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ダム湖である奥多摩湖の底に沈んだ、小河内村の記録だ。
奥多摩エリアは都民ハイカーの心の故郷であり、神奈川県民の私でも足しげく通う。その縁で、この小説に興味を覚えた。
「鴨沢」、「小河内」、「峰谷」、「大麦」、などのバスで通過した地名がたくさん登場する。
ダム計画の発表が1931年、この本に描かれているように、ダム建設は遅れに遅れて、着工までも5年かかり、書籍の出版は 1937年だから、作者は計画発表のすぐ後くらいから、ずっと密着取材していたのかもしれない。
増え続ける東京都民のために、水がめとなって欲しいと懇願する東京都水道局の願いを「大乗的立場で」受け入れ、村民を説得した村長。
しかしその後の東京都側の対応は不誠実なもので、工事は一向に始まらず、したがってすぐに払われると思っていた土地の補償金も払われないままに、田畑は荒廃していく。種を植えたとして、収穫までそこに居られるかわからないのでは、身が入らないのだ。
村長は、決めたなら早くしてくれと何度も陳情に上京するが、やれ何々の許可がない、あれの調整がつかない、こっちも困ってるんだよとのらりくらりとはぐらかされるばかり。
困窮する村民に、高利貸しが、そして娘の身売りを斡旋する業者が近寄ってくる。
土地は、正規価格で買い取られる前に、選択の余地のなくなった村民から、転売業者が安く買いたたいていく。
転売業者だけではない。買取価格を操作できる立場の政治家の息のかかったものもいたという。
結局のところ、いざ立ち退きとなるときには、村民の取り分など何も残っていない。
村のために駆けずり回った村長は、自分は騙されただけなのか、東京都に説得されて自己犠牲の精神を発揮した自分はただの馬鹿だったのかと考え始める。
そして無関心な、ダムづくりのことなど知りもしない都民が、全員敵に思えてくる。
やがて不満をつのらせた村民からも敵視されはじめ・・・。
読むのが辛い小説だった。
東京都側の対応は総体として不誠実だが、それにしても誰か特定の悪魔のような悪役がいるわけではない。多分「普通」の人たちの無関心や不作為の集合という暴力の犠牲になっただけだ。
想像だが、今のバス道は、小説最終版でこのダム建設がようやっと始まった際に、そのために造られたという道だろう。
奥多摩湖の景観を楽しみ、奥多摩の山々を楽しむとき、ここに発展する東京を支えるために、苦しみと共に沈んだ「日蔭の村」があったことを、たまには思い出すようにしたいと感じた。
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