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去年の暮れ12月26日に『阿弥陀岳』で遭難により救助され長野県『諏訪中央病院』へと入院した。病院に運ばれ、意識が朦朧としていたあの日から5カ月が過ぎた。
― 退院.1週間後と迫っていた頃 ―
「傷口を焼きますか,成長し過ぎですね」、意味がよくわからなかった…右手の薬指の先端の塞がった傷口からは尻尾のように成長した肉殖が飛び出している.
「先生,左手の中指の先端が塞がらずに骨が視えたままなのですが」…医師は直ぐには返答に答えず、夜に診察を行いドライアイス薬品で傷口を焼き始めた.眼鏡の中から覗かせる目球は煙の中で光っている、夜行性だ。
焼けた皮膚はまるで天かすのように丸くなり掌の底に敷いてあるガーゼに落ちた.早く退院させないと赤●になると焦ったか、それとも金の油揚げが欲しかったのか…
担当医師は皮膚科だった.手術は整形科へ任せるが、指の何処で切断を行うかは、皮膚科の指示に従い行われた。
医学に関して全くの知識のない私にとって,どうしてなのかはわかるはずもない…
― 狐と狸に馬鹿されたのだ ―
狐医師は、「左手の中指の肉の細胞が既に完治していると勘違いし、骨の中心の筒へと塞がり求めたのですね」、信じる私は疑いの予知もなかった。
切断する以前「指を伸ばす」手術だと…皮膚科の狐は整形科の狸へと手術を送り込んだのだが、狸は召し使いだった。
皮膚科である狐を主張したのだ…私は退院をするに対して、疑問であった.「まだ傷が塞がらない、どうしてなのか…」
狐はしばらく黙然したかのような仕草を装い、「これ以上は、私の管轄外ですから、紹介状を宛にしますので、地元の形成医院へ…そちらへお伺いください」。との言葉だった。
手術に対しての批判ではない。最後、傷口を焼いたのが…しかも夜に、無理に早く退院させる為にだと…これは私の勘違いなのかもしれないが…どうしても、説破つまり焼いた夜のことが気になり仕方がないのだ。
私は退院後、塞がらぬ指をハンドルに手をしながら車を運転して行く先は、地元である山梨県『富士吉田市立病院』だった。
「ありえない…どうして軌道しない関節を残すのか」、諏訪中央病院における手術の結果は、指の関節を半分残したままの状態で肉殖は腫れ上がり膿を齎している.「橈骨DEXA」での判定は骨に異状あり、吉田私立病院の形成医師は驚愕した。
「関節が残っている以上、切断とはいえない、どうして?…残れば障害者保険は無論のこと、切断しなければなりません」。 ―私の指は更に短くなる―
明日、私は約3週間の退院生活から、再び入院生活へと返る.富士の山に成功を願って…
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