか?」といった問いが読者に残ります。
本作の衝撃は、「可愛い絵柄やSFの外皮」と「読者を傷つけるほどのリアルな社会的・精神的重圧」のギャップにあります。善意が必ずしも善果をもたらさないという構造や、誰かの痛みや願いの結末として、誰かが傷ついてしまう残酷さは強く心に残ります。「救いが欲しい」「誰か報われてほしい」と願いながらも、その結末で何が正しかったのか答えを出しきれない余韻が、まさに「考える余白」として読者に差し出されます。
私自身、読み終えて強烈な「無力感」と同時に、「それでも前を向いて考え続ける以外ないのだ」というある種の誠実さをこの物語に感じました。幸せや正しさを一方的に与えられるものだと信じたがる心、その危うさこそが"原罪"なのかもしれません。タコピーや子どもたちの姿を通して、安易な勧善懲悪や救済ではなく、自分が「いかに考え、どう選び、どうやさしくあろうとするか」を問われている作品だと思います
『タコピーの原罪』は超傑作ですよね。
新品のコミックが買えなくなっているので、再版を望んでますが、どうなりますやら・・・。
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